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投稿日:2026年01月06日






 ──寒い。
襲ってきたのは、骨の髄まで凍りつくような、強烈な冷気と痛みであった。

 舞い上がっていた灰が、吹き付ける氷の粒に変わって、皮膚を削ぐ。
手指の感覚が急速に奪われていき、吐いた息も凍る。
喉奥から迫り上がってきた血の味だけが、やけに熱く濃く感じる。
手足が氷につき、着地してからも、ルーフェンはしばらくうずくまったまま動けなかった。

 ジークハルトは、ルマニールを支えにどうにか立ち上がった。
早々に凍りついた靴裏を、無理矢理に氷床から引き剥がし、辺りを見回す。
広がっていたのは、天と地の境も分からない、白一色の光景であった。
分厚い雲も、風も、地も、全てが凍りついている。
一切の生気が感じられぬ氷の大地が、視界の果てまで続いていた。

 近くで咳き込んでいるルーフェンに手を差し伸べ、ジークハルトは尋ねた。

「ここがアルファノルか……? あの闇精霊はどこへ行った?」

 ルーフェンは、問いには答えず、ジークハルトの手を払いのけた。
自力で立ち上がり、咎めるような目つきでジークハルトを睨むと、ルーフェンは低い声で言った。

「……どうしてついてきた? ここから他に通じる移動陣は、もう閉じてる。サーフェリアには帰れないぞ」

 ジークハルトは、動じた様子なく、後ろで寒さに震えているユーリッドとファフリを示した。

「移動陣なら、そこのミストリアの召喚師が持ってんだろ。だから二人を連れてきた。……帰りのことより、今はあのエイリーンとかいう闇精霊をどう相手取るかだ」

「いや、ファフリちゃんに渡している移動陣は──」

 ルーフェンが言いかけた、その時。
足元の氷床に亀裂が走り、割れ目から葬樹そうじゅの樹根が複数飛び出してきた。
即座に結界を張り、突撃してきた根を弾く。
その勢いのまま木杖を振り切り、鋭い氷の槍を地面から出現させると、ルーフェンは、それらを樹根の発生源めがけて放った。

「──とにかく、君は下がってろ! ファフリちゃんは二人を守って!」

 短く叫んで、ルーフェンは、立ち込めた氷霧ひょうむの中へと走っていった。
ギシギシと氷を割る音を立てながら、巨大な葬樹そうじゅが伸び上がっていく。
凍てついた白靄はくぶの中で、うねる樹根と雷光が交錯し始める。
ファフリは慌てて結界を張ると、戦いの余波で飛んでくる氷のつぶてから、ユーリッドとジークハルトを守った。

 耳をつんざくような雷鳴と、樹根が氷を砕く破砕音。
空気を震わせる爆音が、絶え間なく響いている。
だが、白く立ち上がる氷霧に視界を覆われて、何が起こっているのかはっきりとは分からない。

 何とか事態を見定めようと、吹雪の中で荒れ狂っている葬樹そうじゅの枝葉を凝視しながら、ジークハルトはファフリに声をかけた。

「……おい。ルーフェンは、何故わざわざ闇精霊とお前をサーフェリアに呼び寄せたんだ。当初はサーフェリアから出ずに仕留められる見込みがあったのか? それとも、あの闇精霊が既に渡ってきていたから、サーフェリアで戦う他なかったのか? そもそもどういう経緯で、あの闇精霊はルーフェンに接触し、シュベルテを攻撃したんだ。何か知っていることがあるなら教えてくれ」

 ファフリは、唇と指先を震わせながら答えた。

「私も、詳しいことは聞いていないわ。ルーフェンさんからは、『ツインテルグと敵対するエイリーンという闇精霊が、サーフェリアの人間たちを狙っている。真っ向から立ち向かって敵う相手じゃないから、今は機を窺っている』って、それだけ。
どうしてサーフェリアに呼んだのかについては、貴方の予想は両方当たってると思う。エイリーンに、一度大規模な召喚術を使わせる必要があったのよ。魔力を消耗させた上で、その召喚術を跳ね返せば、勝機はあるって信じていたの。でも、エイリーンが倒れる気配がないから、最終手段として、アルファノルに強制的に送還して閉じ込める方法を取ったのよ」

 ジークハルトは、それを聞くや、結界外に飛び出した。
引き止めてくるファフリたちの声に構わず、氷床の上を駆ける。

 振り上がった樹根が暴れる度に、衝撃波で足場がひび割れ、鋭い氷粒が飛んでくる。
それらをルマニールで弾きながら、ジークハルトは葬樹そうじゅの後ろに回り込んだ。
激しい召喚師同士の攻防により氷が削られ、どんどんと濃く舞い上がっていく氷塵ひょうじんのせいで、やはりルーフェンの動向を視認することはできない。
ただ、氷塵ごと掻き切るように振り回されている樹根の動きを見る限りは、ルーフェンの方が明らかに押されているように見えた。
──いや、というよりも、葬樹エイリーンの攻撃が、サーフェリアにいた時よりも激しくなっている。
その樹体も、更に大きくなっているように見えた。
天を突く枝葉が、重く立ち込める雲をかき混ぜるほどに高く、広く繁茂しているのだ。

 葬樹そうじゅの巨大さに気を取られている隙に、砕けた氷の破片が、ジークハルトの顔面めがけて飛んできた。
咄嗟に腕で防御するが、覚悟した痛みはなかなか訪れない。
ジークハルトに追いついてきたユーリッドが、すんでのところで、氷の破片を叩き斬ったのである。

 白い息を弾ませながら、ユーリッドは、ジークハルトの腕を掴んだ。

「……っは、か、勝手に行動しないでくれ……。じっとしていられないって気持ちは、めちゃくちゃ理解できるけど……あんな中に突っ込んで行ったら、本当に死んじまうぞ」

 ジークハルトは、無言でユーリッドの手をほどいた。
召喚師同士の応酬に無策で突撃しようなんて、そんな無謀なことは考えていない。
だが、本当に何もせず貢献しないのでは、ルーフェンについてきた意味がない。

 葬樹そうじゅのほうをルマニールで指して、ジークハルトは呟いた。

「サーフェリアで見た時よりも、樹が大きくなっている。根の動きや再生速度も、速くなっているように見えないか? ここが闇精霊族の慣れた土地アルファノルだからそうなっているのか、単純に魔力が増したのか……原因は分からないが」

「え?」

 問われて、ユーリッドも葬樹そうじゅを見た。
明滅する雷撃と猛る樹根、巻き上がる氷霧のせいで、何が何だかよく分からない。
ただ、言われてみると確かに、葬樹そうじゅの枝葉が一層茂っているような気がする。

 ユーリッドは、眉をひそめて答えた。

「俺は魔術が使えないから、魔力の増減は感じ取れないけど……。ルーフェンとファフリに邪魔されて、アルファノルに戻されたから、怒ってるんじゃないか?」

「…………」

 ジークハルトは、雪に覆われた氷床の下に走る樹根を追って、再び走り出した。
エイリーンの特性も、力も、サーフェリアを襲おうとした動機も、詳しいことは何も知らない。
ただ、ルーフェンが魔力切れを狙っていたということは、少なくともエイリーンは、無尽蔵の魔力を持っているわけではない。
それが、サーフェリアからアルファノルに移動した短時間で回復したというなら、アルファノルに魔力回復の原因となる何かがある。
そして、木の補給方法といえば、一般的に考えるなら『樹根からの吸収』だ。
サーフェリアでも、街中に現れたのは、枝葉ではなく地中を通る根であった。

 氷中を通る根を辿っていくと、白くけぶった景色の先に、崩れかけた氷山が見えてきた。
見上げれば頂上が分かるので、高さはそれほどないが、横へは果てが見えぬほど長く連なっている。
その崩れた割れ目に、葬樹そうじゅの樹根が入り込んでいた。
近づいて見ると、中で凍っているものが、部分的に表面に露出していた。
氷の中に眠っていたのは、枯れた草木が巻き付いた、巨大な岩塊であった。

(岩……? いや、岩に生えた草木から魔力を補給しているのか?)

 樹根がわずかに脈打ち、氷中から魔力を吸い出しているように見える。
ルマニールを握り込むと、ジークハルトは樹根を突き裂いた。
樹根はすぐに再生し、再び岩塊に絡みついていく。
明確なことは分からないが、少なくとも、葬樹そうじゅがこの岩塊に執着していることは確かなようだ。

 ジークハルトは、息を切らして追いついてきた、ユーリッドとファフリを見やった。

「力を貸してくれ。この根と氷の塊を、どうにかして引き剥がす!」

 それだけ言って、ジークハルトは、風を纏わせたルマニールで、再生し続ける樹根を切断した。
何の説明もなく指示を出してきたので、ユーリッドは表情を曇らせたが、魔力を感じ取れるファフリは、ジークハルトの意図を察したらしい。
「分かったわ」と頷いて、魔術の炎で樹根を焼き始める。

 ファフリが従ったので、ユーリッドも、理解が追いつかないながら抜刀した。
岩塊にしがみつこうとする樹根を、一本、二本と斬り捨てていく。
ぼたぼたと氷上に落ちる樹根を残骸を見て、ジークハルトとファフリは驚いた。
ユーリッドが斬り払った樹根は、なぜか断面が再生していないのだ。

「ユーリッド、すごい……! どうやったの?」

「え? いや、別に普通に斬っただけだけど……」

 感嘆の声を上げたファフリに、ユーリッドが首を傾げて答える。
ジークハルトは、訝しげにユーリッドの剣を見た。
特殊な魔剣を使っている、というわけではないようだし、ファフリが攻撃した場合には根は再生するわけだから、獣人であることも関係なさそうだ。
何故ユーリッドの剣撃だけ有効なのか、理由が分からない。
だが、樹根を再生させない方法があるならば、これを活用しない手はない。

「ユーリッド、お前は根を斬ることに集中しろ。俺とファフリで、岩の方を動かせないか試す」

 了承したユーリッドが、再び剣閃を走らせる。
ジークハルトとファフリは、ユーリッドにより樹根と氷山が斬り離された隙に、それぞれ風と炎をまとった一撃を放った。
竜巻の如く燃え上がった炎が、氷山に激突する。
衝撃で氷の山肌がひび割れ、鈍い地響きと共に、氷壁の一部が崩落した。

 ガラガラと轟音を立てて雪崩れた氷塊が、地面に散らばって広がる。
岩塊を含んだ氷山は、微動だにせずそびえているが、表面の氷を地道に削っていけば、いずれ切り崩すことができるだろう。
岩塊を粉砕してしまえば、また新しい樹根が伸びてきたとしても、魔力の供給を断つことができるかもしれない。

 雷撃と氷塵ひょうじんが渦巻いている、ルーフェンたちがいるほうを警戒しながら、ジークハルトが再びルマニールに魔力を込めた──その時。
崩れた氷塊を見たファフリが、あっと声を上げた。

「待って、誰か人が倒れてるわ……!」

「は? 人……?」

 こんなところに人がいるわけがないだろう、と思いながらも視線をやると、ファフリが指差す氷上に、確かに人影らしきものが二体、倒れていた。
そのうちの一体は、人ではなく馬のように見える。
両者とも既に凍死しているのだろうか。
地面に落下して割れた氷の中から、うつ伏せに倒れた半身がのぞいている。


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