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投稿日:2026年01月06日





 三人で駆け寄って見てみると、馬のほうは死体ではなく、木のつるで編み込まれた人形であった。
といっても胴体と頭だけで、どうしてか四肢は欠けている。
おまけに氷漬けになっているので、少しでも衝撃を加えれば、砕けてしまいそうな有様だ。

 人の方は、生身の女のようだった。
脱げた頭巾フードから、黒っぽい暗褐色の短髪が流れ出ている。
分厚い外套の下に隠されていた手指は、氷のように冷え切っていて、血の気が全く感じられない。
しかし、その割に身体は柔らかく、死んでいるのかが定かではない。

 生死を確認しようとして、ジークハルトは、その身体をひっくり返した。
皮膚を覆う霜がパラパラと落ちて、青白い顔があらわになる。
その面差しを見て、三人は目を疑った。
──トワリスだ。
髪色は違うが、顔立ちと、頬の横にある狼耳を見る限り、間違いない。
アルファノルの氷山の中に、なぜかトワリスが閉じ込められていたのだ。

「えっ、ど、どういうことだ? なんでトワリスが……?」

 動揺した様子で、ユーリッドとファフリが顔を見合わせる。
ジークハルトは膝をつき、抱き起こしたトワリスの手首を握ったり、口元に手の甲を当てたりした。
呼吸も脈も、感じられない。
だが、凍りついていた死体にしては硬直がなく、仄かな体温はあるように思える。
仮死状態にでも陥っているのだろうか。

 凍った木人形を抱え上げて、ユーリッドが言った。

「よく分からないけど、一旦場所を移そう。このまま氷山を壊したら、トワリスも崩落に巻き込まれちまう」

 ああ、と応じたジークハルトが、トワリスの身体を担ぎ上げる。
しかし、次の瞬間。
突然、足下の氷に亀裂が走り、派手な地鳴りと共に、地面が大きく揺らいだ。

「────っ⁉︎」

 思わず体勢を崩したジークハルトに、吹っ飛ばされてきたルーフェンの身体が直撃する。
トワリスを手放して倒れ込んだジークハルトは、激突された痛みに呻きながらも、すぐさま起き上がった。
かたわらで立てずにいるルーフェンが、血と息を一緒に吐き出しながら、苦しげに喘鳴ぜんめいしている。

 ジークハルトは、ハッと振り返った。
身構える間もなく、頭上で持ち上がった巨大な樹根が、勢いよく振り下ろされてきた。
凄まじい軋み音と破砕音が響き、氷床が叩き割れる。
弾けた氷片が、光を乱反射しながら浮き上がった。
氷床の亀裂が網の目状に広がり、次々と足場が崩れていく。
樹根が暴れ回る衝撃で、ジークハルトたちはそれぞれ宙に投げ出された。

 移動には不向きな重い樹体から人型を切り離し、エイリーンは、ルーフェンを追ってきた。
濃い氷霧をかき分け、散り散りになった面々を睨み回す。
そして、馬の木人形──レクエスを抱えて氷上を滑っているユーリッドに狙いを定めると、樹根に変えた腕を伸ばして掴みかかった。

「──ユーリッド!」

 氷山の麓で転倒したファフリが、慌てて起き上がり、ユーリッドを守るように結界を展開する。
しかし、枝分かれして無数に襲いかかってくる樹根を、全て防ぐことはできなかった。

 結界を貫通した樹根が、ユーリッドの肩と脇腹を貫く。
抜刀し、樹根を斬り払うが、とても捌ききれる量ではない。
樹根と共に降ってきたエイリーンが、結界の上に着地した。
底光りする目でユーリッドを睨みつけ、もう片方の腕も樹根に変えると、エイリーンは大きく振りかぶった。

「それに、触るな──っ‼︎」

 怒号と共に発せられたエイリーンの魔力で、氷原全体が振動する。
結界を完全に粉砕した樹根の束が、ユーリッドに迫る。
──その時、飛来したルマニールが、エイリーンのこめかみに突き刺さった。
勢いで身体が傾いたことにより、樹根がユーリッドから狙いを外す。
刺突し翻ったルマニールが、エイリーンの頭部を捻じ切って回転し、主人ジークハルトの元に戻る。
仕留めた、と手応えを感じたが、エイリーンは倒れなかった。
首がもげたにも拘わらず、伸び上がった樹根を足場に平然と立て直すと、エイリーンは、今度はユーリッドとジークハルト双方に樹根を差し向けて来た。

「────っ!」

 視界一杯に広がる樹根が、濁流の如く押し寄せてくる。
ユーリッドは、一か八か、咄嗟に剣を捨てると、抱えていたレクエスを高く放り投げた。

 エイリーンは、ルーフェンを追撃してきたのに、いきなり狙いをユーリッドに変えてきた。
同じ召喚師であるファフリではなく、さしたる脅威ではないはずのユーリッドに狙いを変更してきたことには、きっと理由がある。
おそらく、「それに触るな」という怒号の『それ』は、氷漬けの馬の木人形を指すのだ。

 首の肉が盛り上がって、エイリーンの頭部が再生する。
その目が、ハッとレクエスを追ったのを見て確証を得ると、ユーリッドはジークハルトに向けて叫んだ。

「──あいつの狙いは馬の人形だ‼︎」

 その声を受け、弾かれたように顔を上げると、ジークハルトは防御を捨てて、突き出したルマニールを大きく横に振った。
巻き上がった飄風ひょうふうが、浮いたレクエスを勢いよく遠くへ飛ばす。
エイリーンは、ジークハルトとユーリッドには目もくれず、飛んでいったレクエスのほうへ方向転換した。

 レクエスを乗せた風を追って、エイリーンは樹根を伸ばした。
風が弱まり、落ちたレクエスが氷床に叩きつけられる寸前に、その身を樹根で受け止める。
もう動かないレクエスは、エイリーンの樹根の中で、無機質にコロリと転がった。

 ほっと息を吐き、レクエスを樹根で絡めとる。
外敵が侵入してきた今の状況では、いっそ取り込んでしまった方が、奪われる心配がなくなるだろうか。
そう思って、レクエスを樹根の中に引き込もうとした時、ふとあることに気づいて、エイリーンは身を凍らせた。
レクエスから、セルーシャの気配がしない。
レクエスに飲み込まれたはずのセルーシャの欠片が、いつの間にか無くなっていたのだ。

 慌てて氷原を見回し、エイリーンはセルーシャの気配を探した。
グレアフォールに人型の肉体を破壊され、セルーシャは見えない存在になった。
だが、完全に消滅したわけではなく、レクエスが奪取した小さな欠片には、微かにセルーシャの気配が宿っていた。
微精霊とも呼べないような、微弱な魔力の塊に成り果てたのかもしれないが、それでもセルーシャは、まだこの世界に留まっている。
そう信じていたから、決してその小さな灯火が消えないように、レクエスの残骸を守ってきたのに──。
まさか、人間や獣人に触れられたせいで、ただですら不安定だった魔力が霧散してしまったのだろうか。

 必死になって感覚を巡らせていると、ふと、吹雪に混じって、セルーシャの魔力が流れてきた。
弾かれたようにそちらに振り向き、エイリーンは、自身が叩き割って屹立きつりつさせた遠くの氷塊を凝視した。
──大丈夫だ。セルーシャはまだ消えていない。
おそらく、戦いの最中で、レクエスの口から欠片がこぼれ落ちてしまったのだろう。
セルーシャの魔力が濃くなる方へ樹根を差し向け、エイリーンは、重たい足を引きずっていったのだった。



 樹根がのたうった衝撃で吹っ飛ばされ、ルーフェンは、氷床に走った亀裂の隙間に転落した。
咄嗟に氷壁に木杖を突き立て、落下の勢いを殺す。
同時に、ルーフェンは、力なく投げ出されたトワリスの手を掴んだ。
氷片がパラパラと落ちてきて、視界にちらつく。
負傷した腕に二人分の体重がかかり、激痛が全身を突き抜けたが、木杖がうまく氷壁に食い込んだお陰で、ルーフェンたちはどうにか滑落を免れた。

 やがて全身の傷が塞がり、痛みが治ってくると、ルーフェンは力任せにトワリスを引き上げた。
魔術で氷壁を階段状に変形させ、木杖を回収し、氷上へ這い上がる。
抱え込んだトワリスの身体は、冷たく脱力していた。
髪が黒っぽく見えたので、別人の遺体だろうと思い込もうとしたが、引き寄せて覗いたその顔は、やはりトワリスの顔であった。

「……トワ……?」

 支え起こして名前を呼ぶが、返事はない。
唇は青ざめ、肌は真っ白で、呼吸も脈も感じられない。
指先が震え、次の言葉が喉の奥で凍った。
なんとか己の体温を分け与えることはできないかと、冷え切った彼女の手を握り込む。

 サーフェリアに残してきたはずのトワリスが、何故アルファノルにいるのだろう。
どうして、いつ、一体どうやって──?
湧き上がってきた混乱と動揺が脳内で渦を巻き、思考がまともに働かない。

 現実を直視できず、ルーフェンは目を瞑って、トワリスの身体をきつく抱きしめた。
嘘であってくれ、と祈りながら、声にならぬ声で、もう一度名前を呼ぶ。
──刹那、耳元で微かな息遣いを感じた。

「……っ、は……」

 白く濁った呼気が、ふわりと舞う。
ルーフェンは、弾かれたように身を離し、再びトワリスの顔を覗き込んだ。
ゆっくりと開かれた目が、ルーフェンを捉える。
黒みがかっていた髪は、気づけば元の赤褐色に戻っている。
不意に、泣き笑うようにして目尻に涙を滲ませると、トワリスは、ルーフェンの首に腕を回して、唇を震わせた。

「……よかった……。また、会えた……」

 ほとんど吐息のような、小さな掠れ声。
ルーフェンは、息を詰めたまま、そっとその背を抱き返すことしかできなかった。
極寒の氷原で、離れがたい温もりに包まれる。
トワリスがここにいるはずがない。
目の前にいる彼女は、もしかしたら死に際に見ている幻なのかもしれない。
それでも、このまま時間が止まればいいのに、と思った。
禁忌魔術を解けば死にゆく身体で、共に生き延びられる道がないなら、いっそこのまま二人で──と。

 だが、その時間は、瞬く間に終わってしまった。
ルーフェンの首にすがりついていたトワリスの腕が、するりと落ちる。
脱力した彼女の身体を支え直した時、氷の軋む音が近づいてきた。
現実に引き戻され、慌てて木杖を構えるや、氷床が割れ、地下から噴き出した樹根が襲いかかってきた。

 ルーフェンは、トワリスをその場に横たえ、彼女を庇うようにして前に立つと、結界を展開した。
大きく広がった樹根の束が、結界を破壊せんと覆い被さってくる。
──と思いきや、樹根はルーフェンには構わず、その背後で倒れているトワリスめがけて伸び上がった。

 ルーフェンは、心臓が縮む思いで素早く魔力を練り直した。
対するのが自分だけならば、一旦距離をとって、詠唱に時間を費やせる。
しかし、今はトワリスが後ろにいるので、引くわけにはいかない。

 樹根の隙間から人型を現したエイリーンが、今までには見せなかった憤怒の表情で、トワリスを睨みつけた。

「何故セルーシャの欠片を持っている⁉︎ 返せ──っ‼︎」

 その言葉の意味を考える間もなく、ルーフェンは木杖を振り抜いた。
発生した雷撃が宙を迸り、トワリスを貫かんとした樹根を焼く。
次いで、雷光を横薙ぎに走らせた。
氷床が砕け、割れた氷塊が迫り上がる。
ルーフェンは、焼き切れなかった樹根を、氷塊で強引に押し返した。

 足元の氷塊ごとひっくり返されて、エイリーンの樹体は横転した。
ルーフェンは、その勢いのまま、先程自分たちが落ちかけた氷床の裂け目へと、エイリーンを氷塊ごと押しやった。
エイリーンの目がぎらつく。
伸びた樹根が杭のように氷壁に刺さり、氷上に踏み留まろうとする。

「──落ちろ……っ!」

 ルーフェンは、木杖を逆手に持ち替え、杖先を地面に叩きつけた。
その動きに呼応して、雷撃が降り注ぐ。
樹根が焼け焦げ、自身を繋ぎ止めるものを失うと、エイリーンは裂け目の底へと沈んでいった。

 氷壁を引っ掻く音が、遠くで響いている。
荒く息を吐きながら、ルーフェンは、また意識を失ってしまったらしいトワリスを背負った。
理由は分からないが、エイリーンはトワリスを狙っているようだ。
であれば、この場に寝かせておくわけにはいかない。


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