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投稿日:2026年01月06日
* * *
乾いた風が砂塵を巻き上げ、荒涼たる大地をさすっていく。
初冬になっても、暑さを遮るものがないノーラデュースの日差しは、チリチリと皮膚を焦がす。
カヤクの馬を駆けていたジークハルトとギールは、見覚えのある窪地が現れたところで、ようやく足を止めた。
「確か、この洞窟だったか……」
岩場に馬を繋ぎ、ジークハルトたちは、窪地へと近づいた。
窪地といっても、激闘の末に崩れた瓦礫が流れ込んでいて、岩棚が平されているため、地上と底とに大した高低差はない。
二人は、瓦礫に足を取られぬよう気をつけながらも、素早く岩棚を駆け下っていった。
すると、底にある岩壁に、入口の半分ほどを土砂で塞がれた、大きな穴が見えてきた。
それはかつて、追跡して捕らえたルーフェンに、シャルシス王子を匿っていると偽られた、土蛇の棲む洞窟であった。
「……間違いありません、ここですね。銃痕や魔術痕も残っています」
削れた周囲の岩壁を見回し、ギールが呟く。
頷くと、ジークハルトは、用意していた長縄を腰に巻きつけた。
──攫われたシャルシスが、雪深いネール山脈の古城で、過酷な兵役生活を送っていた頃。
王宮の地下牢から脱獄したジークハルトとギールは、行方不明の王子シャルシスを捜索するため、そして、アルファノルの召喚師エイリーンとルーフェンの繋がりを明かすために、再びノーラデュースを訪れていた。
最後にシャルシスが目撃されたのは南方であるし、アレクシアが視たという、ルーフェンが地下に敷いていた魔法陣を見つければ、生死不明の彼がどういった形でエイリーンに協力していたのか、エイリーンはどのような方法でサーフェリアを貶めるつもりなのか、その手がかりが掴めるかもしれないと考えたからだ。
しかし、地上の人間であるジークハルトやギールが、無闇に奈落に踏み入れば、生きて戻れる保証はない。
ノーラデュースの地下は、底知れないほど深く、複雑に入り組んでいる。
その上、土蛇などの獰猛な肉食獣の巣穴にも繋がっており、当然、光は届かず、水や食料も得られないので、遭難すれば一巻の終わりだ。
そんな地下で、シャルシスの足跡や、ルーフェンの魔法陣を探して彷徨うことは、自殺行為に等しかった。
ジークハルトたちは、まずは地下道を案内できる者を探そうと、以前リオット族の女たちが隠れていた、ノーラデュースの旧砦跡に向かった。
だが、そこにリオット族たちの姿はなかった。
おそらく、前回の奇襲をきっかけに魔導師たちを警戒して、地下に引きこもってしまったのだろう。
今でこそ王都で働くリオット族もいるが、地上の人間と彼らの間には、元より軋轢がある。
それに、召喚師ルーフェンが死んだと流布された今、両者を繋ぐ架け橋は、彼らを雇うカーノ商会以外にない状況だ。
加えてジークハルトたちは、ルーフェンを捕らえた際、ノイと名乗るリオット族の娘を人質にとって脅してしまった。
ハインツの名前を出したところで、彼女たちが案内役を引き受けてくれるかどうかは、分からなかった。
それでも、なんとか地下を探る手段を得ようと、二人はこの洞窟にやって来た。
この洞窟ならば、ジークハルトは一度入った経験があるし、その時に土蛇も撃退した。
だからといって迷わないとは限らないし、二度は土蛇に襲われないという確証もないのだが、いきなり絶壁の大地の裂け目に飛び込んだり、入ったことのない洞窟を探して無策に突入したりするよりは、危険が少ないだろう。
願わくば、この洞窟の先で、シャルシスや魔法陣に繋がる情報を見つけたい。
希望的観測をするべきではないが、ルーフェンは以前、この洞窟の案内図を描いてみせた。
結局それは、ジークハルトたちを土蛇の巣穴に誘導する罠だったのだが、なんにせよ、描けたということは、ルーフェン自身も入って内部構造を把握した洞窟だったということだ。
シャルシスを匿っていたというのは嘘にしても、魔法陣を敷いた可能性は、あり得ないとは言い切れない。
あるいは、地下に隠れるリオット族と出会えたなら、それもまた成果と言える。
土地勘がなく、知らない地下道を案内なしで進めないのは、ルーフェンも同じだ。
つまり、彼が本当に地下に魔法陣を敷いたなら、その魂胆を知ってか知らずか、それに関わったリオット族がいるはずなのだ。
もし反発されて案内役を得られずとも、リオット族から話さえ聞ければ、何か道が開けるかもしれない。
都合の良い考えだとはわかっていたが、それ以外に、自分たちに出来ることは思いつかなかった。
ジークハルトもギールも、今は誇り高き宮廷魔導師ではなく、イシュカル教会に背いた背信者という身分になっていたが、ルーフェンの真意を確かめ、迫り来る危機があるならばサーフェリアを守りたいという思いは、共通して抱いていた。
長縄を腰に結び終わると、ジークハルトは、洞窟内の様子を窺っているギールに、縄の端を手渡した。
「とりあえず、この縄が届く範囲まで入って、ルーフェンやリオット族が残した痕跡がないか調べてくる。お前は縄を持って、ここに待機していろ。前に入った時は、縦穴も多かったから、この縄は命綱も兼ねている。俺がもし合図の笛を吹いたら、縄を引いてくれ」
「えっ? お一人で行かれるつもりですか?」
驚いた様子で、ギールが聞き返してくる。
魔槍ルマニールの柄で、洞窟の入口周辺の瓦礫をどかしながら、ジークハルトは頷いた。
「二人で入って、落磐にでも遭ったら終わりだ。それに、洞窟内は狭い。土蛇に遭遇した時も、一人の方が動きやすいだろう」
「でしたら、僕が入りますから、団長はここでお待ち下さい」
ギールの返答に、ジークハルトは眉を寄せた。
「俺は一度、この洞窟に入ったことがある。おおよそでも、構造を把握している俺が入った方が良いだろう。何が起こるか分からないからな」
ギールは、頑なに首を振った。
「いいえ。何が起こるか分からないからこそ、僕が行くべきでしょう。ハインツさんも仰っていた通り、団長は、この先のサーフェリアに必要な存在です。万が一にも、こんなところで命を落とすようなことがあってはなりません」
悲壮感を滲ませるでもなく、投げやりになっている様子もなく、ギールはただ、真っ直ぐな口調でそう申し出た。
ジークハルトは、迷ったように沈黙した。
だが、やがて、ギールが縄を腰に巻き付けてしまうと、自分の腰に結んでいた縄を解いた。
王宮の地下牢を抜け出してから、ギールはこのように、ジークハルトに対して神妙な態度をとることが多くなっていた。
魔導師団を退団したも同然な状況で、もう上官部下の関係ではなくなったのだから、気を遣う必要はないと言っているが、ギールは未だに、ジークハルトのことを"バーンズ団長"と呼ぶし、危険な役回りがあれば、率先して自分が請け負おうとする。
その献身ぶりは、魔導師団に不信感を募らせていた以前のギールには、見られなかった殊勝さであった。
なぜ彼が心変わりしたのか、ジークハルトには、正直分からなかった。
根底にあるのが忠義心とはいえ、ジークハルトは結果的に、私情を優先した末の脱獄に、ギールを巻き込んでいる。
そのことは、ジークハルトも心苦しく感じているし、ギールとて、このような形で軍部を裏切るのは本意ではなかっただろう。
元より彼の目的は、召喚師ルーフェンへの復讐を果たし、生まれ変わった新興魔導師団で、己の正義を貫くことだったはずなのだ。
それでもギールは、ジークハルトが「無理に同行する必要はない」と言うと、「自分で選んだことなので、ご迷惑でなければ供させて下さい」と返してきた。
そして、以前よりもむしろ心定まった様子で、ジークハルトに付き従うことを望んだのであった。
洞窟の構造を口頭で確認し、暗闇に踏み込もうとしたギールの背に、ジークハルトは声をかけた。
「……ギール。もう一度聞くが……お前、本当に良いのか?」
振り返ったギールが、意味を問うように首を傾ける。
ジークハルトは、言いづらそうに目を伏せた。
「今のイシュカル教会は、軍部内の非教徒の弾圧に躍起になっている。もはや手段を選ばず、その脅威は、お前の親類や親しい人間にも及ぶやもしれん。現に、ストンフリーの一派は、モルティスの手の者に落とされたようだしな。
それに、ハインツの証言を頼りに進めば、この先で俺たちが相手取るのは、他国の召喚師一族だ。もし敵対することになれば、おそらく無事では済まないだろう。……この状況で、俺について来て、本当に良いのか?」
ギールは、少し意外そうに瞬いてから、苦笑を浮かべた。
ジークハルトの中にある迷いを感じ取って、今更何を言っているのだと、呆れたような笑みだった。
「団長もご存知ではないですか。僕は、召喚師への復讐心から宮廷魔導師団に入団することを決め、けれどもその意向には従えず、通じていた教会の思想にも共感できず、最終的に、背信者と見なされた貴方の正義に従った、とんだ命知らずですよ。この期に及んで、どうして教会や召喚師一族などを恐れ、逃げ帰るというのでしょう」
こちらを見たジークハルトに、ギールは、頷いてみせた。
「僕の身内は、皆アーベリトで亡くなりました。唯一、子供の頃にお世話になった叔母は存命ですが、彼女は既に敬虔なイシュカル教徒ですし、他家に嫁いで、レドクイーンの姓を名乗ってはいませんので、教会に狙われることはないでしょう。……ですから、大丈夫です。もう僕には、失うものは何もありません」
「…………」
言い終えてから敬礼すると、ギールは、洞窟の中に入っていった。
暗がりに消えていく、その背中を見送りながら、ジークハルトは、もう同じような愚問は呈すまいと決めた。
落ちぶれた自分の暴挙に、ギールを巻き込んでしまった罪悪感は、きっとこの先も拭えないだろう。
けれどもジークハルトは、彼が周りに何を言われようとも、己の信じた道を違わぬ男だということを、よく知っている。
ギールには、一度抱いた信条を、命を賭けて突き通せる強さがある。
危うくも感服させられる、その真っ直ぐさが、今は心強い。
気が咎めるからと、ここで引き返せと突き放すのは、そんなギールの決死の覚悟を疑うことであり、軽視することに他ならなかった。
腰に巻いた長縄と岩壁に触れながら、ギールは、慎重に洞窟の奥へと進んでいった。
足下を照らすのは、南の城塞都市ライベルクで購入した、ほんのりと光るシシムの磨石の明かりだけ。
先を見るには心許ない光量だが、魔術による炎や光などは、あえて灯していなかった。
前回、ルーフェンに騙されて魔術の炎を持ち込んだジークハルトとアレクシアが、炎を嫌う土蛇に、まんまと襲われる羽目になったからだ。
(……騙されて、か……)
暗闇の中を歩いている内に、ギールはふと、この洞窟の前で、ルーフェンを捕らえた時のことを思い出した。
もう半年近くも前のことだが、あの男とのやりとりは、一言一句鮮明に覚えている。
「俺を殺しても、レドクイーン家の人間は二度と生き返らない」と、そう嘲ったルーフェンの笑みを、ギールはきっと一生忘れない。
今思えば、あれらの会話は全て、ギールにハイドットの弾丸を撃たせるための挑発だったのだろう。
しかし、言葉が誘導のための嘘だったとして、そんなことは、何の慰めにもならない。
事実、ギールの両親や工房の職人たちは死に、かつてと同じレドクイーン商会の再興は、永遠に叶わないのだから。
結局、ルーフェンが奈落で死んだという確固たる証拠は掴めぬまま、ギールは魔導師団を出た。
シュベルテに戻ったばかりの頃は、奴が生き延びている可能性があるならば、探してとどめを刺さねば──という強い疑念と執念に駆られていたが、時間を経て今は、召喚師はもう死んだのだと考えるようになっていた。
というよりは、そう思い込むべきだと、自分に言い聞かせられるようになった。
実際、ジークハルトたちの言う通り、状況を考えれば、ルーフェンへの復讐は遂げられたと言って良い。
しかし、そのように理性的に考えられるようになった一方で、心に根強く残った憎しみは、未だ燠火となって燃え続けている。
元より、復讐すれば気が晴れるなどとは思っていなかったが、燻った熱を抱え続けることは、想像以上の苦痛を伴った。
自分は、この息苦しさとやるせなさを、今度は突如としてハインツたちを襲った、アルファノルの召喚師とやらの謀略を暴こうとすることで、解消しようとしているのだろう。
復讐を遂げても尚、召喚師一族に対する憎悪に囚われている。
そんな不自由な己の生き方を思うと、今更ながら虚しさを感じたが、それでも、現在の王宮に身の置き場がなくなった自分には、ジークハルトの正義に同調し、付き従うことしかできないのであった。
物思いしながら、三つ目の枝道を曲がった時。
不意に、嫌な臭いが鼻をついて、ギールは立ち止まった。
地下の冷たい空気に、微かだが、饐えた腐臭が混じっている。
死体でも放置されているのかと思ったが、こんな場所に入り込む人間はまずいないだろうから、あるとすれば、洞窟内に棲む生物か、リオット族の死体だろう。
(一番可能性が高いのは、以前団長たちが倒した、土蛇の死骸だが……)
ギールは、肩にかけていた銃剣を構え、辺りの気配を探りながら、再び歩き始めた。
しばらく進むと、黒く塗り込めたような闇の先に、岩壁が現れた。
最初から行き止まりだったのではない。
落盤して雪崩れ込んだ天井や側壁の石片が、岩壁の如く、行手を塞いでいるのだ。
ギールは、それらの瓦礫に触れ、魔力が使われた形跡が残っていないかを調べた。
確かジークハルトは、以前土蛇を倒したのは、四つ目の分岐を曲がった辺りだと言っていた。
だが、今ギールがいるのは、三つ目の分岐点である。
つまり、この岩壁は、ジークハルトたちが争ったことで出来たものではない。
後々自然発生的に崩れ落ちたのか、別の土蛇がぶつかったのか、あるいは──。
その時、岩壁ではなく、足下の方から魔力を感じて、ギールは、反射的に銃口を地面へ向けた。
感知した途端に途絶えた、ごくわずかな魔力の残滓。
見計らったかのように消えたということは、魔法陣などの固定された術式から発せられるものではなく、何者かがギールの存在に気づいて、慌てて魔力を抑えたのだろう。
そこに、リオット族の存在を確信すると、ギールは銃剣の構えを解き、思い切って声を出した。
「リオット族のどなたか、聞こえていますか! 私は、ギール・レドクイーン! かつて、貴方達と契約を結んでいた、レドクイーン商会の者です。お聞きしたいことがあるので、どうか出てきては頂けませんか……!」
ギールの声は、さほど大きくなかったが、静かな洞窟内では反響して、遠くまで響き渡った。
しかし、待っても返答はない。
あえて『召喚師』や『魔導師』といった言葉は、出さなかった。
だが、以前に出会ったリオット族の女たちならば、ギールの声や顔は知っているはずだから、やはり警戒されているのだろうか。
ギールは、次いで地面をコツコツと踏んで確かめながら、先ほど感じた魔力の波を、再びたどろうとした。
リオット族は、地下では土蛇の肉を食べるのだという。
ノーラデュースに残っている女子供たちが、今でも腐肉を漁るような食生活を送っているとは思わないが、例えば、死骸におびき寄せられた生きた土蛇を狩ろうと待ち伏せている、というようなことは考えられるだろう。
なんにせよ、この場所以外に、ギールたちが踏み込める洞窟はないのだ。
広大な地下空間で、幸運にも見つけられた手がかりを、絶対に見逃してはならない。
ギールは一歩、また一歩と後ずさりながら、地面越しに深層空間の気配を探った。
もう一度、害意はないのだと声をかけても良いが、無闇に騒いで、土蛇を刺激することは避けたい。
長縄もいずれ上限の長さまで伸びてしまうし、地道な作業だが、下りの道が塞がれている以上は、魔力を頼りにリオット族を追跡するしかなかった。
そうして、黙々と魔力探知を続け、更に一歩下がった時。
突然、右足を置いた地面が崩れ、ギールは、瓦礫と共に闇の中へ放り出された。
咄嗟に長縄を握り、銃剣の先を岩壁に突き立てて、落下の勢いを殺す。
──が、ギールが落ちたのは、ほとんど垂直に近い斜め穴だったので、速度を落とし切ることはできず、身体は為す術なく急斜面を滑り落ちていった。
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