トップページへ
目次選択へ
投稿日:2026年01月06日






 弾かれた樹根が地を叩く。
轟音を立てて、蜘蛛の巣状のひび割れが氷床に走った。
振り切られた別の樹根が、ふっと氷霧を晴らす。
その合間を縫うように炸裂した雷光が、樹皮を焼き炭化させる。

 氷の底から這い上がってきたエイリーンを、ルーフェンは、雷撃と氷槍で迎撃した。
灰と氷煙が巻き上がり、鋭い氷片が、矢の如く飛び交う。
ルーフェンは足下の氷を蹴り割り、雷撃を縦横に走らせた。
襲いくる樹根は焦げて裂けるが、間断なく伸び上がる新しい根が、変わらぬ勢いでルーフェンの身を刺し貫かんとする。

 握力が弱って落としかけた木杖を、ルーフェンは、慌てて握り直した。
息が苦しい。魔術の精度も落ちてきている。
傷は再生しているはずなのに、身体を動かすたび、筋骨が軋んでいる感覚がある。
しかし、まだ倒れるわけにはいかない。
ファフリたちがアルファノルから出る、その時までは、エイリーンを足止めするのだ。

 光と熱が爆ぜ、破裂した樹根がぼたぼたと氷上に降り注ぐ。
エイリーンは舌打ちすると、次なる樹根の束をルーフェンに差し向けた。
四方八方から押し寄せてきた樹根が、ルーフェンの退路を塞ぐ。
木杖の動きに合わせ、また雷撃が跳梁ちょうりょうしたが、次の瞬間、落ちていた樹根の残骸に足を取られて、ルーフェンは蹴躓けつまずいた。

 その隙を狙っていたかのように、地を這っていた樹根が突き上がる。
熱い衝撃が胸部を打ち抜き、視界が赤く弾ける。
次いで、脚の自由を奪うかのように、別の樹根が両腿に突き刺さった。

「──っか、は……ッ!」

 そのまま後頭部と背中を氷床に叩きつけ、一瞬意識が遠のく。
声の代わりに、血泡が口から溢れ出した。

 エイリーンは、緩慢な足取りで近づいてくると、やっと捕まえた獲物を品定めするように、ルーフェンを見下ろした。
ルーフェンは、エイリーンを睨み上げた。
反撃したいが、激痛で頭が回らない。
いっそ意識を失えたら楽になるのだろうが、自ら施した禁忌魔術が、それを許さない。

 樹根によってえぐられた肉が、強引に塞がっていく。
再生しようとする肉が、突き刺さった樹根を、外に押しやろうとギチギチ締め付ける。
それに抗った樹根が、一層深く体内に刺さるたび、悶絶するような痛みが全身を駆け巡った。

 焦点が合わなくなってきて、目の前がぼやけ始める。
エイリーンは、そんなルーフェンを踏みつけにしながら、おかしそうに口角を吊り上げた。
そして、再生しかかった腹部の傷に、もう一本樹根を突き刺すと、フッと鼻を鳴らした。

「……なんだ貴様、人間にしてはやけにしぶといと思ったら、己に不死の術でもかけていたのか?」

「……っ」

 巻きついてきた樹根が、ルーフェンの胸骨をぎしぎしと絞め上げる。
肺が圧迫され、呼吸しようとする度に、血が喉に迫り上がってくる。
苦悶の吐息しか漏らせないルーフェンを見て、エイリーンは、愉快そうに笑った。

「馬鹿め、不死の身体を自ら選ぶなど……。苦痛に耐えきれず、じきに狂うぞ。傷は治っても、精神が壊れる。わたしですら狂いかけたのだ……。脆い人間に、耐え切れるはずがない」

 ルーフェンにのしかかると、エイリーンはその首を掴み、徐々に力を込めていった。
不死の苦しみは、人間の身体で例えるならば、きっと常に首元を絞められているような感覚に近い。
飢えても、渇いても、窒息しそうになっても、心臓がドクドクと脈打つ感覚だけは続く。
もうやめてくれと叫ぼうにも、その声は音にならない。
そういう拷問のような苦しみが、未来永劫に終わらないのだ。

 耳元まで血が詰まり、頸椎けいついが悲鳴を上げる。
朦朧もうろうとしているルーフェンを見下ろして、エイリーンは笑みを深めた。

「どうした? もう耐えられなくなったか……?」

 鋭い爪が食い込んで、首筋からも血が流れる。
エイリーンが更に手に力を込めようとした──その時。
不意に、どこからか魔力の波動が流れてきて、エイリーンはハッと顔を上げた。
氷霧の向こうに見える、ぼんやりとした氷山ガルガナディエの影付近で、見覚えのある陣の光が浮かび上がっている。
──移動陣だ。ミストリアの召喚師が、移動陣を展開しているのだ。

 エイリーンはルーフェンから手を離し、移動陣の元へ向かおうとした。
アルファノルから他国へ飛ぶ手段が、まだ残っていたのだ。
ルーフェンに構っている場合ではない。

 喉を解放されたルーフェンは、大きくむせ返りながら、残された全ての力を指先にかき集めて、木杖を持ち上げた。
身を翻したエイリーンの背に、木杖を突き込む。
鳩尾の辺りから飛び出した石突を見て、振り返り、エイリーンは忌々しげに目を細めた。

「……しつこい」

 木杖を握っている諦めの悪い腕に、更に樹根を突き刺す。
掴んだルーフェンの頭を、氷の上に叩きつけた。

 ルーフェンは、声にならない呻きを上げた。
だが、エイリーンの手指の間から覗く銀の瞳には、まだ強い光が宿っている。
その光を見て、エイリーンは、ルーフェンの目的を悟った。
耳目じもくを覆うような、やたらと派手な術ばかり繰り返してくるとは思っていたが、おそらくこの男は、ミストリアの召喚師たちがアルファノルを脱するまでの、時間稼ぎをしようと目論んでいたのだろう。

「…………」

 不意に、エイリーンの脳裏に、セルーシャを消滅させられた時の、古代樹の森での出来事が蘇った。
往生際が悪いルーフェンの無様な姿が、グレアフォールを相手に抵抗できなかった、哀れな自分と重なった。
あの時のエイリーンも、今のルーフェンと同じように、手も足も出ない状況に絶望していた。
しかし、目の光は失わず、グレアフォールとリーヴィアスを睨みつけていた。

 あれから千年以上──不死の呪いをかけられ、墓場アルファノルに幽閉され、幾度も失意のどん底に突き落とされた。
それでも、グレアフォールへの復讐だけは、諦めようと思ったことがない。
気が狂いそうになるたび、脳裏にあの時の光景を浮かべ、黒ずみ始めた視界に血の色を戻した。
どのような苦痛を、どれほど長くグレアフォールに強いられようとも、あの時の憎悪を忘れなければ、きっと耐えられる。
耐えてやる、耐えてみせるから──いつか、全てを果たした時、セルーシャと同じ場所に還れますように、と。

 樹根を振り上げ、ルーフェンを叩き潰す。
血に塗れたルーフェンの四肢が、ついに動かなくなったのを確認すると、エイリーンは腹から木杖を引き抜き、移動陣の元へと向かった。

 ファフリたちは、氷山の麓にいた。
ファフリの手の甲から溢れ出している光が、足下の氷床に移動陣を転写し、ミストリアへの入口を開いている。

 エイリーンは、早く移動陣に飛び込まねばと、樹根を脚として素早く動かした。
幸いなことに、ジークハルトとユーリッドも、まだ移動陣に入っていない。
転送するには時間がかかるはずであるから、三人も残っているならば、しばらく移動陣は閉じない。──まだ間に合う。

 エイリーンは、こちらに気づいて身構えたファフリめがけて、勢いよく突進した。
ジークハルト、ユーリッド、ファフリの三人が、それぞれ違う方向に退避する。
三人には目もくれず、エイリーンは、我先にと移動陣に飛び込んだ。
──が、その瞬間、移動陣が閉じた。

「──今だ……!」

 ジークハルトの声が響く。
氷床に着地したエイリーンが、状況を理解する間もなく、複数の巨大な氷塊が、轟音と共に氷山から滑り落ちてきた。
巨岩ガルガナディエの一部を含んだ氷が、エイリーンの人型と樹根を押し潰す。
同時に、ファフリによる結界が二重、三重と張られて、エイリーンを閉じ込めた。
移動陣は、エイリーンをこの場に呼ぶための罠だったのだ。

(小癪な……!)

 エイリーンは、氷塊の下から樹根を伸ばして、幾重にも展開されているファフリの結界を叩き割った。
いくつも落ちている氷塊の隙間を縫い、樹根を結界外に出す。
しかし、振り回そうとした樹根は、誰かに斬り払われた。
すぐさま再生させようとするが、なぜか再生しない。
怪訝に思って、エイリーンは眉を寄せた。
三人の中に非理が混じっているのだろうか。
いや、ミストリアの召喚師による攻撃は、受けても再生できたから、非理だとしたら、人狼族の男か人間の男だ。
一体どちらなのか。
確かめようにも、周囲が氷塊に囲まれているので、彼らの姿を視認できない。

 仕方なく樹根を戻し、一旦時間を置くと、断面は再び再生するようになった。
だが、その隙に結界を再構築されて、空けた穴を塞がれてしまった。

 苛立ちながら、エイリーンは、今度は多数の樹根を同時に伸ばした。
抵抗を繰り返した後に、結界をぶち破ったそれらは、氷塊の間を抜けて散開する。

 急に数が増えた樹根を見て、ユーリッドは肝を冷やした。
自分に襲いかかってきた一本一本を、ひたすら斬っていくだけで精一杯だ。
ファフリの結界のおかげで、樹根の勢いは削がれている。
勢いの弱まった樹根は、重くて巨大な氷塊をそう簡単には蹴散らせないので、氷塊の合間を縫って動くことになる。
氷塊は、ジークハルトによって計算された場所に落ちているので、樹根がどの隙間から出てくるかも、なんとなく予想がつく。
しかし、出てくる場所は同じでも、まとめて斬れるほど柔い樹根ではないので、同時に何本も現れると全ては捌ききれない。

 斬り逃した樹根が、ユーリッドの背後で唸る。
しまった、と振り返り、貫かれることを覚悟したが、次の瞬間、強風と共に落下してきた氷塊が、その根を地に打ちつけた。

「──二陣、行くぞ……!」

 ジークハルトの指示を受けて、ファフリが自身の周りにも結界を張った。
うねる樹根を跳躍して飛び越え、ユーリッドも、その結界内に滑り込む。
氷山の中腹あたりに駆け登ったジークハルトは、あらかじめ削っておいた氷中の岩の継ぎ目に、熱風を纏ったルマニールを突き込んだ。
崩れた氷塊が、いくつも氷山を転がり落ち、エイリーンの樹根の上に降り注ぐ。
氷山を構成する氷は、恐ろしく硬かった。
だが、その芯となっている巨岩をよく見ると、手のような形をしており、所々に節があった。
その節部分の氷を熱の刃で何度も何度も削り取ると、巨岩入りの氷塊を転がし落とすことができたのだ。

 氷塊の雪崩と一緒に駆け降りると、ジークハルトはルマニールを振るい、風の刃を放った。
切りつけた樹根は、すぐに再生してしまう。
しかし、ジークハルトの目的は、樹根を切り刻むことではない。
自分はルーフェンのように大規模な魔術を連発できるわけでもなければ、ユーリッドのように再生しない剣撃を繰り出せるわけでもないのだから、そんな徒労に終わるような攻撃はしない。
ジークハルトの目的は、氷塊に風をぶつけて転がし、なるべく密集させることだ。

 視界が氷塊に覆われている中、手探りでジークハルトたちを薙ぎ倒そうとしていたエイリーンは、いつの間にか樹根のいくつかが動かなくなっていることに気づいて、わけが分からず歯噛みした。
樹根の上に、氷塊がのしかかっている。
大した攻撃ではない。
ただ重しを乗せられて、動きを封じられているだけだ。
けれども、それによって生じた不自由さが、意外にエイリーンの苛立ちを加速させた。
斬られたり焼かれたりすれば、再生することも一旦引くこともできるが、完全な形のまま氷上に繋ぎ止められてしまうと、どうすることもできないのだ。

 エイリーンは、人型本体を押し潰している氷塊にも、複数の樹根を伸ばした。
だが、それも上手く退かすことができなかった。
この氷塊の中には、ガルガナディエの一部が入っている。
氷に根差すことはできても、硬い岩肌に根を張るには、時間を要するのだ。


- 73 -


🔖しおりを挟む

 👏拍手を送る

前ページへ  次ページへ

目次選択へ


(総ページ数84)