トップページへ
目次選択へ
投稿日:2026年01月06日
苛立ちが頂点に達し、エイリーンは身を震わせた。
樹根を氷中に潜らせ、氷塊の重みがかからない外側へと向かわせる。
ズンッ、と氷床が沈み、並んでいた氷塊が揺れ動いた。
地鳴りをあげて氷中を突き進んだ樹根が、氷を割って地上へ飛び出す。
そして、氷塊を蹴散らし、ファフリの結界を打ち砕き、解き放たれた猛獣の如く、ジークハルトたちに襲いかかった。
「────っ⁉︎」
まずい、と身を強張らせたジークハルトが、防御の姿勢をとる。
ファフリは、慌てて結界を張り直そうとしたが、間に合わない。
間に合ったとしても、勢いづいた樹根に貫かれれば、即席の結界などまたすぐに破壊されてしまうだろう。
先端を尖らせた樹根が、ジークハルトたちを貫こうとした──刹那。
視界が発光し、大気を裂く雷鳴が鼓膜を貫いた。
縦横無尽に駆け巡った雷光が、樹根を一瞬で焼き焦がす。
雷撃と共に氷塊の上に降り立ったルーフェンは、血の絡んだ咳をしてから、不満げにジークハルトを睨んだ。
「……折角帰る時間を稼いでやったのに、何やってるんだよ」
ジークハルトは、瞠目してルーフェンを見た。
それから、わずかに口角をあげ、悪びれもなく答えた。
「かってぇ氷を削ってた」
ルーフェンは、呆れたように息を吐いた。
同時に、木杖に全ての魔力を注ぎ込むと、再生しかかったエイリーンに、再び雷撃を落とした。
限界を無視した一撃が、樹根を消し飛ばす。
あまりの威力に、ジークハルトたちは、目を開けていることもままならなかった。
(……頼むから、これで消えてくれ……!)
血の味を噛み締めながら、ルーフェンは更に雷撃を強めた。
これ以上は魔力が続かないし、身体も持たない。
ジークハルトたちが帰らないというなら、どうにかして、この一撃でエイリーンを消滅させるしかない。
雷撃の余波だけで氷床が割れ、氷霧が消し飛ぶ。
再生したそばから焼き尽くし、エイリーンの反撃を許さない。
氷が溶けた岩塊の下で、熱と光に苛まれながら、エイリーンは呻吟した。
ルーフェンによる雷撃が絶え間なく、樹根の再生が追いつかない。
岩塊を引っ掻く手は、痺れて痙攣している。
そうして悶えている内に、周囲を囲むように、ファフリの結界が再構築され始めた。
雷撃と共に閉じ込められる前に、範囲外へ逃げなければ──と考えていた時。
雷鳴をすり抜けて、不意に、頭上から、エイリーンの名を呼ぶ声が聞こえてきたような気がした。
炭化した樹根から人型を分離させ、なんとか岩塊の下から這い出す。
視線を上げて、エイリーンは目を見開いた。
──そうだ、上だ。
上空になら氷塊はないし、非理の剣撃は及ばない。
ルーフェンの攻撃は届くだろうが、エイリーンがここから動けば、狙いを定め直すための隙ができる。
結界の上に出て、雷撃の中から抜けた瞬間に樹根を再生させれば、その一瞬で反撃可能になる。
両脚を樹根に変化させ、岩塊と結界の隙間に身体を入れ込む。
雷撃の熱で全身が燃え上がったが、エイリーンも、渾身の魔力を込めて、崩れかけた樹根で跳ね上がった。
──かつて、地上の光を目指した時と同じように。
エイリーンは、上へ上へと伸び上がり、結界を突き破った。
雷撃の外に脱出すると、冷たい風が吹き付けてきた。
目に飛び込んできたのは、変わらぬ白い景色。
吹雪の音に混じって、もう一度、エイリーンの名を呼ぶ声が聞こえてくる。
声がした方向へ目を凝らすと、氷山の上で蹲る人影が、じっとこちらを見つめていることに気づいた。
(……お前は……?)
目が合うと、その人影は、もたついた動きで氷山から飛び降りた。
落下してくる姿を、エイリーンは愕然と見上げた。
巻き上がる吹雪と氷霧を受け、ふわりと黒髪が翻る。
視界は白く靄がかっているはずなのに、その姿は、毛の一本まで鮮明に見える。
まるで、その一瞬一瞬が切り取られた、複数の絵画を見せられている気分だ。
落下してくる速度が、水の中にでもいるかのように、ゆっくりと遅く感じる。
手を広げて、まっすぐこちらに落ちてくる。
その顔立ちと、瞳の色を認めた瞬間、エイリーンは息を呑んだ。
(……セルーシャ……?)
エイリーン、とまた名前を呼ばれた気がした。
同じように手を広げると、セルーシャは、その腕の中に迷いなく収まって、抱きついてきた。
身体が触れ合った瞬間、それぞれの四肢が樹根に変化し、互いの人型を呑み込んだ。
セルーシャの根がエイリーンの生命を吸収し、混ざり合い、魔力を均衡させて一つに溶け合っていく。
上下に広がり、膨らみ、複雑に絡まり合っていく。
結界や氷塊の表面を覆い、瞬く間に氷床に根付いた樹根は、次いで、薄白い幹枝を形成した。
太く、高く、幹枝が伸び上がっていく。
樹体が大きくなればなるほど、根差した樹根も一層深く、強く氷中に突き刺さっていく。
ややあって、広がった枝々に新芽が芽吹くと、紫白の葉が、ザワッと音を立てて茂った。
唖然とするジークハルトたちには、これらの出来事が、ほんの一瞬に思えた。
一呼吸する間に、見上げるほどの大樹が、氷霧の中に聳え立ったのだ。
だがそれは、エイリーン一人で形成した巨木とは違う。
二種の樹体が互いを喰い合いながら混ざった、原初の姿に近い、生まれ変わった葬樹の若木であった。
けれども、葬樹の若木は、それ以上に成長することはなかった。
氷山の高さを越したところで、唐突に葉が枯れ、樹皮が黒ずみ、枝を落としていく。
消耗したエイリーンの魔力が、大樹として成熟する前に尽きたのだ。
樹体が傾き、パキパキと亀裂を走らせながら、緩やかに枯死していく。
大きく裂け始めた幹が、ついに自重を支えきれなくなると、折れた葬樹の上部が、勢いよく倒壊してきた。
枝葉の重みが氷床を叩き割る、轟音が響き渡る。
衝撃で足場が波打ち、割れた氷片が飛び散る。
氷床の深層まで届いていた樹根が枯れ朽ち、地下に空洞ができたことで、地盤が沈んだ。
足下に亀裂が広がり、氷床が斜めに迫り上がった。
その傾斜に沿って、氷塊が次々と転がり落ち、ジークハルトたちも足を滑らせた。
「──うわ……っ!」
転覆した氷床の下敷きになりかけて、ユーリッドが叫ぶ。
慌てて別の氷床に飛び乗ったが、今立っている場所も、いつ沈下したり隆起したりするか分からない。
ファフリは、ユーリッドの近くに駆け寄ろうとしたが、激しい揺れのせいで立ち上がることもできず、その場に膝をついた。
ジークハルトは、氷にルマニールを突き立てて踏み止まろうとしたが、転がってきた氷塊と枯れ枝に巻き込まれて、大きく吹っ飛ばされた。
氷塊の上にいたルーフェンも、足場の振動と崩壊に抗いきれず、宙に投げ出される。
枯死した葬樹が、完全に崩れ落ちると、氷の大地は一際大きく震動した。
しばらくして、揺れが収まっても、パキパキと氷がひび割れる音は止まなかった。
今までの戦いの影響もあり、アルファノルの氷の地盤が弱まっているのだろう。
足下に走る亀裂が、刻々と広がっている。
氷片で切った傷跡を拭いながら、よろよろと立ち上がったジークハルトは、辺りを見回した。
氷霧の向こうに、もう巨木の姿はない。
あるのは、折れて落下した幹枝と、剥離した樹皮、枯葉などが山のように積み重なった、葬樹の残骸だけであった。
(……終わった、のか……?)
ジークハルトは、白い息を吐きながら、残骸の周りを歩いた。
かさついた木片と枯葉が、冷たい風に攫われていく。
黒ずんだ葬樹からは、もう魔力を感じないし、再生する気配もない。
エイリーンの姿も、どこにも見当たらなかった。
氷中に残っている根本部分に辿り着くと、そこにはユーリッドとファフリがいた。
二人して屈み込み、何やら話している。
駆け寄ると、二人が囲んでいたのは、倒れ込むトワリスであった。
ユーリッドが枯死した樹根を斬り裂き、その中から彼女を引きずり出したのだろう。
その四肢には、まるで先程まで葬樹と一体化していたかのように、樹根が絡みついている。
だが、樹根を取り除いてみれば、その表面はトワリスの手足と分離していた。
木肌のように変質していた一部の皮膚も、肌色に戻っている。
赤褐色の髪からも、黒みが抜けており、ちゃんと呼吸もしているようであった。
氷同士がぶつかり合うような地響きが、遠くから聞こえてきた。
不安げにそちらを一瞥してから、ファフリが言った。
「今度こそ、皆でミストリアに飛びましょう。ここもいつ崩壊するか分からないわ」
「ああ、そうだな」
頷いたユーリッドが、トワリスの身体を抱え上げて背負う。
ジークハルトは、少し待ってくれ、と制止をかけると、駆け足で氷床が沈降している方へ向かった。
「──おい、ルーフェン! どこだ!」
大声で呼びかけながら、周辺に転がっている樹根や氷塊の影を見て回る。
返事はなかったが、あちらこちらに視線を走らせている内に、ルーフェンの姿を発見した。
ルーフェンは、砕けた氷塊にもたれかかって、目は閉じていた。
声をかけても反応はないが、肩が浅く上下している。
まだ生きているし、一応は五体満足の状態だ。
しかし、地の色が分からぬほど赤黒く染まっているローブを見れば、彼の身体がどんな傷を負っているのかは、一目瞭然であった。
「……聞こえるか? 起きろ。アルファノルから出るぞ。あのエイリーンとかいう闇精霊は死んだ。お前がここに留まる理由は、もうないだろう」
「…………」
肩を軽く揺すると、ルーフェンは、微かに瞼を持ち上げた。
ぼうっとした様子で荒廃した極地の光景を見て、再び目を閉じる。
ケホケホと軽く咳き込んでから、ルーフェンは掠れた声で返した。
「……死んだ……? 何があったの」
「さあな。正直、俺もよく分からん。トワリス……だったのかも不明だが。あいつが『エイリーンのところに連れて行け』と言うから、その発言に賭けて、上への退路を作った結界内に奴を閉じ込めたんだ。エイリーンが上に逃げたところで、俺も氷山に登って、そこで待機しているトワリスと一緒に、エイリーンに対峙するつもりだった。……が、いきなり巨大な木が生えて、かと思いきや枯れて、気づいたらこうなっていた」
「…………」
「まあ、トワリス擬きが何かしたんだろう。詳細は目を覚ましたら聞けばいい。……とにかく、もうエイリーンの魔力は感じないし、あの根が再生する様子もない。分かったら立て。今は脱出が先だ」
「…………」
聞こえているのか、いないのか、ルーフェンは無反応であった。
無理矢理に維持していた気力と体力が、一気に抜けてしまったのだろう。
仕方なくルーフェンの腕を掴むと、ジークハルトは、その身を引き寄せて背負い上げた。
完全に脱力した、死人のような人間の重みを感じながら、ジークハルトは来た道を戻った。
耳元で微かに聞こえる呼吸音が、徐々に弱まっていく。
ルーフェンの身体を少し揺すって、ジークハルトは声をかけた。
「……おい、ここで死ぬな。今更出てきたお前と、エイリーンが大暴れしたおかげで、おそらくサーフェリアは大混乱だ。他国の召喚師が侵入したとかしていないとか、今頃教会が大騒ぎしているに違いない。……もう一度死ぬなら、責任をとって事情を説明し、その騒ぎを収めてからにしろ」
肩越しに、ふ、と乾いた笑みがこぼれた。
「……勘弁してよ。他国の召喚師は、君が退けた、ってことで……後処理も、ついでに頼むよ。そういうの、俺には向いてないの、知ってるでしょ……?」
ルーフェンの睫毛が、ゆっくりと落ちていく。
再び揺すって、ジークハルトは、不機嫌そうに言い返した。
「ふざけるな。いきなり失踪した上に、面倒ごとばかり残して、何が『ついでに頼む』だ。なんの事前予告もなく好き勝手して、後始末ばかりこちらに投げやがって」
「……前にお願いしたじゃん。……あとは頼む、って」
「は? 知らん。一体いつの話だ」
問いかけてから、ジークハルトはふと、ルーフェンが教会に告発された時のことを思い出した。
シャルシスを人質に取ったルーフェンは、ジークハルトと一戦交えた後、そういえば確かに、「あとは頼む」と言い残して、謁見の間の扉窓を割って出ていった。
深くため息をついて、ジークハルトは不平を言った。
「あんな一方的でどさくさ紛れの頼み、有効なわけがないだろう。第一、俺は──」
そこまで言って、言葉を切る。
ジークハルトは、一旦足を止めた。
背中に伝わってくる体温が、次第に下がっていく。
「……ルーフェン?」
呼びかけても、返事はなかった。
耳元でか細く続いていた呼吸音が、途絶えている。
ジークハルトは、言葉の続きを呑み込むと、ルーフェンの冷たくなった身体を背負い直した。
(……俺は、お前の代役を引き受けるなんて、承諾した覚えはない)
戻ってきたジークハルトに気づいたファフリたちが、安堵の表情で駆け寄ってくる。
しかし、その表情は、背負われているルーフェンの様子を見て、ハッと強張った。
沈黙が落ち、吹雪の唸りが場を支配した。
無慈悲な氷の崩壊音は、着実に近づいてきている。
ユーリッドに促され、濡れた目を覆いたくなるのを堪えながら、ファフリは、移動陣を展開したのであった。
To be continued....
- 74 -
🔖しおりを挟む
👏拍手を送る
前ページへ 次ページへ
目次選択へ
(総ページ数84)