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投稿日:2026年01月06日




最終章──闇の系譜
最終話『芽吹めぶき





 コンコン、と扉を叩いてから、ファフリは城内の客室に入室した。
窓明かりに照らされた寝台に、ルーフェンが横たわっている。
その傍にある丸椅子には、トワリスが腰掛けている。
トワリスは振り返ると、ファフリを見て薄く微笑んだ。

「……ファフリ、おはよう。どうしたの?」

「うん。……あのね、食事をトワリスの部屋に運んでもらったから、どうかなって」

「ああ、ありがとう。あとで頂くよ」

「…………」

 ここ数日、毎回そう答えながら、トワリスはほとんど食事に手をつけていない。
一瞬迷ってから、そのことには言及せず、ファフリも寝台に近づいた。
寝台の上のルーフェンは、呼吸をしておらず、さながら精巧な蝋人形の如く、永遠の眠りについている。

 アルファノルから脱出して、早五日──。
ジークハルトとトワリスは、ファフリの賓客ひんきゃくとして、ミストリアの王城に滞在していた。
ジークハルトは怪我の治療を受け、問題なく立ち歩けるようになったし、トワリスも到着した翌日に、何事もなかったかのように目を覚ました。
しかし、ルーフェンは、傷一つ残っていないにも拘らず、いつまでも目を開けなかった。

 トワリス曰く、ルーフェンは、禁忌魔術により負傷前の状態に時間が巻き戻されているだけで、実際には既に致命傷を負って、もう生きられない身体なのだという。
かつて、同じ禁忌魔術を使っていたルーフェンの母シルヴィアも、死亡後しばらくは若々しい容姿のままだったが、魔力が完全に尽きて術が解けた瞬間に、老いた本来の姿になったらしい。
いずれルーフェンも、負った傷が身体に戻ったら、死んでしまうのだろう。
涙を見せずにそう語ったトワリスの、感情を押し殺したような淡々とした表情が、見ていて痛々しかった。

「……トワリス、大丈夫? ちゃんと眠れてる?」

 ファフリが尋ねると、トワリスは、少し困ったように肩をすくめた。
わずかな間を落としてから、こくりと頷く。

「うん……大丈夫。何日も厄介になってる上、色々心配かけちゃってごめん」

「そんなことは気にしないで。トワリスは私達の恩人なんだし……むしろ、何日でもいてほしいくらいだわ」

 ファフリが明るい口調でそう返すと、トワリスは微笑みを深めた。
けれども、その目の下にある影は、昨日よりも更に濃くなっている。
彼女の「大丈夫」という言葉は、全く信用できない。
そう思ってしまうくらいに、トワリスの顔は、日に日にやつれていた。

 短く息を吐いて、トワリスは呟いた。

「……確かに、ファフリがいいって言ってくれるなら、ミストリアで暮らすのも良いかもしれないなぁ。私、半分は獣人だし。ルーフェンさんも……サーフェリアに帰りたいって思ってるかどうか、分からないし」

「…………」

 薄く開いている窓から、花の香りが混じった風が、そよそよと流れ込んでくる。
トワリスは、遮光布カーテンの向こうに広がる外の様子を、どこか寂しげに眺めた。
口ではそう言いつつ、きっと内心では、トワリスは、サーフェリアに帰りたいのだろう。

 ファフリは、トワリスの手をぎゅっと握った。

「私は、トワリスがこうしたいって思うことに、何でも協力するから。……沢山食べて、ゆっくり休んで、考えが決まったら教えてね」

 それだけ言うと、ファフリは、客室を後にしたのであった。



 部屋を出ると、扉の外の廊下に、ユーリッドとジークハルトが立っていた。
ユーリッドが、心配そうな面持ちで「どうだった?」と尋ねてくる。
二人に歩み寄り、首を振ると、ファフリは小声で答えた。

「トワリス、全然眠れてないと思う。顔色も悪いし……このままじゃ倒れちゃうわ。体調が万全じゃないのに帰すのは不安だけど、いっそサーフェリアに戻ってもらった方が、心が休まるかしら。口では『ミストリアで暮らすのも良いかも』なんて言ってたのだけど、私には、トワリスが本心からそう思っているようには見えなくて……」

 かく言うファフリの表情にも、濃い疲労の色が滲んでいる。
腕組みをし、壁にもたれかかると、ジークハルトはため息混じりに言った。

「……今のサーフェリアに、トワリスの居場所はない。といっても、俺も現在の王宮がどういう状況なのか、正確に把握しているわけではないが……。
トワリスは、ルーフェンの謀略に加担して討たれた、反教派の宮廷魔導師の一人である、と世間には認識されている。つまり、生きていることが発覚してはならない身の上だ。もしサーフェリアに戻るなら、今後は素性を隠して暮らさなければならない。ルーフェンも、ああなった以上は……サーフェリアに帰る理由がない。それが分かっているから、トワリスは、ミストリアに残ることも考えているような発言をしたんだろう」

 ファフリは、表情を曇らせた。

「それでミストリアに残ることが、トワリスにとって納得できる道なら、私は構わないんだけど……。なんだか、その話をした時のトワリス、寂しそうな顔してたから……」

 重苦しい沈黙が、二人の間に広がる。
空気を一掃するように、ユーリッドが、二人の肩をポンポンと叩いた。

「ま、まあ、別に今日急いで決めることはないんじゃないか? 俺だって、二年前にサーフェリアに亡命した時、このままミストリアに戻ることはないのかもって考えたら、やっぱ色々思うところがあったしさ。どちらに住むかなんて、そんな簡単に結論を出せることじゃないだろ。時間はあるんだし、気持ちが定まるまでじっくり考えればいいさ」

「それは、そうなんだけど……」

 俯いたまま、ファフリは言い募った。

「実は、ミストリアとサーフェリアを繋ぐ移動陣が、最近不安定なの。この城に隣接する林に敷いてあって、毎日様子を見に行ってるんだけど……陣に刻まれている王族文字が、少しずつ薄くなっていて」

「え? どういうことだ。使えなくなるってことか?」

 目を見張ったユーリッドに、ファフリは不安げな瞳を向けた。

「分からない。でも、移動陣はそもそも、サーフェリアの召喚師一族が編み出したものだから……。……こんなこと、言いたくないんだけど、このままルーフェンさんが完全に死んでしまったら、シェイルハート一族の血は絶えることになるでしょう? 本当に私の推測でしかないのだけど、もしそうなったら、サーフェリアの召喚師一族由来の術が効力を失う、ってことも、ありえるのかなって……」

「…………」

 表情を変えたジークハルトが、何か言いたげに、ガシガシと後頭部を掻く。
彼の言わんとしていることを察して、ファフリはジークハルトに向き直った。

「……ジークハルトさん、よかったら、先にサーフェリアに帰りますか? このこと、トワリスには言えてないんですけど、本当に移動陣が効力を失ってしまったら、もうサーフェリアに帰る手段がなくなってしまうから……」

「…………」

 そうしてもらえるなら有難い、と答えようとして、ジークハルトは言葉を呑み込んだ。
こちらを見上げているファフリの顔が、トワリスに負けず劣らず、憔悴していたからだ。

 少女然とした振る舞いをするので、つい忘れてしまいそうになるが、ファフリはこのミストリアの女王で、獣人族の現召喚師だ。
アルファノルから帰還してからも、政務に追われているようだったし、空き時間には、先程のようにトワリスの元へ行って、彼女の状態に気を配っている。
眠れていないのは、ファフリも同じなのだろう。

 移動陣は、ジークハルトのような宮廷魔導師でも、一人では到底扱えない、大量の魔力を消費する術式だ。
いくら召喚師一族とはいえ、今のファフリに、消耗の激しい移動陣の使用を頼むのは、些か酷なように思えた。

 魔力は持たないながら、ユーリッドも同じ心配をしていたのだろう。
ジークハルトが何かを言う前に、ユーリッドが口を開いた。

「なあ、ファフリ。移動陣が不安定、って言っても、そんなすぐ使えなくなることはないだろう?」

「え? ……うん。断言はできないけど、術式自体が消えかけているわけじゃないから、今日明日ですぐに、っていう可能性は低いと思う」

 曖昧なファフリの答えを、半ば押し切るようにして、ユーリッドはジークハルトに言った。

「だったら、帰るとしても、悪いが明日以降にしてくれないか? 俺は術者側になったことがないから、そこまで詳しくないけど、移動陣って使う側も使われる側もすごく負担がかかるだろ? ファフリも、最近疲れてるんだ。ジークハルトだってまだ完璧に怪我が治ったわけじゃないし、使うなら、ちゃんと休んでからのほうがいいと思うんだ」

 ファフリは、ユーリッドの袖を引っ張って「私は大丈夫だよ」と主張した。
だが、ユーリッドは聞かなかった。

 小さく嘆息すると、ジークハルトはユーリッドの言葉に同意したのであった。


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