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投稿日:2026年01月06日
ユーリッドに休むように言われて、ファフリは、久々に自室の寝台に倒れ込んだ。
まだ日の高い時間帯で、窓の外は明るい。
だが、寝台の柔らかさに身を埋めた瞬間、強烈な眠気が襲いかかってきた。
実際、ユーリッドの言う通り、ここ数日はろくに休めていなかった。
片付けなければならない雑務が多く残っていたし、何より、ルーフェンの助けになりきれなかった己の不甲斐なさを思うと、呑気に眠る気にはなれなかったのだ。
しかし、そんな胸中とは裏腹に、いざ体を横にすると、自然と瞼が重たくなっていく。
靴や上着を脱ぐのも忘れて、ファフリは、すうっと深い眠りに落ちていったのであった。
不意に、甘やかな花の香りが漂ってきた。
ミストリア城の近隣に咲く、リディアの花の匂いではない。
嗅ぎ慣れてはいないが、熟れた果物のような、とても甘い香りであった。
心地よく微睡んでいると、どこからか、ピィピィと甲高い鳥の声が聞こえてきた。
この声は知っている。ファフリが使役している悪魔──カイムの鳴き声である。
その声に起こされる形で、ふと目を開くと、ファフリはいつの間にか、美しい森の中にいた。
眩い陽光が、新緑の葉々をくぐり抜け、光の筋となって差し込んでいる。
下草は柔らかく、鮮やかな花々が咲き、その間を蝶が飛び交っている。
──夢だ、夢を見ている。
自覚して立ち上がると、ファフリは、ここはどこだろうと怪訝に思いながら、首を巡らせた。
ひらりと舞い降りてきた淡黄色の小鳥──カイムが、近くの枝葉に止まって、再びピィピィと鳴く。
頭上を旋回し、飛んでいったカイムを追って、ファフリは歩き出した。
カイムが出てくる夢には、何か意味があることが多いからだ。
緩やかな登りの森道を進んでいくと、前方にある木の影から、細身の女が現れた。
耳が長く尖っており、絹糸のように美しい金髪を靡かせているその風貌には、人間とも獣人とも違う、形容し難い神秘的な雰囲気がある。
見たのは初めてだが、直感的に分かった。
彼女はおそらく、精霊族だ。
「……ミストリアの召喚師、こちらへ」
精霊族の女は、ファフリの前に出てきてそう言うと、先導して森道を進み始めた。
着いていくべきなのか迷って、カイムを見上げると、カイムは、そこで役目を終えたかのように、ふっと消えてしまった。
やはり、これはただの夢ではない。
ファフリは、こくりと息を呑むと、その女の後を追った。
やがて、森道を抜けると、視界に収められないほど巨大な古木が立っている、開けた空間に出た。
周辺を囲む木々も、どれも立派な大木だったが、最奥に一本構えている古木は、桁違いに大きい。
風が吹き抜けるたび、天蓋のように広がっている木々の枝葉が、会話でもしているかのようにザワザワと鳴っていた。
古木があまりにも天高く聳えているので、ファフリは、呆然と上を見ながら広間に踏み入った。
あまり足元を見ていなかったので、何かに躓いて、転びかけた。
自身の爪先に当たったものを見て、ファフリは目を見張った。
ファフリが躓いたのは、草地に倒れ込むルーフェンだったのだ。
「ル、ルーフェンさん……⁉︎」
仰天して声をあげてしまったが、ルーフェンは、一切反応しなかった。
だが、ミストリアでの様子と違って、その顔には生気が宿っていた。
目は閉ざしているが、肌には血の気があり、微かにだが呼吸もしている。
ファフリは、唇を震わせた。
そして、ルーフェンの肩を揺らし、繰り返し名前を呼んだ。
そうすれば、目を覚ましてくれるような気がしたのだ。
ルーフェンを起こすことに夢中になっているファフリに、精霊族の女が、冷水のような声をかけてきた。
「……あまり刺激を与えるな。それは『代用』だ。グレアフォール様が死の間際に繋ぎ止めた、器のない思念体。脆くて崩れやすい」
「だ、だいよう……? どういう意味ですか?」
わけが分からず問い返したが、女の精霊はそれ以上は何も答えず、巨大な古木の方へと歩いて行った。
女の行先を視線で辿り、古木の根元を見やると、そこには、他にも何人かの人影があった。
真っ先に目を奪われたのは、古木の樹根で形成された椅子に座る、大柄な精霊族の男であった。
女と同じ、豊かな金髪と長く尖った耳を持ち、動かぬ瑠璃色の瞳で、じっとこちらを見ている。
その左隣の根元には、銀髪の老爺と、灰白の肌をした黒髪の子供がいた。
老爺の方は、耳が丸いので人間のようだ。
しかし、もう死んでいる。
いかにも高価そうなローブを纏っているが、その裾から覗く四肢はミイラの如く細く、膝を抱えた姿勢のまま、ぴくりとも動かない。
子供の方は、獣人で言えば三、四歳くらいに見える、尖った耳の精霊族であった。
その瞳は橙黄色で、長い漆黒の髪を垂らしている。
もしや、エイリーンと同じ一族なのだろうか。
「あ、あの……貴方は……?」
恐る恐るファフリが声を発すると、彫像のように不動だった精霊族の男が、ゆっくりと唇を開いた。
「……我が名はグレアフォール。精霊族の王、この森ツインテルグを護る召喚師である」
抑揚のない、ゆったりとした口調。
ファフリは目を見開いて、無意識に背筋を伸ばした。
信じる根拠はないのに、彼が精霊王だという事実が、すんなりと腑に落ちた。
そう思えるだけの神聖さと威厳が、この森とグレアフォールには満ちている。
グレアフォールの右手に控えて、女の精霊が、「ミストリアの召喚師です」とファフリを紹介した。
グレアフォールは、何かを見定めるように、じっとファフリのことを見下ろしていたが、不意に老爺の死体を示すと、淡々と問うてきた。
「獣人族の王、ミストリアの召喚師。……そなたは、この人間の男を蘇らせることはできるか?」
「……え?」
思わず聞き返すと、グレアフォールは、もう一度同じことを聞いてきた。
「この人間の男を、蘇らせることはできるか?」
「……よ、蘇らせる? 生き返らせるってことですか?」
「そうだ」
いきなり突拍子もないことを切り出されて、ファフリはつかの間、ぽかんとしてしまった。
死んだものを生き返らせる方法なんて、聞いたことがない。
第一、その老爺は誰なのだろう。
自分がここに呼ばれた理由も、唐突に見知らぬ老爺を蘇生できるかと尋ねられた理由も、何もかも分からない。
首を振って否定してから、ファフリは、おずおずと問い返した。
「あ、あの……その人は誰なんでしょうか? もう既に亡くなっていますよね。死んだ人を生き返らせる方法なんて、あるんですか?」
グレアフォールは、静かに肯定した。
「ある。……この男は、リーヴィアス・シェイルハートという、千年以上前に生きていた人間の王族だ。最初に種族の隔絶と大陸の分断を提案し、召喚術を編み出した、召喚師一族の祖でもある。
リーヴィアスは、蘇生の魔術をも生み出し、死んだ自身の子を蘇らせた。だが、その術の行使方法を語らぬまま、病を患って死んでしまった。以降、蘇生の魔術を成功させた者は、どの種族にも出ておらぬ。我はずっと、それができる者を探している。……いかにしても不可能か、ミストリアの召喚師」
「…………」
再び尋ねてきたグレアフォールに、ファフリは返事をしなかった。
というより、できなかった。
思考が追いつかず、グレアフォールの言葉の意味を理解するのに時間がかかっていたのだ。
黙っているファフリに代わり、女の精霊が進言した。
「グレアフォール様、やはり獣人族の手には余るかと。彼らは魔術に秀でた種族ではありませぬゆえ」
わずかに目を細めてから、グレアフォールは、今度はルーフェンを指差した。
「では、その男ならばどうか」
「……ど、どう、って?」
「そなたは、その男と交流がある。思い入れのある今代の人間の召喚師であれば、生き返らせることができるか」
困惑の表情を浮かべながら、ファフリは、ルーフェンに視線を移した。
グレアフォールは、無感情に言い募った。
「その召喚師は、死後も己の魔力で肉体を動かしていたが、今は、我の魔力で肉体と思念とを繋ぎ止めている。だが、この状態では、精霊族の影響力が薄まるサーフェリアには留まれない。
……リーヴィアスの子を喰らい、強引に召喚術を手に入れた葬樹を除いて、召喚師は三人。この世界に、必ず三人。誰一人として欠けてはならぬ」
「…………」
「此度、葬樹が原因で、サーフェリアの召喚師一族の系譜が絶えてしまった。その代わりとして、一人蘇らせる必要がある。過去に死んできたサーフェリアの召喚師の中で、いずれか一人を生き返らせるならば、最も強力な力を持っていた始祖リーヴィアスであるべきだ。しかし、もしそなたが、今代の人間の召喚師のほうが蘇らせようという気になる、ということであれば、『代用』として、その男でも良い。それがあるべき流れとも言える」
「…………」
全身が冷たく強張っていくのを感じながら、ファフリは、尚も黙り込んでいた。
ルーフェンを蘇らせる方法があるなら知りたい──という思いも、一瞬よぎった。
しかし、今はそれよりも、グレアフォールの価値観に対する違和感や恐怖心の方が、先行していた。
話の通りなら、リーヴィアスは、ルーフェンの祖先ということになる。
グレアフォールは、リーヴィアスが召喚術や蘇生魔術といった強力な魔術を扱える人間だったから、後々生き返らせるために、その肉体を保存していたということだろうか。
千年以上もの長い間、弔いもせず、その力を復活させたいがために──?
ファフリは、膝を抱えて眠っている、枯れ木のようなリーヴィアスの亡骸を見つめた。
リーヴィアスがどんな人間だったのか、ファフリは知らない。
けれども、蘇生魔術については語らずに逝ったわけだから、きっと彼には、その術を後世に伝えたくないという思いがあったのだ。
それなのに、術の復活のために、死してなお異種族の元に留められていたなんて。
死人に感情なんてものはないのかもしれないが、リーヴィアスの気持ちを想像すると、胸が痛んだ。
ルーフェンのことを、リーヴィアスの代用物扱いしていることにも、腹が立った。
召喚師が必ず三人必要な理由が、何なのかは知らないが、だからといって、そんな扱いは死者への冒涜としか思えない。
ぎゅっと拳を握り込むと、ファフリは、再び首を振った。
「……私は……私には、できません。やり方も知らないし、リーヴィアスさんは、それを望んでいないと思うから……」
「…………」
グレアフォールは、一度目を閉じ、開いた。
瑠璃色の瞳が、奇妙な光を湛えて、何かを見通している。
少し間を置いてから、グレアフォールは、中性的な灰白の肌の子供を見やった。
「……仕方がない。では、エイリーン、やはりそなたが蘇らせよ。非理に堕ち、サーフェリアの召喚師の血を絶やしたのはそなただ。全ての力を用いて、その血を蘇らせるのだ」
(エイリーン……?)
グレアフォールの発言を聞いて、ファフリは耳を疑った。
確かに、リーヴィアスの側にいる精霊族の子供は、葬樹らしい特徴を備えている。
だが、ファフリの知るエイリーンとは、あまりにも見た目の年齢が違う。
そもそもエイリーンは、アルファノルでルーフェンやジークハルトによって倒されたのではないのか。
ファフリは、思わず口を挟んだ。
「待ってください! その、精霊族? 闇精霊族……の子って、エイリーンなんですか? エイリーンは、アルファノルで死んだはずじゃ……」
樹根の王座の近くに葬樹の子を呼び寄せ、グレアフォールは答えた。
「大精霊に、死という概念はない。力を失って消滅し、古代樹に還ることはあるが、此度のエイリーンの場合はそうではない。非理の混血に寄生して、肉体を得た片割れのセルーシャが、更にエイリーンを喰らい、微精霊化させたのだ。
葬樹には、かつて、我が人間らしい形を与えた。人間らしく思考し、人間らしく執着し、ともすればリーヴィアスと同じく、蘇生の魔術を使えるようになるかと期待していた。だが、そうはならなかった。
エイリーンのことは、不死の召喚術を施し、種として保存していた。いずれ消滅したセルーシャを蘇生させるのではないかと、アルファノルに置いて様子を見ていたが、その執着が我への憎悪に転じ、思わぬ変化を生じて非理に堕ちてしまった。セルーシャは、消滅させたつもりであったが、取り逃した欠片から自力で復活した。結果、エイリーンと互いに喰い合って、共に微精霊化して別々に霧散してしまった。
……作り方を、間違えたのやもしれぬ。故に、微精霊化したエイリーンをこのように呼び寄せ、再び力を与え、新しい人型を与えた」
「…………」
ファフリは、無表情で立っている、葬樹の子を見つめた。
まだ理解が追いつかない部分はあるが、アルファノルで一体何が起こって葬樹が発芽し、枯死したのかは、おおよそ分かった。
目の前にいる葬樹の子は、微精霊化とやらを遂げたエイリーンで、グレアフォールが別の人型と魔力を与えて新生させた、エイリーンであってエイリーンではない精霊、ということだ。
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