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投稿日:2026年01月06日
* * *
眼下に見える庭木が、膨らんだ蕾の先から、淡い緑をのぞかせている。
街路や家々の屋根には、まだ雪が点々と残っているが、吹き抜ける風には、柔らかい春の匂いが混じっていた。
領主邸の高窓から身を乗り出したシャルシスは、スッとその匂いを吸い込んで、久々に感じるシュベルテ外の空気を堪能していた。
街の方からは、陽気な音楽が流れてくる。
邸の外郭の向こうに見える大通りでは、赤や青の美しい刺繍が施された、分厚い毛織りの民族衣装に身を包んだ人々が、楽しげに手を取って踊っている。
本来であれば、立派な氷像が立つ広場には、子供たちが残雪をかき集めて作ったのであろう、拙くも可愛らしい雪だるまがいくつも並んでいた。
毎年初冬に行われる、北方の文化都市ウェーリンの『雪祭り』は、今年は例年より遅れて、春真っ只中に開催されることとなった。
イヨルド・マイゼンが裏でシュベルテへの内乱を画策して罪に問われたことや、その後に起こった樹根の出現騒動などにより、祭りどころではなかったのである。
今年はもう中止になるのだろう、と諦めていたシャルシスの元に、ガシェンタから、新王即位の祝辞の書状と共に、遅い雪祭りの招待状が届いたのは、つい先日のことであった。
言ってしまえばそれは、ウェーリンが宗主都市であるシュベルテとの関係修復を図る、必死の詫び状であった。
シャルシスは以前、ルーフェンとの旅途中で、奴隷売買を隠れ蓑とした少年兵の徴用に巻き込まれ、危うく命を落としかけた。
それら内乱予備の首謀者、イヨルド・マイゼンは、事件後に消息を断ち、現在も行方を探されている指名手配犯だ。
彼は、異母兄であるウェーリンの領主、ガシェンタの名を語り、凶行に及んでいた。
後の調査で、本物のガシェンタは、イヨルドの謀略には一切関与していないことが分かった。
だが、マイゼン家の人間が、自身の管轄領内で内乱を企み、挙句王子まで危険に晒したことは事実である。
通例であれば、同家当主のガシェンタも共に斬首を命じられ、ウェーリンはシュベルテの属領から外されておかしくないくらいの重い事態だ。
しかし、シャルシスは、ガシェンタの謝罪を受け入れ、招待にも応じて、ウェーリンの雪祭りに出席した。
これでシュベルテと北領の関係が切れてしまうのは惜しい、と考えたこと。
また、シャルシス自身も、半年近くも王宮を出て諸領を巡っていたことを世間に明かされるのは困る、と思っての判断であった。
護衛の宮廷魔導師に、そろそろ高窓を閉めるように言われ、シャルシスは身を戻した。
その時、後ろから声をかけられて、シャルシスは振り返った。
「──ご機嫌麗しゅう、シャルシス陛下。シュベルテでの戴冠式以来でございますわね」
ブルネットの巻き髪を揺らしながら、優雅に一礼する。
淑やかな所作で近づいてきたのは、北東の港湾都市ハーフェルンの女領主、ロゼッタであった。
彼女も最近、父のクラーク・マルカンから爵位を継いだ身だ。
そういえばナジムは、無事にハーフェルンに辿り着けただろうか、などと考えながら、シャルシスも挨拶を返した。
「マルカン侯、そちらも壮健そうで何よりだ。そなたも招待されていたのだな」
「ええ、北領とはかねてから縁がありまして。……このところ物騒な事件が続きましたから、ご招待頂いた時には、大丈夫かしらと不安も過りましたけれど、そんな凶兆を晴らしてしまうくらいの華やかな会で、私、感動しておりますわ」
言いながら、ロゼッタが、きらびやかに装飾された広間内を見渡す。
彼女が真っ先に見上げた壁面には、雪の結晶を模した銀細工や、大判のタペストリーが飾られている。
巨大な食卓に出されているのは、寒冷地でたっぷりと脂肪を蓄えて育った、羊や牛の贅沢な肉料理だ。
今までの雪祭りの式典には見られなかった、派手で豪華なもてなしに、招待された他の領主達も、早々に杯が進んでいる。
この気合の入った接待ぶりからも、諸々の悪評をどうにか払拭しようという、ガシェンタの必死さが窺えた。
すでに満腹で膨れた自分の腹を撫でて、シャルシスは頷いた。
「確かにこの上ない、むしろこちらが恐縮してしまうくらいのもてなしだ。さっきなんて、余のために特注したとかで、つけたら耳たぶが千切れるのではないかと思えるくらい重い耳飾りとか、指が閉じられなくなるくらい巨大な宝石がついた指輪とか、色々もらったぞ。あと、立派なハクジカの毛皮の外套を、五着ももらった。あれはすごいぞ! ハクジカを仕留めるのは本当に大変だからな」
ロゼッタは、栗色の目を丸くした。
「まあ……陛下は狩猟のご趣味もお持ちでしたの?」
「いや、そういうわけではないのだが……ハクジカは、一度本物を見たことがあるのだ。多分、そなたが思い浮かべている想像の五倍は大きいぞ。あとでもらった毛皮を見せてやる。あれなら、これから余の身長が倍くらいまで伸びても、余裕で着られる」
ふふん、と鼻を鳴らし、広げた両腕で、ハクジカの大きさを表現する。
ロゼッタは、上品に口元を覆って、顔を綻ばせた。
「そのように陛下がお喜びと知れば、マイゼン伯も胸を撫で下ろしましょう。即位直後のお忙しい中で、こうして雪祭りにも足を運んで……。陛下は、とてもお優しいのね」
突然、チクッと棘を含む言い方をされて、シャルシスは、しまったと冷静になった。
ハーフェルンは、王都シュベルテとも交流が長い、カーライル王家が最も信頼している大都市だ。
しかも、新当主のロゼッタは二十代半ばで、領主達の中では若いので、話していると、つい友人相手のような感覚で接してしまう。
だが、彼女は意外と抜け目のない、気が強い女性である。
ロゼッタはきっと、本心では「本当にガシェンタを許して良かったのか?」と釘を刺しにきたのだ。
コホン、と咳払いをして、シャルシスは背筋を伸ばした。
「……いや、誤解のないように言っておくが、余は別に、優しさで喜んでいるふりをしたわけではないぞ。そなたと同じように、ガシェンタのもてなしには感動した、と感想を述べただけだ」
ロゼッタは、シャルシスの顔を、上目でじっと見つめた。
「左様ですか……。シャルシス様は、何と言いますか、素直で誠実なお方ですのね。バジレット様は、あまり多くを語らない、凛とした佇まいが素敵なお方でしたけれど」
褒められているのか、遠回しな嫌味を言われているのか図りかねて、シャルシスは、ロゼッタを探るように見つめ返した。
「そ、そうか? まあでも、お祖母様も、王族として振る舞っていない時は、口数が増えることもあったぞ。余も昔は、正直怖い人だと思っていたが、余の即位が決まって、晩年にお話をした時は、辛いこともあろうが頑張れと応援してくれた」
「あら、そうでしたのね。私は、こういう王族として振る舞うべき場でしか、バジレット様をお見かけしたことがなかったから……」
「……う、うむ。それは、そうであろうな……」
いや、これは褒められているのではないな、と確信して、シャルシスは口を閉じた。
褒められるどころか、ロゼッタはおそらく怒っている。
王族として振る舞う場で、一体何をはしゃいでいるのか。
甘い判断でガシェンタを許した上に、贈り物一つでそんな子供のように喜ぶ姿を見せたら、余計に舐められるだろうが──というのが、彼女の本音だろう。
羊肉が美味しい、ハクジカの毛皮がでかい、などと興奮していた自分の言動を振り返って、シャルシスは反省した。
お祭りや祝いの場は、民達にとっては楽しく騒ぐ場だが、王族貴族にとっては、腹の探り合いと駆け引きが行われる油断ならない社交の場だ。
国王として出席している以上は、王族らしく振る舞え、というロゼッタの説教は、反論しようのない正論であった。
シャルシスは、ちらりとロゼッタの顔色を伺った。
決して笑顔を崩さない鉄仮面の奥で、他にも何を思われているのか分からない。
シャルシスも表情を引き締めると、ロゼッタに近づき、わずかに声を落とした。
「……マ、マルカン侯」
「なんでしょう?」
「まあ、その……シュベルテの決定は、ハーフェルンや他領の動き方にも影響するから、色々と思うところもあるのだろうが……。余とて考えなしの判断をしているわけではないから、そこは安心して欲しい。無論、厳しい決定を下して、他を圧倒するのも一つだ。しかし、それでは怒りや反感も買うことになる。余はただ、お祖母様やお父様と同じやり方をしても、サーフェリアは変えられないと、そう思ってだな……」
「……つまり?」
ロゼッタが、細い眉を上げる。
周りにガシェンタがいないことを確認し、さらに近づくと、シャルシスは、ロゼッタの耳元で囁いた。
「ガシェンタは、謝罪代わりにこんな大掛かりな式典を開くような性格だ。そういう者にとって、恩は、どんな罰よりも重くなるだろう……?」
「…………」
シャルシスは、分かってくれるな? という風にロゼッタの肩をポンと叩いた。
そして、護衛を引き連れ、その場を去った。
ロゼッタが、悪意を持って指摘してきているわけではないことは分かっている。むしろその逆だ。
しかし、彼女と話していると、説教ばかりしてきた頃の祖母のことを思い出して、苦々しい気持ちになるので、長時間話し込むのはごめんだった。
ロゼッタの場合、表面的には笑っているので、余計に恐ろしく感じるのだ。
食卓の方に逃げていったシャルシスの背を眺めながら、ロゼッタは、やれやれと息を吐いた。
変なところではしゃいだり、少し指摘すると逃げ出したりするところを見ていると、シャルシスはまだまだ子供だな、と思う。
バジレットが逝去し、後継のシャルシスがたったの十五だと聞いた時も、正直不安になったものだ。
けれども、時折彼が見せる鋭さや、先程のような核心めいた発言を加味すると、シャルシスはあえて無害な子供の皮をかぶって見せているのではないか、と感じる時もある。
ロゼッタが、シャルシスのことを、存外に強かなガキである、と認識し始めたのも、ごく最近のことであった。
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