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投稿日:2026年01月06日






  *   *   *


 春の陽射しに照らされて、残雪がきらきらと輝いている。
溶けた雪の隙間からは、早咲きの花々がひっそりと顔を出して、長かった冬の終わりを知らせている。

 小高い丘の縁まで登って、草地の上にしゃがみ込んだルーフェンは、眼下に広がるウェーリンの街並みを見やった。
季節外れの『雪祭り』で、人々が賑わっている。
後ろに立って、同じように街を見下ろしたトワリスも、目を細めながら呟いた。

「殿下──じゃなくて、もうシャルシス陛下か。……出席してるんですかね」

「……さあ、どうだろ? 流石にここからじゃ分からないな。氷像が見たいって騒いでたから、どうにかして出席したんじゃないかと思うけど……」

 あ、でももう暖かいから氷像はないのか、と付け加えて、ルーフェンが苦笑する。
額にかざしていた手を下ろすと、トワリスは、前屈みになっていた姿勢を戻した。

 ──あの後、ミストリアで目覚めたルーフェンは、ファフリの力も借りて、トワリスとジークハルトと共にサーフェリアに帰ってきた。
ルーフェンもファフリも、召喚術の才を失っていたが、魔力は今まで通り残っていたので、移動陣を行使した。

 帰還後に、ルーフェンは、サーフェリアとミストリアを繋ぐ移動陣を、描かれた岩盤部分を破壊して無効化した。
ルーフェンが力を無くしたことで、何もせずともいずれは消えるものだったのかもしれないが、それでも、予期しない形で異種族を招き入れてしまうものは、早々に消し去った方が良いと考えたのだ。
ファフリも、ルーフェンたちが渡った後に、ミストリア側の移動陣を消すと、涙ぐみながら約束してくれた。

 ジークハルトは、どうしてか髪が黒混じりに変わったルーフェンを見て、「今のお前を見ても、召喚師の死に損ないだと気づく奴はいないだろうから」と言って、一人でシュベルテに帰っていった。
彼が王宮に戻って、本当にルーフェンの存在を秘匿してくれるとは限らない。
だが、ルーフェンもトワリスも、どの道、二度とおおやけには姿を出せない身の上だ。
元より名を捨て、一生日陰に隠れて生きていく覚悟でサーフェリアに戻ってきたので、あえてジークハルトの帰城を止めることもしなかった。

 ルーフェンとトワリスは、特に行くあてもなかったので、人目につく都市部を避けて転々としていた。
そんな折、時期遅れで雪祭りが開催されると聞き、ウェーリンまで北上してきた。
以前、シャルシスと、「金穀祭の次はウェーリンの雪祭りを見に行こう」と約束したことを、ふと思い出したからだ。

 道中で、バジレット王が病により崩御し、シャルシスが新王として即位したという噂も耳にした。
多忙であろう彼が、シュベルテとの関係が悪化したウェーリンに、臣下たちの反対を押し切って顔を出すかどうかは分からない。
だが、約束は一応守っておくか、と北領に入り、現在に至るのである。

 風が吹くと、濡れた花の良い香りが、ふんわりと立ち上がってきた。
なびいた外套の頭巾フードから、以前より少し伸びた、色変わりしたルーフェンの髪がこぼれる。
その様を眺めながら、トワリスは、銀髪でないルーフェンはなかなか見慣れないなぁ、と思った。

 ファフリによると、トワリス自身も、アルファノルにいた時には髪が変色していたらしい。
だが、何故そんなことが起こったのか、そもそもいつアルファノルに飛ばされたのか、ほとんど覚えていなかったので、諸々の原因は分からなかった。
エイリーンに関する夢を見ていたことは、ぼんやりと覚えているのだが、時間が経つにつれ、その記憶も薄れていき、もう朧げな森の景色しか思い出せない。
髪色も、今は元通りの赤褐色になっていて、どうして色が戻ったのかも、全く見当がついていなかった。

 トワリスの視線に気付いたのだろう。
しゃがみ込んだまま振り返って、ルーフェンは首を傾けた。

「……なあに? そんなに見つめて」

 トワリスは、視線を逸らしてから答えた。

「いえ……なんか、ルーフェンさんの髪、改めて不思議な色だなぁって」

「えぇ? やめてよ、結構気にしてるのに……」

 黒と銀が入り混じった、結果灰色っぽく見える髪先をつまみ上げて、ルーフェンがぼやく。
その反応が意外に思えて、トワリスは目を瞬かせた。

「不思議な色って言っただけじゃないですか。何が気になるんです? 銀髪の方が良かったとか?」

 ルーフェンは、肩をすくめた。

「そういうわけじゃないけど……なんか気味悪いんだよね。こうやって体の一部が変化するの、悪魔に影響された時と同じだからさ。……黒髪だし、多分エイリーン絡みなんだろうとは思うけど、俺、結局どうして生き返ったのかも分からないし……」

 ルーフェンは、外套と上着の袖をまくって、露出した腕の皮膚を、とんとんと指差して見せた。
ルーフェンの仕草を眺めながら、トワリスは、召喚師としての力が不安定だった、かつてのファフリのことを思い出した。
悪魔の別人格が見え隠れしていた時、確かに、ファフリの皮膚の一部が、黒い鱗のように変色していた。
ルーフェンの髪の変色が、あれに近い現象なのだとしたら、ルーフェンは、召喚術の才は失ったけれど、特定の悪魔は身の内に残している状態──ということになるのだろうか。
でも、だとすれば、召喚師一族ではないトワリスの髪の変色は、一体なんだったのだろう。
召喚術が、実は誰もが使える禁術の一種なのだということは分かっているが、トワリスには、移動陣の使用以外で禁忌に触れた心当たりなんて全くない。

 分からないことは、他にも沢山あった。
結局ルーフェンは、どうして生き返ったのか。
禁忌魔術が解けた状態なのに、何故無傷でいられるのか。
ルーフェン本人も、夢の中で精霊王グレアフォールと対峙したところまでは覚えているが、以降に何が起こったのかは、全く記憶にないのだという。

 ルーフェンが一度死んでしまったことは、トワリスやジークハルトも確認している。
だが、こうして生きたルーフェンと話していることも、夢の延長などではなく確かな現実だ。
死者の蘇生などという、禁忌中の禁忌としか思えない現象が自身の身に起こって、流石のルーフェンも、少なからず動揺しているようだった。

 トワリスは、ルーフェンの近くにかがみ込むと、その顔をじっと凝視した。
長い睫毛まつげを伏せ、こちらを見つめ返してきたルーフェンが、どうしたの? と表情で問いかけてくる。

「……悪魔に乗っ取られそうな感覚があるとか、意識が途切れることがあるとか、そういう不調が出てるんですか?」

 トワリスがそう尋ねると、銀色の瞳が、微かに動いた。
微笑んでから、ルーフェンが首を振る。

「……いや、今のところないよ。今後何かしら出たとしても、これまで召喚師として押さえ込んできた不調だから、またどうにかするよ」

「…………」

 それでも視線を逸さずにいると、ルーフェンは、「銀髪じゃなくても似合う?」と軽口を叩いてきた。
トワリスは呆れたように、「別に普通です」と答えた。

 ──彼は、本当にルーフェンなんだろうか。
彼の肉体を動かしている、別の何かなんじゃないだろうか。
そういった不安は、正直なところ、トワリスも最初は感じていた。
しかし、今となっては、その不安はほとんど無くなっていた。
だって、目の前にいるルーフェンは、トワリスの知っている彼そのものだ。
戸惑いや弱音を口にしても、それを聞いたトワリスの方が不安がっていると察すると、途端におどけて、自分の内心は誤魔化し始める。
そういうところが、もうルーフェン本人としか思えない。

 トワリスは立ち上がると、ぐぐっと伸びをした。
ルーフェンも自分も、どうして生き延びられたのか、今後も身を隠して無事に生きていけるのか、考え出せば不安は尽きない。
けれども、平穏な明日が必ず訪れる保証なんてないのは、普通に生きていたって同じことだ。
自他共に認める心配性で、以前はおどけるルーフェンに「呑気なことを言うな」とよく怒っていたが、ルーフェンの素の性格に比べると、自分の方が案外、呑気で楽天的なのかもしれない。
今はただ、こうしてルーフェンと隣り合って話せるだけで、トワリスは十分満ち足りた気分であった。

 澄んだ春の空気の中で、ゆっくりと深呼吸をしてから、トワリスは言った。

「……まあ、ルーフェンさんに分からないんじゃ、私も推測以上のことは出来ませんけど……。もし、その黒い髪が、エイリーン絡みの影響なんでしたら、意識を乗っ取られるとか、身体を奪われるとか、そういうことは起こらないと思います」

「そうなの?」

 ルーフェンが、目を瞬かせる。
推測以上のことは出来ない、と言いつつ、確信めいた様子で、トワリスは頷いた。

「なんとなくですけど……。エイリーンは、自我とか身体の有無には、全く執着していないみたいだったので」

「……それって、前に言ってた夢の話?」

「はい。もうはっきりとは覚えてないんですけど」

 ふうん、とあえて気のなさそうな返事をして、ルーフェンは眼下に視線を戻した。
トワリスには、余計な心配をかけたくないと思っている。
一方で、ミストリアで目覚めてからは、「本当に起き上がって平気なのか」と心配してくれるトワリスが、毎日世話を焼いてくれていたので、それが無くなってしまうのかと思うと、ちょっと残念な気もした。
……なんて、実際にそんな我儘が浮かぶほどには回復しているわけだから、もう大丈夫だろうという彼女の判断は、やはり正しいのだろうけど。

 黙り込んでしまったルーフェンを見て、まだ弱気になっているのだと思ったらしい。
トワリスは、一生懸命に続けた。

「いいんじゃないですか、気分転換と思えば。私も、バーンズさんたちと戦って髪が切れちゃって、ノーラデュースで短く整えてもらった時に、なんか……すごいスッキリしたんですよね。あんな状況でしたけど、『私の人生、これから変わるんだな』って気持ちが切り替わったというか。だから、ルーフェンさんも、そういう感じでいきましょう」 

 懐からミランの耳飾りを出して、トワリスは、それを高く持ち上げた。
陽の光を受けて、ランシャムの石がチラチラと緋色に光る。
トワリスは、眩しそうに目を細めた。

「……これからは、どう過ごそうが、ルーフェンさんの自由なんですよ。いろんなことが一変したから、今は戸惑うことの方が多いのかもしれないですけど、貴方は人知れず、召喚師一族の系譜を終わらせるっていう大業を叶えたわけですから、もっと前向きになったって良いはずです。
……いつか、この道を選んで良かったなって、そう思えるようになります。自由な生活に慣れてきたら、他にも行きたい場所とか、やりたいこととかが沢山浮かんで、不安なんて感じてる暇もなくなります。きっと……ううん、絶対そうなります。今のルーフェンさん、王宮にいた頃より、ずっと清々しい顔してるから」

「…………」

 緋色の反射光を、赤褐色の髪に受けながら、トワリスが小さく微笑む。
その横顔を眺めながら、ルーフェンは、込み上がってきた様々な感情に、どう収集をつけるか考えていた。

 だんだん自分でも制御が効かなくなってきた、トワリスに対する想いを、ぎゅっと簡潔に集約した一言が、頭に思い浮かんではいる。
ただ、衝動的にぶつける言葉でもないように思えて、ずっと伝える機会を窺っていた。


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