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投稿日:2026年01月06日
硬い岩面に叩きつけられることも覚悟して、ギールは受け身の体勢をとったが、幸いにも、斜め穴はさほど深くなかった。
洞窟の外で待機しているジークハルトに向けて、救援要請の呼び笛を吹くまでもなく、ギールは、斜め穴から転がり出て、身を丸めた状態で岩面に着地した。
同時に、すぐ近くで、「ふごっ」と呻き声が上がる。
勢い余って何かに激突したと悟ると、ギールは慌てて立ち上がり、磨石の光で辺りを照らした。
「わっ、す、すみません! 大丈夫ですか⁉︎」
反射的に謝って、ギールは狭い岩洞の隅に駆け寄った。
倒れていたのは、ボロ布をまとった、リオット族の老爺であった。
どうやら、ギールに突き飛ばされた拍子に頭を打って、意識を失ってしまったらしい。
頭巾の下に隠れていた、石のように硬い禿頭には、小さなたんこぶができている。
リオット族特有の皮膚の変形で、他にも右手首がなかったり、足指が変形したりしていたが、ざっと確認した限り、ギールが負わせた外傷は、たんこぶだけのようだ。
ひとまず、老爺が呼吸していることに安堵してから、ギールは、自分が落ちてきた穴を見上げた。
もしかしたら、地の魔術で瓦礫を使って岩壁を作ったり、本来あったはずの斜め穴を塞いだりしたのは、この老爺だったのかもしれない。
ギールの洞窟への侵入に気づき、行手を阻もうとしたものの、逆に魔力を辿られたので、急いで術の発動を切り上げたのだ。
そう考えると、先程までの魔力の流れの変動にも説明がつく。
ギールは、磨石を掲げると、今いる岩洞の奥を照らした。
ふうっと流れ込んでくる冷気には、先程よりも濃い腐臭が混じっている。
周囲に目立った気配はないが、暗がりの向こうから、こちらの様子を窺うような、鋭い視線を感じる気がした。
おそらくこの先に、他のリオット族が潜んでいるのだろう。しかし──。
(……誘拐するようで気は引けるが、このご老人を連れて、一度地上に戻ろう。大勢のリオット族と会っても、敵対してしまった場合に、地下では対処できない)
そう決めると、ギールは自分に結んでいた長縄を一度解いて、老爺の身体に結び直した。
合図を送れば、ジークハルトが長縄、もとい命綱を外から引っ張ってくれるはずだ。
自分と老爺を命綱で繋ぎ、引き上げてもらいながら岩壁を登れば、落ちてきた斜め穴からも、なんとか這い上がれるだろう。
老爺を背負い、余った命綱の先を、自分の腰にも巻き付けようとした──その時。
いきなり足下の岩が盛り上がったかと思うと、地面を割って出てきた手が、ギールの足首をガッと掴んだ。
つんのめって、転びそうになったところを、ぎりぎりで踏ん張る。
恐々と見下ろすと、地面から顔を出したリオット族の女が、ギールの足首、次は膝を掴んで、腰の辺りまで這い上がってきていた。
「──ひゃぁあっ⁉︎」
思わず悲鳴を上げてしまったところで、いきなり肩が軽くなった。
顔を上げると、背負っていたはずの老爺が、宙に浮いていた。
まだ合図を出していないのに、ジークハルトが、外から命綱を引っ張り始めたのだ。
すぐさま制止の声を上げるが、老爺の身体は、たちどころに頭上の斜め穴へと吸い上げられていく。
追い縋ろうとするギールは、しかし、腰にしがみついてくる女のせいで、思うように身動きが取れない。
「ちょっ、な、なんですか貴女は⁉︎ はっ、離してください!」
ギールは必死になって、腰を掴んでくる手を振り解こうとした。
しかし、女相手といえども、リオット族の腕力には敵わない。
やむを得ず、銃剣を使うか──という考えがよぎった時。
今度は、何か鋭いものがギールの頰をかすって、岩壁に突き刺さった。
それは、人の腕ほどの太さがある、巨大な牙だった。
何者かが、ギールの頭部を狙い、岩を粉砕するような力で牙を投擲してきたのだ。
岩洞の奥から、ドドド、と地鳴りのような音が響いてくる。
振り返ると、暗闇の中に、恐ろしい顔が無数に浮かんでいた。
「貴様ぁっ! 長を離せ! 一体どこへ連れていくつもりだーっ‼︎」
リオット族の女たちが、牙のような武器を振り上げ、怒号と共に迫ってくる。
腰に巻きついて、ギールの抵抗をことごとく抑え込んでくる女は、走り寄ってくる仲間たちに、私が捕まえている内に殺れ、とでも言いたげである。
見上げた先に、引き上げられていった老爺の姿は、既にない。
滝のように汗を流しながら、ギールは叫んだ。
「だっ、団長ーっ! 待って! 待ってくださーいっ‼︎」
洞窟の脇に寄りかかって、ギールの帰りを待っていたジークハルトは、岩場に括り付けていた長縄が一気に引かれたことに気づいて、ハッと身を起こした。
急に引かれたということは、ギールは、縦穴に落ちたのかもしれない。
あるいは、走り出した可能性も考えられるが、どちらにせよ、緊急事態であることは確かだ。
ジークハルトは、岩場を支点にして長縄を持つと、いつでもギールを引き上げられるように準備を整えた。
ギールには、縄を引いてほしいときは呼笛を一回、止めてほしいときは二回、吹くようにと伝えてある。
どこかに落ちて困っているのなら、笛の音が聞こえてくるはずであった。
耳をすませて合図を待っていたが、ジークハルトの予想に反して、笛の音は、いつまで経っても聞こえてこなかった。
斜面を駆け下ったり、故意に穴に飛び込んだりしただけで、探索自体は順調なのだろうか。
だとすれば、長縄を引いても、ギールの進行の妨げになるだけだ。
そう思い直して、縄を手離そうとした──次の瞬間。
洞窟の奥から、切迫した悲鳴がこだましてきて、ジークハルトは、再び縄を握る手に力を込めた。
微かにしか聞こえなかったが、今の声は、ギールの声だ。
笛の音でもなく、銃声でもない。
基本的には淡々と、生真面目に任務をこなしている印象の強いギールが、あのように悲鳴をあげるとは、一体どんな危機的状況に陥っているのだろう。
迷った末に、ジークハルトは、長縄を少し引いてみた。
──重い。けれど、力を入れれば引けないことはない。
岩に身体が突っかかったり、反対方向に引っ張られたりしているような、強い抵抗感も感じない。
ただ、脱力した人間特有の、ずっしりとした重量感があった。
(……まずいな。意識を失ったか?)
両足で踏ん張ると、ジークハルトは、力強く長縄を手繰り寄せた。
予想だが、ギールは動けない状態なのだろう。
考えてみれば、自分も以前、土蛇に襲われた時は、呑気に呼笛を吹いている余裕などなかった。
ギールも土蛇に襲われたとは限らないが、何らかの理由で、合図を送る間もなく気絶したのだとしたら、地面に引きずってでも、外から助け出すしかない。
洞窟内で気絶などしていたら、それこそ土蛇の餌食になってしまうかもしれないのだ。
力任せにぐいぐいと縄を引いていくと、やがて、洞窟の闇の中から、細かな瓦礫と共に、布の塊がポーンッと飛び出してきた。
「──ギール! 無事か⁉︎」
ぅう、と唸った布の塊が、枯れ枝のような四肢をモゾモゾと動かし、むくっと起き上がる。
急いで駆け寄ったジークハルトは、その姿を見て、ぴたりと立ち止まった。
よく見ると、ギールではない。
身体に巻きついているのは、確かにギールに渡したはずの長縄だが、自分が引っ張り上げたのは、年老いたリオット族の男であった。
「……誰だお前は?」
訝しげに問うと、リオット族の老爺は、自身の禿頭をさすりながら、ぼんやりとした顔でこちらを見上げた。
その乾いた唇が、もごもごと何かを答える。
だがその声は、洞窟の方から響いてきた、悲鳴と怒号の入り混じった複数人の絶叫に、かき消されてしまった。
「──だっ、だん……っ、のわぁああーっ‼︎」
息を切らせて洞窟から飛び出してきたギールが、ジークハルトの姿を認めて、何やら叫びながら転倒した。
窪地に差し込む陽光の下、岩場に顔面を打ちつけたギールは、そのままぴくりとも動かなくなる。
続いて駆け出してきたリオット族の女たちが、怒りに歪んだ形相で、次々とギールに飛びかかっていく様を、ジークハルトは、唖然と見つめていたのだった。
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