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投稿日:2026年01月09日





「おい、まずここに、貴様の名前と連絡先を書け」

 娘を診察台の前の椅子に座らせると、条太郎は、先まで使っていた帳面ノートの切れ端と鉛筆を出した。

「再三うが、これは違法行為だ。もし異形を持ち込んでいるところを誰かに目撃されて、警察や憲兵に通報されたらどうする? 僕が主犯だと勘違いされて、投獄されるのは御免だからな。有事の際には、まず貴様の名前を出して呼びつけるから、『無理矢理に異形の治療を頼んだのは自分です』と、嘘偽りなく証言しろ。それが、この診察を引き受ける条件だ」

 厳しい口調でったが、臆した様子なく、娘は了承した。

「分かりました。条件については、必ず守るとお約束いたします。……ただ、その……申し訳ありません。わたくし、文字を書くのはあまり得意ではなくて……」

 恥ずかしげに鉛筆を返してきた娘に、条太郎は鼻を鳴らした。

 数十年前に学制がくせいが公布され、国民皆学こくみんかいがく──身分や性別に関係なく、国民はすべからく就学すべし、という考えが一般的にはなったが、地方出の平民の女などは、ろくに通えていない者も多い。
初等教育を終えていれば、平仮名や片仮名を書くことはできるはずであるから、この娘は、小学校すらまともに出ていないのだろう。
ということは、相当な田舎者と見た。
父、勇太郎のことを知っている様子であったから、何処どこぞの華族令嬢かとも考えていたが、見当違いであったようだ。

 条太郎は、鉛筆を執ると、診察台を挟んで娘の向かいに腰掛けた。
「では僕が書き取るから、まず名乗れ」とうと、娘は頷いた。

「名前は、クレンデルと申します」

「……その妙ちきりんな愛玩動物ペットの名前を聞いてるんじゃない。貴様の名前だ」

「はい。わたくしの名前が、クレンデルです」

 そうって、頬被ほっかむりを取った娘の顔を見て、条太郎は言葉を失った。
流暢りゅうちょうに喋るので、思いもよらなかったが、彼女は異国人であったのだ。

 白金の髪が、さらりと零れ落ちる。
年は十六、七といったところか。
白皙はくせきに並べられた紅玉ルビーの如き瞳が、なんとも蠱惑こわく的に揺蕩たゆたっている。
娘は、あどけなさを残しつつも、楚々そそとした艶やかさを纏った、美しい容貌ようぼうをしていた。

 ぼうっとこちらを凝視している条太郎に構わず、クレンデルは続けた。

「今は、源川みなかわの辺りにおります。連絡先については、すみません、電話を引いていなくて……。でも、警察や憲兵の方には見つからないように致しますし、万が一、貴方が困るような事態になったら、絶対に駆けつけます。それでご勘弁頂けませんか」

「…………」

「……あの?」とクレンデルが首を傾げる。
はっと我に返ると、条太郎は、クレンデル、源川と乱雑に鉛筆を動かした。

「い、いや、なんでもない。源川に住んでいるんだな? まあ、貴様のような目立つ容姿をしていれば、逃げ隠れすることは難しいか。名前と住所さえ分かれば、警察も追跡可能だろうから、一先ずそれでよかろう」

 口早にって、走り書きを文机に放る。
くいと眼鏡を掛け直して、条太郎は、診察台に置かれた珍妙な化物に目を移した。

「で、そこの愛玩動物ペットは、どういった具合なんだ」

「あ、この子は、"サチコさん"という名前です」

「……そっちは此国しこくらしい名だな……」

「昔、閉じられた見世物小屋の跡地で、小さな籠に入れられ、捨てられていたところを拾ったのです。幸せな子になってほしいから、幸子さちこさんです。でも、わたくしは漢字が苦手なので、表記は片仮名です」

 クレンデルは、どこか懐かしそうに白金の睫毛まつげを伏せた。
それから、悲しげな顔に戻ると、条太郎を見つめた。

「サチコさん、二日程前から、何を食べても吐いてしまうのです。下里腹くだりはら (下痢)もひどくて、お腹が痛いのか、元気もありません。何か悪い病気にかかったのではないか、このまま何も食べられなければ痩せて弱ってしまうのではないかと、わたくし、不安で胸が押し潰されそうなのです」

 噛みついてきやしないかと、条太郎は、鉛筆の先でつんつんとサチコの後肢をつついてみた。
サチコは、鋭い三つ目でこちらを見たが、歯向かってくる気配はない。
条太郎は、指先でサチコの剛毛を掻き分け、そのぷくりと膨らんだ腹に触れてみた。

 異形の形態は、種々様々である。
牛や熊などの大型獣に似たものも在れば、今、目の前にいる妙ちきりんな愛玩動物ペット──改め"サチコ"のように、鼠などの小動物に似たものも在る。
また、言い表せぬような奇々怪々な姿形をしたものも在るし、人の目には見えぬものも在る。
故に、まずどのような状態を健康とうのか知らぬし、肥瘦ひそうの判断もつかない。
──要するに、何も分からなかった。

 強いて気になったとすれば、サチコの肩辺りに、触れてようやく分かるほどの、細い瘡蓋かさぶたができていたことであった。
といっても、れているわけでもなし、赤みや熱感もない。
うみが回っている様子もない、ただの擦り傷といった具合である。

 むむ、と椅子に座り直して、条太郎はった。

「……何ともえんが。突然 吐逆とぎゃく (嘔吐)するようになったのであれば、拾い食いでもして、食傷しょくしょう (食中毒)になった可能性が高いだろうな。取りえず、丸一日絶食して、臓腑ぞうふを休ませろ。肥瘦ひそうは判断に苦しむが、まあ、背骨に触れぬくらい肉がついているから、あと一日食べなかっただけで餓死するということはあるまい」

 クレンデルは、その紅玉ルビーを瞬かせた。

「え? でも……わたくしも最初は食べ過ぎでお腹を壊したのだと思い、腹痛はらいたに効く山査子さんざしの実を食べさせてみたのです。そうしたら、余計に吐逆とぎゃくしてしまって……」

「阿呆め。そんなものを食わせたのか? 異形の食性など知らんが、この鋭い歯を見る限り、サチコは肉食だろう。肉食獣の臓腑は、植物を消化するようにはできていない。人間には薬になる実や葉でも、本来の食性に合わないものを食わせたら、悪化するに決まっている」

「あ……」と呟いたクレンデルに、条太郎は、呆れたように眉を寄せた。

「その程度のことも思い至らぬとは、馬鹿か貴様は。良いか、野の薬草が駄目ならばと、勝手に人間用の薬など飲ませたりするんじゃないぞ。場合によっては、必要な腹の虫まで駆虫されて、取り返しがつかないことになるからな。かく、余計なことはせず、一日絶食させて様子を見ろ。それで回復しなければ、また別の原因を考える」

「…………」

「ああ、ただし水は十分に摂らせろよ。脱水を起こすからな。……少し待っていろ、水を取ってくる。溜め水だが、腐ってはいない」

 流し台の側にある水甕みずがめから洋杯コップに水をすくうと、条太郎は、棚台車にまとめてある数少ない鉄匙スプーンを取って、診察台に戻った。
洋杯から鉄匙スプーン一杯分の水を取って、試しにサチコの口元を湿らせてみる。
するとサチコは、青い薔薇線ばらせん (有刺鉄線)の如き刺刺とげとげとした細長い舌で、べろりと口元を舐めた。
次いで、その舌をのたうつ蚯蚓みみずのように動かし、鉄匙スプーンの水を飲み始める。
これまた、実に気色悪い光景である。

 顔を引きらせながらも、条太郎は口角を上げた。

「な、なんだ、自力で飲んでいるではないか。飲む気力が残っているなら、やはり軽い食傷しょくしょうだろう。一度胃腸を空にさせて、消化の良いものを食わせていれば、いずれ治る」

 いながら、何気なくクレンデルの方を見遣ると、彼女は泣いていた。
石油洋燈オイルランプの明かりの下、浮かび上がった白い顔に伝う涙が、ちらちらときらめいている。
仰天して、条太郎は椅子から腰を浮かせた。

「な、なぜ泣く⁉︎ 貴様の無知で短慮な行動が、症状を悪化させたのは事実だろう!」

 クレンデルは、慌てたように目元を拭った。

「す、すみません、違うのです。貴方に山査子さんざしのことを責められて、泣いたのでありません。ええと……この涙は、安堵と感動の涙です。ほらわたくし、こんな容姿でしょう? サチコさんが異形であることを抜きにしても、敬遠されることが多くて……。
ですから、貴方がわたくしたちの正体を知っても、こんな風に真剣に話を聞き、サチコさんを案じ、真摯に対応して下さったことに、とても感動しているのです」

 クレンデルは、薄く色付いた唇をほころばせ、大層嬉しげに微笑んだ。
条太郎はうっかり狼狽し、かっと頬を染めた。

「そっ、そっちが強引に押し入ってきたくせに、都合の良い解釈をするな! 誰がこんな不気味な異形を案じるか! 僕は大変な迷惑を被っているんだぞ!」

 ついに立ち上がると、条太郎は、掴み上げたサチコと洋杯をクレンデルの前に乱暴に並べ、鉄匙スプーンを投げ出した。

「ほら、主人が水をやれ! 噛まれたら敵わん! 小さくとも異形は異形。どんな不浄を持っているか分からんからな!」

 勢い余って、診察台の上でまりのように弾んで転がったサチコを受け止めると、クレンデルはまた笑った。
そして、サチコの背のこわい毛を愛おしげに撫でながら、水をすくった鉄匙スプーンを、その口元に近づけた。

「ふふ、そんなこと仰らないで。サチコさん、わたくしうことをよく聞いてくれる、良い子なんですよ。拾い食いする悪癖は、辞めさせなければならないけれど……」

 サチコは再び、鼻をふがふが鳴らしながら水を飲み始める。
剥き出した癇癪かんしゃくの牙を折られたような心地で、条太郎は座り直した。

「……良い子だとか悪い子だとか、そういう問題ではない。異形であること自体が、問題なのだ」

「まあ、こういうご時世ですから、異形が忌避きひされるのは、仕方のないことですが……」

 細い眉を下げたクレンデルが、ちら、と文机に置かれた新聞記事を一瞥いちべつした。
先刻、条太郎が端に寄せておいた、陸軍大臣の怪死にまつわる記事である。

 手を伸ばして記事を取ると、条太郎は、今度は見出しの全文を読んだ。

──非業の死 鶴田つるた公園にて怪奇殺人!
  陸軍大臣 倉持くらもち龍彦たつひこ氏 殺さる
  現場には多量の血痕と拳銃ピストルを執る右腕のみ
  食害か? 神隠しか? 各地で相次ぐ異形被害
   対異形防衛部隊たいいぎょうぼうえいぶたい、討伐急ぐ──

 条太郎は、喉奥から込み上げた名状し難い不快感を飲み下し、不平をった。

「……本当に短慮な女だな、貴様は。この僕を、こんな作為的な新聞記事に踊らされる、そこらの有象無象と一緒にしないでくれないか」

 クレンデルは、目をまんまるとさせた。

「……その記事に書いてあることが、虚構デマだということですか?」

虚構デマとはっていない。が、明らかに政府の印象操作が入っているだろう」

 条太郎は、新聞記事を診察台に乗せた。

「見ろ。陸相りくしょうが死んでいたのは、自宅から少し離れた、鶴田公園の裏の森中だと書いてある。公園の管理者の証言から、死亡推定時刻は、公園に人がいない深夜帯。
……不自然だろう。なぜ倉持氏は、真夜中に森中へと赴いたのか? いかに華々しい戦績を誇る陸相りくしょうといえども、深夜に供も連れず、人気ひとけのない森中へ踏み入りはしない。他にも類似の事件が多発して、世間的に騒がれている物騒な時分だぞ? まして陸相りくしょうは、先の大戦での立役者でもある。我が国にとっては英雄でも、異国の者達からすれば、憎き殺戮者さつりくしゃだろう。多くの恨みを買っている立場では、親しい間柄の者に呼び出されたとか、何か特別な理由がなければ、夜の外出自体を躊躇うはずだ。
かといって、別の場所で殺されて、隠蔽いんぺいのために死体を移動させられたとも考えづらい。公園裏など、日中は人目につきやすい、死体を隠すには不向きな場所だからな。畢竟ひっきょう、倉持氏は自分の意思で森中に入り、その場で殺されたのだ」

「……つまり、これは異形の仕業と見せかけた、人間の犯行であると?」

「それも違う!」

 思わず叫んでから、条太郎は、自分で自分の声の大きさに驚いてしまった。
何故こんなにも強く否定しなければと思ったのか、自分でも分からなかった。



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