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投稿日:2026年01月09日
ごほん、と咳払いして、条太郎は云い直した。
「……あ、いや……どちらとも断言できない。両方の可能性が考えられるのに、確実に異形の仕業であるかのように騒ぎ立てているところが、作為的だと云っている。これは、異形への恐怖心を煽り、異形防対法の支持者を増やしたいという、政府の意図的な情報操作だ」
クレンデルは、「なるほど」と妙な顔をした。
「ですが、人の犯行だとするなら、犯人は陸相の片腕と血痕だけを残して、他の部位は持ち去ったということになりますよね。大柄な男性の肢体を、引き擦った痕跡も残さず、たった一夜の内に、誰に目撃されることもなく運んだというのでしょうか。正直、普通の人間にできることとは思えません。であれば、異形が被害者の知人に化けて、人目のない森中へと呼び出し、不意を突いて襲った、というような筋書きの方が自然じゃありませんか」
「人間の姿を模せるということか? そのような異形は、聞いたことがない」
「さて、どうでしょう。異形の姿は不定形です。普段は人間の中に紛れ込んでいて、存在を気づかれていないだけかもしれません」
条太郎は、滔々と推測を披露したクレンデルの態度に、内心驚愕していた。
国家の中枢を担う人物を狙った、凄惨な殺人事件だ。
普通は口にすることすら憚りそうなものだが、クレンデルの表情には、条太郎との議論を楽しむ余裕まで伺える。
見目に反して豪胆な女だ、と思いながら、条太郎は答えた。
「否定はしない。が、その可能性を考えるならば、今まで人間社会に溶け込んでいた人型の異形が、何故あえて異形らしさを主張するような、目立つ方法で著名人を襲ったのか、という別の疑問も生じる。
そも、異形絡みの殺人事件が目立ってきたのは、ここ数年のことだ。これまでも、異形が関与している事件は日常的に問題視されていたが、こうも連日殺人が起こるような事例は滅多になかった。犯人が人間に擬態できる特異的な異形であるしても、そこらにいる無差別に襲ってくる異形であるにしても、まずは、どうして彼らが攻撃的になったのか。この数年で、彼らに一体何が起こったのか。その理由を考察せねば、一連の真相を語ることはできまい」
条太郎の思わせぶりな云い方に、クレンデルは薄笑を浮かべた。
「……理由に、何か心当たりがあるのですか?」
「僕よりも、君の方が身に沁みているのではないか」
あえて問い返すと、クレンデルは、条太郎の期待通りの返答をした。
「そうですね……。ここ最近で大きく変わったことといえば、やはり、貿易が再開されて、私のような異国人が、此の国に出入りできるようになったことでしょうか」
条太郎は、満足げに首肯した。
無意識に前のめりになって、条太郎は主張した。
「僕も、最たるはそれだろうと考えている。異国の人間、異形、文化、思想、技術……様々な新しいものが流入してきたことで、此の国は大きく変化した。瓦斯灯が設置され、[#ruby=洋燈_ランプ]が普及し、彼方此方に煌びやかな異国風の建物が建ち始めた。山林の開拓も進み、造られた道路は、馬車が通りやすいように広く、見渡しが良く舗装され、夜間であっても明かりの届かぬ場所がない。闇に紛れて動く異形の視点に立って考えるならば、さぞ暮らしづらい世の中になったことだろう。
斯くして、在来の異形は我々人間に牙を剥くようになり、政府は異形防対法を制定した。いつの間にやら移入してきた外来の異形も警戒し、外来移入異形法まで公布された。更に 対異形防衛部隊が発足され、今や、異形と分かるや否や、銃口を向ける時代だ。この極端で排他的な治世の在り方を、先進的な文明社会の幕開けだと表現する感性は、貴賤意識の強い華族政治が生み出した淀みに他ならない」
語る内に、クレンデルと至近距離で目が合った。
身を乗り出していたことに気づいて、条太郎は、ばつが悪そうに身を戻した。
「……というのは、まあ、個人的な見解だが。僕には異形の心情など分からぬし、実際、害のある異形は駆逐する他ないだろう。しかし、異形を異形と一括りにして、無害な異形まで迫害することに、何の意味がある? 人と言葉を交わせぬという点では、獣と異形は同じだ。では、獣と異形の違いは何か。制御不能な未知の生物を異形と定義するならば、全てを排除して完結するのではなく、まずは、その生態や能力が解明し、理解しようとすることに尽力するべきではないのか?」
条太郎は、新聞記事をくしゃくしゃに丸め、再度文机の方に放った。
「……話を戻すが、異形防対法が成立してしまった今、異形と故意に関わっていることが露見すれば、間違いなく投獄される。そうなれば、今後必要な革命も起こせなくなってしまうが故に、現段階では、僕は異形に関わりたいとは思わん。しかし、それは政府の政策に賛同しているからではないし、本音では、未知の存在を頭ごなしに否定するのは、短絡的で浮薄な法案であると考えている。
要するに僕は、操作された情報を鵜呑みにして、政府の掌上で転がるような馬鹿ではない、ということだ。そこを勘違いしないでもらいたい」
云いたいことを云い切ってから、クレンデルの様子を伺うと、彼女は、今度は微笑んでいた。
「何を笑っている」と不満げに尋ねると、クレンデルは首を振った。
「いえ、少し懐かしい気持ちになったのです。勇太郎さんも、よく同じようなことを仰っていましたから……。分からぬものを分からぬままに批判し、恐れ罵ることは、愚者のやることだと」
そういえば、とクレンデルが訪ねてきた時の発言を思い出して、条太郎は眉を顰めた。
「お前は父と知り合いのようだが……。一体どういう関係だったのだ?」
「私と勇太郎さんですか? お友達です」
「と、友達?」
「はい。私が、此の国に来たばかりだった頃。まだ言葉も分からず、土地勘もなく街中で道に迷っていたところを、助けて頂いたのです。勇太郎さんは、見ず知らずの私に、とても親切にして下さいました」
予想外の答えが返ってきて、条太郎は耳を疑った。
説明から察するに、クレンデルが勇太郎と会っていたのは、助けられたその一度きりではなかったのだろう。
三十近くも年の離れていそうな二人が、"お友達"などという関係性で結ばれていたという事実には、いまいち理解が及ばず、想像に難かった。
黙り込んでいると、クレンデルが再度口を開いた。
「それにしても、勇太郎さんまで何故お亡くなりに? もうそんなお年でしたかしら。あるいは、何かのご病気や事故、まさか事件で?」
条太郎は、溜息混じりに云った。
「……そこは知らんのか。反逆罪で投獄され、獄中死した。憲兵には牢内で自殺したと聞かされたが……まあ、十中八九、右翼の連中に殺されたのだろうな」
「えっ……どうしてそのようなことに?」
「さあな。詳しい経緯は、僕も知らない。……が、大体予想はつく。父は元より、現内閣の在り方に疑問を抱いていたようだった。それこそ、先から話題に上がっている異形防対法の法案が成立した際にも、父は反対の立場に立ち続けていたらしい。その反対活動を含める反政府運動への加担が露見して、貴族院議員を辞職、一時逮捕された。その後も、家畜医に転身してこの診療所に隠れ、"松野豊"という偽名で、風刺小説の執筆活動を行っていたようだが、それも憲兵に嗅ぎ付けられて、再度投獄された末に、暗殺された。結果が、この様だ」
伽藍堂の病院内を、条太郎が目で示す。
同じように室内を見回して、クレンデルは聞いた。
「もしや、それで貴方は、勇太郎さんの意思を継ぎ、将来はこの家畜病院で転身なさろうと?」
「…………」
条太郎は、何も答えなかった。
代わりに、文机に積まれた異形に関する新聞記事や雑誌、解剖図誌、獣医学誌、獸経大全などの教本に視線を投げる。
またも同じく視線を辿って、クレンデルも文机を見た。
「違うのですか? 獣や異形には詳しくないと仰っていましたが、随分と熱心にお勉強されているようですし、先程の口ぶりからして、貴方も勇太郎さんと同じ、反政府的なお考えをお持ちなのかと感じましたが……」
長い沈黙の末に、条太郎はようやく口を利いた。
「……僕は、あまりその表現が好きではない。一部の特権階級が政界を牛耳ることに疑念を抱いているだけで、何かと破壊抗争に持ち込みたがる反政府主義者と同列に扱われるのは、どうにも納得がいかない。ついでに云うと、無政府主義者とも少し違うつもりでいる。これらは、僕たちの主張を聞かない外野が、僕たちに称号を貼り付けて差別化し、排斥したいが為に使う呼び名だ。強いて云うなら、僕らは理想主義者……いや、真の[#ruby=民主主義者_デモクラット]と云うべきか……」
「イ、イデ、デモ……?」
「分からないなら、良い」
思考を掻き混ぜるように、条太郎は、己の髪をぐしゃりと摩った。
「まあ……そうだな。転身することに関しては、考えなかったわけではない。家畜病院は開業の条件が少ないし、犬猫を愛でる余裕のあるお気楽な華族様は、金払いが良いからな。資金調達も兼ねた隠れ蓑としては、家畜医という職業は、確かに都合が良い。……が、身の振り方の選択肢の一つに浮かんでいただけで、そうするとは決めてはいない。僕がここに出入りして、獣や異形の勉強をしていたのは、なんとなく、男爵議員の地位を失ってまで政府に反対の意を示した、父の生き方を追想してみようかと思い立ったからだ」
「……追想? というと、勇太郎さんに対して、何か思うところが?」
「別に。思うところができるほど、父とは語り合ったことがない。ただ……」
そこで言葉を切り、条太郎は椅子の背凭れに寄りかかると、穏やかな石油洋燈の光を見つめた。
つかの間、そうして口の中で問答していたが、ややあって、話の切り口を変えた。
「……随分と昔のことだが。僕がまだ小学校に通っていた頃、道端で、痩せて動けなくなった、薄汚い猫を拾ったことがあった。連れ帰ってよく見たら、尾が二叉に分かれていた」
「あら、異形ですね」
条太郎は、懶 (物憂)げに頷いた。
「だがまあ、元の場所に捨てに戻って、そのまま死なれても寝覚めが悪い。仕方がないから、僕は隠れて、そいつを飼うことにした。しかし、当時はこんな郊外ではなく、帝都の私邸に住んでいてな。僕が好きに使える部屋などなかったから、潔癖な継母の春江に見つかって、猫を取り上げられ、二階の窓から放り出されてしまった。
慌てて庭に降りると、珍しく帰っていた父が、瀕死の猫を腕に抱えていた。当時、既に異形防対法は制定されていたし、父は 対異形防衛部隊の発足にも携わった貴族院議員であったから、僕はいよいよ、猫は殺されてしまうのだろうと思った。
だが父は、殺さなかった。それどころか、猫を僕に戻すと、『邸裏の蔵を開けてやるから、そこで面倒を見てやれ。春江には見つからぬように』と云って、去っていった。……あまりにも意外で、驚くべき出来事であった」
「……意外、ですか?」
「ああ、意外だとも。少なくとも、当時の僕にとっては」
条太郎は、診察台の上でクレンデルに撫でられながら、勝手に放尿しているサチコを見遣った。
気づいたクレンデルが、持ち込んだ手拭で、慌てて診察台の上を拭いている。
微かに目元を緩めて、条太郎は云い募った。
「猫は、一年で大型犬ほどの大きさになり、今度は尾が三叉に分かれ始めた。そして、もう蔵で飼うのは限界かもしれない、と僕が感じ始めた頃に、いつの間にかいなくなっていた。
小中学校を卒業し、家を出て、帝都大の寮で暮らし始めた頃には、僕は、もうそんな恩知らずの猫のことなど忘れていた。だが、十年ほど経って、父が二度目の逮捕後に獄中死したと聞いた時に、ふと、その時のことを思い出した。そして、父はどんな考えを持って、僕にあの猫の面倒を見ろと云ったのか。晩年はこの診療所に籠り、殺されるまで、どんな気持ちで、異形防対法を始めとする法案を制定させた現内閣に楯突いたのか──……不意に、思いを巡らせてみたくなったのだ」
「…………」
クレンデルは、何かを思い出したように、紅い目を細めた。
条太郎は、一言付け加えようとして唇の端を動かしたが、結局何も云えず、話はそこで途切れてしまった。
しばらくしてから、クレンデルは、控えめな声でふふと笑った。
「私、やはりこの病院に伺って良かったです。……勇太郎さんと再会できなかったのは残念でしたが、貴方は、勇太郎さんに似て、とても賢く優しい人です」
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