トップページへ
目次選択へ
投稿日:2026年01月09日








 クレンデルは、曖昧な様子で首を傾けた。

「そんな活動があるのですね……? 帝都大の学生さんは、皆、その学生運動に参加してらっしゃるのですか?」

「全員ではない。一部だ」

「条太郎さんは?」

 条太郎は、乾いた唇を動かしたが、いかけた答えを喉奥で消沈させた。
一呼吸置いて、かぶりを振る。

かく書籍館しょじゃくかんに着いていくのは無理だ。……僕は今、停学処分中の身上みのうえだからな。そしておそらく、このまま退学、除籍となる。行くなら一人で行け」

 クレンデルは、目を丸くした。

「え? そうなのですね。停学処分だなんて、何かあったのですか?」

「……お前には関係のないことだ」

「でも、帝都大って、有名な学校ですよね。条太郎さん、きっと努力して入学なさったのでしょうに、退学してしまうのは、なんだか勿体ない気がしてしまいます」

「…………」

 冷たく跳ねつけても、クレンデルは、無邪気な口調で尋ねてくる。
条太郎は、吐息に苛立ちを混ぜた。

「……そんなに大層な所ではない。最高学府の学生といっても、一族の功績を自分の手柄であるかのように勘違いし、他人をさげすむことでしか自己主張をできない、品性のない阿呆ばかりだった。勉学に[#ruby=勤_いそし]み、己を高めるための場であるべきなのに、結局は努力して得た学績よりも、生まれながらの家柄が重視される。皇族・華族の令息からすれば、僕のような爵位しゃくいを継げぬ庶子しょしなどは、口を利くにも値しない、[#ruby=瑣末_さまつ]な存在らしい。あれでは、勉強をしに行ったのか、なじられに行ったのか分からん。実に理不尽で、不愉快で、下らん場所だった」

 クレンデルは、あくまでも善意のつもりらしく、先刻の条太郎の口ぶりを真似した。

「それこそ、生まれは関係ない、仲良くやろう、と反論してみれば良いのではありませんか? 条太郎さん、お喋りが上手ですから、きっと分かってくれますよ」

 条太郎は、はっと鼻を鳴らした。

「それは嫌味か? 知りもしない癖に、容易にってくれる。言葉の通ずる相手ならば、最初から苦労はしていない」

「ですが──」

「──やめてくれ! お節介を焼きに来たなら、もう帰ってくれないか。サチコが治ったのなら、もう僕に関わる理由はないだろう。[#ruby=執拗_しつよう]な詮索せんさくをされるのは迷惑だ!」

 強く制すると、流石のクレンデルも押し黙った。
薄い唇が驚きに震え、「……申し訳ありません」と謝罪の意を述べる。
謝っているのだから、これ以上うべきではない、と頭では分かっていたが、胸の中で暴れ始めた悪態が、気遣いも[#ruby=斟酌_しんしゃく]もない言葉となって、唇を突いて出た。

「……クレンデル嬢、何か勘違いをしているようだから、っておくがな。僕たちは、エセ家畜医と、違法行為を働いた患者患畜の関係だ。それ以上でも、それ以下でもない。僕には、お前と友人関係になるつもりなど[#ruby=豪_ごう]もないし、文通する気もない」

「…………」

 い終えた時には、快活であったクレンデルの顔が、すっかり落ち込んでいた。
はっと口をつぐみ、条太郎は、気まずげにサチコを見た。
サチコは、悲しむ主人などどこ吹く風で、空になった焼鳥弁当の残り汁をべろべろ舐めている。

「……条太郎さんは、わたくしとサチコさんのことがお嫌いですか?」

 弱々しい声で、クレンデルが問う。
潤んだ[#ruby=上眼_うわめ]に貫かれて、条太郎は、覚えず目を逸らした。

「……き、嫌い、というか……そんなこと、分からないだろう。僕らは、知り合ってまだ二日しか経っていないのだぞ」

 一瞬晴れかけたクレンデルの表情が、すぐにまた曇った。

「それは、条太郎さんにとって、友人関係の形成には時間をかけることが必須、ということですか?」

「ひ、ひっ……す、というわけではないが、一般的には、多少なりとも時間をかけるものだろう。相手の人柄や考え方を知る時間がなければ、理想の友人関係を築けるかどうか判断ができない」

「……一般的とか、理想とかは、すみませんが、よく分かりません。わたくし達の正体を知っても尚、優しくして下さったのは、勇太郎さんと条太郎さんだけです。わたくしからお友達になりましょう、とお誘いしているのは、条太郎さんが初めてです。不慣れなりに、まずは文通をして、お互いのことを知っていきたいと思ったのですが……これは、"理想の友人関係を作る一般的の方法"ではないのでしょうか」

「…………」

 ぐぐ、と条太郎は言葉を詰まらせた。
そう悲しげにわれると、一方的に拒絶した自分が、なんだか悪者のように思えてくる。
クレンデルは、[#ruby=縋_すが]るような眼差しで追い打ちをかけてきた。

「それなら、条太郎さんにとって、理想の友人関係とは何ですか?」

 条太郎は、返答に[#ruby=窮_きゅう]した。
「それは……」ともごもご[#ruby=口篭_くちごも]ってから、やがて答えた。

「……手を取り合って、[#ruby=志_こころざし]を共にする間柄が、理想の友人関係だろう。互いに尊重し合い、高め合い、分かち合い、語り合い、助け合う……友とは、そうあるべきものだ」

「手を取り合って、志を……ですか」

 クレンデルは、何やら思案した後、すっくと立ち上がった。

「……分かりました。要は、文通などではなく、こうして直接会ってお話する時間が大切、ということですよね。何日もかけて、沢山お話しして、やはり理想の関係を築けそうだ、と判断できれば、晴れてわたくし達はお友達なれると。
そういうことでしたらわたくし、今日のところは引き上げます。そして、また明日、遊びに来ます。……良いですか?」

 条太郎は、ぽかんと口を開いた。

「い、良いですかって……いや、待て。だから、もうサチコは治ったのだろう。先刻、もう僕らが関わる理由はないとったはずだ」

「いいえ、まだあります。次は、条太郎さんに振られて傷ついた、わたくしの心の傷を治して下さいな」

 それでは、とクレンデルはサチコを抱くと、空になった焼鳥弁当と鯛焼きの包みを風呂敷に仕舞い直して、戸の方へ歩いていった。
そして、一度こちらを[#ruby=顧_かえり]みて、条太郎の意固地と罪悪感を解きほぐすように微笑むと、ぺこりと頭を下げて、病院を出て行った。
条太郎には、返すべき冗談が思い浮かばなかった。

 [#ruby=戸外_そと]は、茜色を孕んだ夜の闇色に染まり始めていた。
散々迷った末に、意を決して、「もう暗いからふもとまで送って行こうか」と声をかけようとした時には、長い林道を下って行ったはずのクレンデルの影は、夕闇に紛れて消え失せていた。

 不可思議な女だ、と条太郎は思った。
何故彼女は、愛玩動物ペットの恩人とはいえ、こうも自分に[#ruby=拘_こだわ]るのだろう。
というより、己は何故、彼女に深く踏み込んではならぬ気がしているのだろう。

 正直なところ、自分はクレンデルのことが嫌いではない──と思う。
非常識で型破りな側面もあるが、彼女は聡く、[#ruby=機知_きち]に富んだ返しのできる女だ。
誰かと中身のある語らいができたと感じたのは、"彼"以来クレンデルが初めてであった。

 では、クレンデルが理解し得ない異国人だから、敬遠しているのだろうか。
いや、たった二日で理解できぬと異文化のものを遠ざけるのは、大変に侮辱的であるし、生まれが違うからと差別するのは、それこそ条太郎の最も嫌うところである。
むしろ、異国人であるにも[#ruby=拘_かかわ]らず、[#ruby=此国_しこく]に馴染もうとしている彼女の[#ruby=奮励_ふんれい]ぶりは、尊敬に値する。

 あるいは、彼女が何処ぞの貴族令嬢か、御雇異国人おやといいこくじんか、何かしらの特権を得ている階級の人間だから、引け目を感じているのだろうか。
それも否、クレンデルは、自分が上流階級だからと、他人から搾取するようなおごったたちではなかろう。
身分に関しても、条太郎の推測に過ぎず、憶測だけで物事を判断するのは実に愚かなことだ。

 畢竟ひっきょう、引っ掛かっているのは、クレンデルがサチコという異形を飼った、素性の知れぬ法律違反者である、という部分なのだろう。
サチコの存在を交えて考えれば考えるほど、クレンデルは、とかく不自然な点が多い女なのだ。
まず、サチコは見世物小屋の跡地で拾った、とっていたが、それは一体、何年前のことなのか。
開国して四十年。異形防対法いぎょうぼうたいほうの原案が成立してからは、既に二十年以上が経っている。
非合法に設けられた見世物小屋でもない限りは、異国の異形を入手、展示することなど出来ない決まりなのだが、クレンデルは、どうしてサチコを見つけられたのであろうか。
それが可能だった時代には、クレンデルはまだ生まれていなかったはずなのだ。

 仮にクレンデルを十六、七と仮定して、父の勇太郎とも、いつ知り合ったのか不明である。
勇太郎が獄中死する直前に出会っていたのだとしても、数年前のことであるから、その時、彼女はまだ十二、三歳だ。
そんな年頃の異国人の少女が、親もなく道に迷っていたというのか。
[#ruby=偶々_たまたま]、親とは[#ruby=逸_はぐ]れていただけだろうか。
そも、彼女は何年前に渡航してきたのだろう。
あの容姿で、実は[#ruby=齢_よわい]三十、いやそれ以上なのだとわれれば、諸々の[#ruby=辻褄_つじつま]は合うのだが──。

 そこまで考えて、条太郎は、不意に悪寒を催した。
ふと脳裏に蘇ったのは、人を模した異形など聞いたことがない、と条太郎が応じた時の、クレンデルの反応である。

──さて、どうでしょう。異形の姿は不定形です。普段は人間の中に紛れ込んでいて、存在を気づかれていないだけかもしれません。

 次いで浮かんだのは、継母けいぼのいるやしきの戸口に置かれた、胡瓜きゅうり茄子なすつわものであった。
盆御供ぼんごくうの時期は、還ってきた先祖の霊魂に乗じて、異形のたぐいも集まりやすくなるとう。
もしや、クレンデルも──?

 いやいやまさか、と首を振り、条太郎は思考を払い除けた。
そんなこと、あるはずがない。
声真似程度ならともかく、あのように判然はんぜんと人の言葉を話し、人の姿で「友になってほしい」などと乞うてくる異形など、在るわけがない。

 条太郎は、長い間、薄暗い戸口に立っていた。
そして、夜闇に呑まれていった、クレンデルの華奢な残像に意識を注いでいた。


- 5 -


🔖しおりを挟む

 👏拍手を送る

前ページへ  次ページへ

目次選択へ


(総ページ数16)