相合傘
「降られたな」
「降られましたね……」
宜野座さんの外出申請を許可して、それに同伴した日の夕方のことだった。天気予報では晴れだと言っていたはずが、春の天気は変わりやすい。空は真っ暗、さらには大粒の雨が地面に叩きつけられていた。
当然だが傘も持っていない。
「傘買いますか?」
「……だな。さすがにこの降りようでは濡れる」
宜野座さんと顔を見合わせて、お互いに苦笑いをこぼした。駆け足で近くにあった雑貨屋に入り、適当な傘を探す。しかしなんと運が悪いことに、傘は一本しか置いていなかった。急に降られたのだ、考えることは皆同じらしい。――せめてもう一本。奥にも在庫が無いかどうか店番をするドローンに問いかけると、「在庫はそこにある限りです」と返ってきた。
「俺は別に濡れても構わないから、名字が使うといい」
「……でも、」
「監視官が風邪を引いたら困るからな」
宜野座さんはそう言うなり最後の一本を手に取って、デバイスを翳して決済を済ませ、傘を購入した。その一連の動作がスムーズに進みすぎて唖然としているうち、目の前にそれは差し出される。
「ほら、使え」
「……ありがとう、ございます。でも、宜野座さんも風邪を引いては大変ですから……」
「……いいから使え」
微かに眉根を寄せる宜野座さんに気圧されて、私は彼の好意に従うことにした。しかしどうも自分ばかり傘に入るのは申し訳なくて、「じゃあ、」と口を開く。
「相合傘しませんか?」
「なに?」
案の定彼は目を丸くして私を見据える。
「あ、でも、嫌ならいいんです! ただ、私ばかり傘に入るのはなんだか申し訳ないので」
「……いや、」
店を出て傘を広げる。
宜野座さんは少し嬉しそうに「君が構わないなら、お言葉に甘えるとしよう」と笑う。
「もちろん構いません!」
再び顔を見合わせて今度こそ笑い合うと、傘を空に向けた。大粒の雫がビニールに当たり弾ける。傘は思っていたより小さく、だいぶ肩を寄せないと濡れてしまいそうだ。しかしそれはそれで緊張してしまうので、少しだけ距離をとる。それに気づいた宜野座さんが右手でそっと私の肩を引き寄せた。
「離れると濡れるぞ」
「あ……、すみません。ありがとうございます」
傘も持とうとしてくれたが、それでは今度は彼が濡れてしまうので断った。背の高い彼の頭にぶつけないように差すのは大変でもあるが、肩に触れている右手の存在にどきどきして、そんなことはどうでもよく思えた。
「相合傘するの、二度目ですよね?」
「……ああ、俺が監視官だった頃の話か」
「はい。たしか、私が傘を忘れちゃって、たまたま居合わせた宜野座さんに駅まで送ってもらった、なんてこともありましたね」
「懐かしいな」
宜野座さんはまた柔らかく笑った。
あの日はしとしとと五月雨が降っていて、どうしようかと悩む私を見かねて彼が傘に入れてくれたのだった。今よりずっとふたりの距離はぎこちなくて、お互い気をつかって離れて入っていたせいで、それぞれ片方ずつ肩が濡れてしまったことも、会話に困ってずっと沈黙していたことも懐かしい思い出だ。
今となってはふたりきりの沈黙すら心地いいくらいの距離感で、ましてや肩を寄せ合うくらいの間柄なのだが、私の想いは一方通行のまま、彼と交わることはない。
「宜野座さんは変わらずやさしいです。そういうところ、とても素敵だと思います」
思ったまま口にしていた。しばらくして我に返って慌てて訂正してみせたが、彼は、今度はさみしそうに笑うだけだった。
「……やさしくてもいいことばかりじゃないさ」
ほんとうは好きだ≠ニ伝えたい場面が今までに何度もあった。しかしいつもそうやってさみしそうに笑って、それで間接的に拒絶されているように思えて。もう何年も破裂しそうなこの想いを抱えたまま、きっとこの先も永遠に伝えられずに終わるだろう。
雨はまだ止まない。
しかしふたりの吐く息が、彼の右手が、彼に触れている左半身が、とても温かくて不思議と寒さは感じなかった。