きみのこえがききたい
久しぶりに休暇をもらったので、朝は少しだけゆっくりして、部屋の掃除をして、お昼まで休憩してから、午後は買い物にでも出掛けようかと考えた。
恋人の宜野座はここのところ連勤だ。そのせいでお互い職場以外で会うタイミングがなかなかなく、しかも何かとすれ違うことが多かったせいで、数日間まともに顔を見ていない。
正直、さみしい、と思う。
ふたりきりでゆっくり食事をしたり、彼に抱きしめてもらいたかったり、抱きしめてあげたかったり、お互いの時間があったらやりたいことはたくさんあった。しかし願いもむなしく、なかなかふたりの時間はとれないものだ。今度当直上がりにでも落ち合おうか、とか、休憩時間を利用しようか、とか、いろいろ方法を思案したが、宜野座の体調を考えると誘いにくいというのがあった。時間のあるときくらいは、ゆっくり休んでほしいのだ。
ショッピングモールへ足を運んだはいいが、あまり気が乗らず、結局うろうろと一周して帰宅した。流行りのファッションを取り入れたホロや、ホロではない本物のインテリア家具を見ても、あまり心が躍らないのは、どこか心の奥で彼のことが気がかりで仕方ないからだろう。かわいい下着を身につけたら、新作の秋色メイクを取り入れたら、宜野座は私の変化に気づいてくれるだろうか? しかし、そういうものに鈍い彼であることは、私がいちばんわかっているのだ。だと、しても。自分の気持ちの問題で、私は気づいてくれないとわかっていてもそれらを取り入れてしまうのだから、そういうところはどうしようもない女性の性分なのだろう。
ふと、鞄に入れたままだった携帯端末が振動していることに気がつく。こちらに入る連絡ということは、友人か、それとも……――着信相手は宜野座伸元≠セった。
監視官用デバイスに掛けてこないということは、プライベートな案件だろうか? どちらにせよ、かなり珍しい。私は応答ボタンをタップして、それを耳に当てた。
「もしもし」
『 ……すまない、俺だ』
「こっちに掛けてくるなんて珍しいですね。どうかしました?」
いや、と言葉につまる彼の声は疲労の色が滲んでいた。電話をくれた嬉しさから生まれる声を聴いていたい≠ニいう気持ちと、一刻も早く休んでほしいという気持ちがせめぎあう。
『 ……なんというか、その、特に理由はないんだが、』
歯切れの悪い低い声は、どことなく恥ずかしそうな口調だ。思わず笑いをこぼしつつ、彼の言葉を待つ。
『……声が、聴きたくなってな 』
「……声、ですか?」
なんてかわいらしい理由で電話をくれたのだろう。喉元まで出かかった「かわいい」という言葉を慌てて飲み込んだ。言ってしまったら確実に怒られてしまうだろうから。さらに言えば、私も今同じことを思っていたので、頬は緩みっぱなしだ。
「宜野座さん、今日はもう上がりですか?」
『 ああ、なんとかな……それで、明日は久しぶりに休暇をもらえそうなんだ』
電話越しに、彼の声が少し上ずったのがわかった。つられてさらに私は微笑んで、「そっか。ゆっくりしてくださいね」と続けようとして、来訪者を告げるベルが鳴り響いた。
「あれ、来客だ……宜野座さん、ちょっと待ってくださいね」
端末をテーブルにやさしく置いてから玄関に向かう。そして生体認証のロックを解除してからドアを開けたとき、そこにいた人物に――思わず目を見張った。耳に携帯端末を押し当てたままの、通話相手。
まさか、来てくれるなんて、おもわない。
「……え、どうして」
「……疲れて、どうしても来たくなってしまったんだ。……迷惑だったら、帰る」
「いや、そんな、むしろ、」
嬉しくてたまらない。
テーブルに置いたままの端末の通話ボタンを切ることすらも忘れて、彼の顔を見つめる。ようやく端末をスーツの内ポケットにしまったその人は、見た目にも疲れているのがわかる顔で。そんな中私に会いにわざわざ、こんなところまで。
「上がってください。何も無いですけど、ゆっくりすることくらいなら出来ますよ」
「ありがとう」
宜野座は嬉しそうに顔をほころばせた。
そして靴を脱ぐと、リビングへ行くより先にまず、彼は私の手を引っ張ってその胸に引き寄せた。一日働いていたはずの彼のスーツからは、今もふわりと清潔な香りが漂い、それが私をも包み込んだ。ほんの少し乱れていた艶のある黒髪を手ぐしで整えると、彼は耳元で囁く。
「……会いたかったんだ」
「……私もです。会えなくて、さみしかったんですよ」
細く華奢な背中に腕を回す。ぎゅぅ、と強められる腕の力さえも愛おしい。
さて今夜は、彼とどう過ごそうか?
とりあえずは思う存分甘やかしてあげよう。肩に顔をうずめるこのかわいい人を、ただひたすらに癒したかった。