彼と彼の愛車と
17時半を過ぎ、退勤時刻を迎える。同僚と帰りの挨拶を交わしながら職場の裏口のドアを押すと、近くの駐車場に停車する白い車を見つけた。
それはよく見慣れた――マツダ・サバンナRX−7(型式:FC3S)である。恋人が迎えに来てくれたらしい。彼は私の姿を認めたのか、愛車のドアを開けた。
「お疲れ様、かな」
「お迎えありがとう」
「乗ってくれ」
すらりとした長身が何食わぬ顔で助手席側のドアを開ける。こうされると、エスコートされているみたいで少し照れくさい。
運転席に座った恋人がエンジンを掛けた。「今日は冷えるな」と言うから、「手が冷たくてね」と返すと、彼はおもむろに手を差し出した。
「手繋いだら運転できないくせに?」
「はは、そうだな、残念だ」
しかしせっかく差し出された大きな手を無視することも出来ず、両手で握ってみた。涼くんの手だって冷たいのに。そう思い、提案する。
「せっかくだからドライブしようよ。それでエンジンあっためて、ヒーター入れよう」
「行先はどうする?」
「やっぱりそこは、赤城山」
本気で走るのはナシでとお願いすると、恋人は穏やかに笑う。
「なら、安全運転で行くさ」
涼介はシフトノブを握り、FCを発進させる。ブォン、とマフラーからロータリーエンジン特有の、所謂良い音≠ェするのが、たまらなく好きだった。
普段群馬大学医学部に通う学生の彼は、プライベートでは走り屋の一面を持つ。容姿端麗なのもあり女性人気が凄まじく、毎週土曜の夜の走り屋の集まりに私が顔を出した際には、彼を見に集まった女性が黄色い声を上げていて、やや萎縮した。
そんな彼がどういうわけか、ある日私のことを好きだと言ったのだ。初めはどうしても信じられなくて、しかし私を見つめる甘い視線は本物で、だからこそ夢かと思った。
信号が赤になる。名前を呼ばれ、我に返る。ギアがローに入ると、マフラーからは低い音が漏れる。
「どうした? 何かあったのか?」
ちら、とこちらを見た視線は相変わらずやさしい。
「ううん、何もないよ。ただ、涼くんのこと考えてた」
「俺のこと?」
「そう。今日もかっこいいなって」
「……、」
そういう台詞を言われるとどうやら彼は戸惑うようだ。返事がない分、呆れたような顔で私を見る。
困ってしまったみたいだから、信号が青に変わるなり話の方向を変えることにした。
「ほんと、運転上手だよね」
「ありがとう。まぁ、大切な人を乗せているし……慎重にはなるかな」
「ひとりだと違うの?」
「……どうかな。自分じゃわからないからさ」
「それもそうか」
市街を抜けると、一気に車通りが少なくなる。街灯も減り、赤城山の入口に差し掛かった。峠道を走る彼の横顔を見るのが好きで、ドライブをするというたびに峠を選んでしまう私がいた。彼の本気の走りがどんなものかはよくわからないが、弟の啓介くん曰く「めちゃくちゃ速い」そうだ。
「エンジンあったまったかな」
「水温計はだいぶ上がったな。ヒーター入れるぜ」
「ありがと」
車内に響くのは低いエンジン音と何気ない私たちの会話だけ。しかしそのなんでもない時間が、今の私にとってはとても幸せなものであることには変わりなかった。
「峠登って、下りたらさ」
「うん?」
「お腹すいたから、ファミレス行こ! いつもRedSansのみんなで集まるとこ」
涼介は頷いて、シフトノブに置いていた手を動かして、私の髪を優しく撫でた。