運命を糸に託せば
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宜野座さんとの約束は、すぐに果たされることとなった。当直明けの私を公安局まで車で迎えに来てくれたのは、彼が非番の夜のできごとだ。慣れたような、まだ慣れないようなふたりきりの車内で、何を話すでもなく穏やかな時間を過ごした。元々宜野座さんも口数が多い方ではないため、「少し掛かるから、眠ければ寝てもいいぞ」とむしろ逆に気をつかったようだ。
宜野座さんの住んでいるマンションは、オフィス街を抜けた先の住宅街にあった。エントランスをくぐってエレベーターに乗り込み、部屋の前まで無言で歩く。
「お邪魔します……」
彼のあとに続いて部屋に入ると、靴を脱ぐ間もなく真っ先に大きな犬が駆け寄ってきた。
「ただいま、ダイム」
いつになくやさしい声で話しかけ、柔らかそうな毛並みを撫でる宜野座さんはとても嬉しそうだ。
「初めまして、ダイムくん。あかりって言います」
そんな彼の隣にしゃがみこんで、ダイムに向かって話しかけた。「撫でてやってくれ」と彼が言うので、お言葉に甘えて背中を撫でてみると、ダイムの双眼は私を捉えて、小さく吠えた。
「おれが子どもの頃から飼ってるからもう老犬なんだが、とにかく人懐っこくてな。君のことも警戒してないみたいだ」
「よかったあ。ダイムくん、かわいいですね」
ふふ、と笑ってまたよしよししてやると、ダイムはさらに嬉しそうに目を細めた。
「さて、中へ入ってくれ。何も無いが飲み物くらいは出せる」
ふたりして靴を脱いでリビングへと進み、ソファへ座るよう促される。ダイムは後ろをついてくると、暫くしてゲージへ戻って行った。
シンプルかつきっちりと整頓された部屋。家具は最低限だが、そんな部屋の中の至る所には観葉植物が置かれていたり、壁には昔使われていたという硬貨のコレクションが飾られていたりして、生真面目な彼の趣味が垣間見える。
「コーヒーと紅茶、どちらがいい?」
「あ、コーヒーでお願いします」
「わかった」
キッチンで手際よくコーヒーを淹れる姿。ダイムと触れ合っているときの柔らかい表情。普段仕事をしているだけでは見ることの出来ない宜野座さんのそんな一面を見られるのは、きっと彼が心を許している人間だけなのだろう。そのひとりになれているらしい自分だが、彼と恋人同士……というのは、どうも未だに実感がない。というのも、お互いの感情より義務感が先行しているからだろうと思う。好き、とか好きじゃない、とか。今の時代はシビュラが選ぶ相手と一緒になるのが最大の幸福と言われ、それに従って生きることこそ正しいのだ。そこへ疑問を持つことは許されない。
カタン、と目の前にコーヒーカップが置かれる。「ありがとうございます」と伝えれば、宜野座さんが隣に座った。
「つまらないことを訊くが、」
「はい、なんです?」
「公安に入局してから、色相が濁ったりはしていないか?」
心配そうに宜野座さんは言った。
「……今のところはちゃんとクリアカラー維持できてますよ。事件があったあとも、逐一色相と犯罪係数はチェックしていますし、大丈夫です」
「そうか。監視官は職務上濁りやすいからな、セラピーは定期的に受けた方がいい」
眉尻を下げて笑う宜野座さんに向かって、ありがとうございます、とお礼を告げてからコーヒーをひとくち飲んだ。
「おいしい!」
「よかった。眠れなくならないといいが」
そう言ってふと髪を撫でられた。意外と触れたがりなのかな、と思う。胸の奥がふわふわする。なんだかどきどきした。細く長い指、白い肌。何もかも包み込んでくれるようなあたたかさの手のひらにひどく安心を覚えて、無意識に手首を掴んでしまった。宜野座さんは驚いたような顔を隠しもせず私を見つめる。
「宜野座さん、」
眼鏡の奥の瞳が揺れる。少し緊張した空気が流れる中、しばらく黙ったままじっと彼を見つめ続ける。微かに彼の頬が染まる。掴んだ手首を持ち上げて、自身の頬にすり寄せると焦ったように宜野座さんは声を上げた。
「なっ、どうしたんだ⁉ 急に」
「いいや。あの、なんか、好きだなあって」
「は⁉」
困惑してしまうところが可愛らしい。さらに顔の赤を濃くして、そのまま視線をそらされてしまった。
「馬鹿か、君は……」
「でも、宜野座さんが髪撫でてくれたんじゃないですか」
「それはそうだが……、なんでこうなる」
「手がおっきいなって思って」
ふふ、と笑ってから手を離した。彼の手に触れるのはこれで二度目だった。その手はそのまま彼のズレた眼鏡を直し、定位置に戻ってしまった。
心臓が早音を打つ。耳の奥まで音がする。落ち着かせようと彼の淹れたコーヒーをちびちび飲んだ。そんなふたりを、向こうでダイムが嬉しそうにじっと見つめていた。