miel

運命を糸に託せば

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 数日経てば腕も感覚が戻って動くようになり、元通りの勤務もできるようになった。
 デスクに向かって溜まりに溜まった報告書を作成していると、六合塚さんがコーヒーを置いてくれた。

「酷い怪我でなくてよかったです。でも、無理、しないでくださいね」

 にこりと笑いかけてくれたので、素直にお礼を告げた。ここのところ事後処理に追われ、まともに休んでいない。幸い欠員が出ることがなかったとはいえ、監視官のみが怪我をしたとなれば、責任問題が追及されるのは当然のことだった。何のための執行官だ、と言われては反論ができない。本来、執行官は監視官を守るためにいるのだから。それをはき違えてもいけないとわかっていて、今回は咄嗟の判断をしてしまった。まだまだ未熟だな、と自嘲気味に笑ってしまえば、少し落ち込んだ。

 宜野座さんは正しい。監視官として、正しい行いをしている。間違っているのは私の方なのだとも思う。しかし、どうしても腑に落ちない。――いけない、色相が濁ってしまう。慌ててデバイスの簡易色相チェッカーで色相をチェックする。――アイスグリーン――サイコ=パスも21――しかしそれは、予想に反していっさい濁っていなかった。それならそれで構わないが、ここまでクリアカラーとは……。
 そういえば今日、宜野座さんを見ていない。公休ではないはずだが、オフィスには姿を見せていない気がする。思えば、狡噛さんもいない。ふたりで一緒にいるのだろうか。宜野座さんは彼のことを腐れ縁≠ニ言っていた。高校時代からの付き合いだとも。ふたりのこと、もっと知りたい。漠然とそんなことを考えていると、「監視官、手が止まってるぞ」頭上から声が降ってきた。

「狡噛さん!」

「なんだその反応。そんなに会うの久しぶりでもないだろ」

「あ、すみません。今日お会いしてなかったので」

「ギノといたよ。あいつ、相変わらずだな」

 含み笑いをして狡噛さんは楽しそうに言った。何のことだろうと思い首を傾げるが、彼は教えてくれず、「ほんと、あんた大事にされてるな」そう言って煙草に火をつけて、ふぅ、と細く煙を吐いた。



「あかりちゃん、怪我はもう大丈夫?」

 久しぶりに分析室に顔を出すと、志恩さんが出迎えてくれた。相変わらず部屋の中は煙草の匂いがする。

「だいぶ良くなりました。ご心配おかけしました」

「いいのよ、あなたの体調のほうが大事。宜野座くん、ものすごく心配してたわよ」

「……でしょうね」

 目が覚めたときの彼を思い出せばよく分かる。本当に心配だったという顔だ。普段は冷たく素っ気ない感じなのに、いざというときに何かあるといちばんに心配をしてくれるのは彼なのだ。彼は、そういう人だ。

「あの事件、ちょっと胸糞悪かったわね」

「……はい。結局犯人の男性はエリミネーターで死亡……ですけど、被害者であり元恋人の女性は、いまだに目を覚ましていませんし、なんだか、私、これでよかったのかなって……」

「あかりちゃんが駆け付けたときにはもう刺されてた。どうしようもなかったわ。あなたのせいじゃない」

「……頭では、わかってるつもりなんですけどね」

 薄ら笑いを浮かべ、視線を落とす。下を向いたら、涙が出そうだった。目頭が熱い。泣いてしまうことができたなら、楽になるだろうか。

「泣いてもいいのよ。無理は禁物。でもね、どうせなら、恋人に慰めてもらいなさい、ね?」

 ポン、と肩に置かれた手は温かかった。こういうとき、宜野座さんは抱きしめてくれるだろうか。そして逆に、彼が落ち込んでいるときは、私が支えになってあげられるだろうか。

「ありがとうございます、志恩さん」

 お礼を告げるとぽんぽん、と頭を撫でられて、「こんなお姉さんでよかったらいつでも頼って頂戴」と笑ってくれた。



 気分転換のため、休憩室から出ることのできる屋上休憩スペースでひとり、流れる雲を見つめていると、「ここにいたのか」と後ろから声がした。

 そこにいたのは長身の恋人で、相変わらずの仏頂面でこちらへ歩いてくる。

「宜野座さん」

「報告書、終わったのか」

「……いいや、なんだか、あまり書く気が起きなくて」

 普段なら、そんなふうに言ったら確実に怒られるだろうが、今回は違った。私の精神的ダメージを察してか、彼は隣に並ぶと、不安そうにこちらを見やる。

「思い出すと、書けないんです。思い出さなきゃ書けないんですけどね……」

「……無理はしない方がいい。色相が悪化でもしたら、それこそ元も子もない」

「……そうですね」

 そっと、髪を撫でられる。彼は不器用だ。しかし今はその不器用さが愛おしい。
 しばらくこちらを気遣って、やがて、宜野座さんは静かに口を開く。

「先ほど、病院から連絡があった。彼女が目を覚ましたらしい」

「ほんとですか⁉」

 彼の言葉に驚きの色を隠しきれず、勢いよく声の主に向かって感嘆の声を上げる。

「……嘘は言わない。だが、どうも男性恐怖症が残ってしまったらしく、女性しか面会ができないそうだ。君さえよければ、行ってくるといい」

 意識を取り戻しただけでも、本当によかった。このときは素直にそう思った。だから頷いた。すぐに会いに行こう、と。これで少しは――。


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