miel

運命を糸に託せば

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「どうして局長が知っているのかわからないんだが」

 宜野座さんは苛ついた様子で口を開いた。

 結局当直が明けても帰宅しなかったらしく、私ら三人が現場から戻って来るなり、私は彼に呼び出されてまた屋上にいた。どうやらもともと話してくれるつもりだったらしい。頬を流れる夜風が程よく冷たくて気持ちいい。もう、五月も終わる――。

「君と恋人関係にあることを指摘されて、公私混同はするな、と言われてしまった。だがおれはその境目を曖昧にしているつもりは一切ないし、仕事中はいくら君が恋人であっても甘やかすつもりはない」

「そうですね……宜野座さんが仕事中は私に対してあくまで監視官≠ニして接しているということは、誰から見てもわかります。というか、お互いそういう私情は挟んでいないつもりだったんですけど……」

「実は以前も同じ指摘を受けてな。一度、朝から局長に呼ばれてしまったことがあったが、」

「あ、私が連絡したときのですか?」

「そうだ。あのときも同じような指摘を受けたんだ。そしてその時の出動で、君は怪我を負って病院送りだ。今思えば、仕組まれていたのかもしれないな。局長がわざとおれを呼び出し、おれを出動させないようにし、君に怪我を負わせ……」

 宜野座さん、と名前を呼んで難しい顔を決め込む彼の左手を、右手でそっと握った。彼はハッとした様子でこちらを見やり、気まずそうな顔をする。

「……考えすぎです。色相が濁っちゃいますよ。それに、私たちの結婚適正を出したのはシビュラですし、何かの思い違いですよ、きっと」

 だって、そうでなければ矛盾してしまう。彼と私の関係を否定することは、シビュラシステムの導き出した結果が間違っていると、シビュラを否定することにつながるわけだから。いくら局長でも、それは許されないだろう。――局長が、このシビュラ社会に生きる≪人間≫であるならば。

「宜野座さん、疲れてるんですよ。ここのところ私のことを気遣って遅くまで仕事をしたり、私の家に来てくれたりして。今日はゆっくり休んでください」

 努めて明るく言った。宜野座さんが複雑そうな表情で私を見据える。握ったままの手のひらに、僅かに力が込められる。

「おれは、自分ばかりこうやって人並みの幸せを得ていいのかと、ふと思うことがある」

 その先に続く言葉がわかったような気がして、無意識に私は口を開いていた。

「……ずっと、言えずにいたんですけど」

「なんだ?」

「征陸さんとは、実の親子なんですよね。……すみません、実はだいぶ前に小耳に挟んでしまっていて」

「……ああ、そうだ。知っているなら話は早いな」

 意外そうな顔はせず、乾いた笑いをこぼしながら宜野座さんは溜息をついた。

「要するに、潜在犯の息子だ。腐れ縁の狡噛も、色相悪化が原因で潜在犯だ。おれも監視官という職に就いている以上、色相が悪化する可能性が一般人よりも高い。そんなおれが、普通の幸せを手に入れようとしている。許されるわけがないだろ」

「……宜野座さんの人生です。宜野座さんが思うように生きればいいと、私は思います」

 周りの環境が、彼の生きる道を決めるわけじゃない。シビュラによって選択された人生を生きてきたとしても、最終的にそれを決めるのは、結局自分自身なのだ。

 彼は口を閉ざしたまま、何も言わない。だから少しだけふたりの距離を縮めて、再び口を開く。

「私ね、この前の事件も含めて、あんなに憔悴したのに、色相もずっとクリアを維持していたし、サイコ=パスも悪化するどころかずっとアンダー20以下だったんですよ。変ですよね。だけど昔からそうなんです。薄情だなあって思って。そんな自分に嫌気がさすのに、自分ではどうすることもできなくて。だけど、宜野座さんはこんな私にさえやさしくて、気にかけてくれて、だから私もあなたのことを大切にしなきゃいけないって思えたんです」

 ほんとうはむしろ、自分よりも。その言葉だけは胸中で呟いて、彼には届けなかった。言ってしまったらきっと、彼は彼で私に叱咤するのだろうから。

「だからね、私はひとりの人間として宜野座伸元さんが好きです」

 言い切ってから彼の顔を見ると、彼は今にも泣きそうな顔で私を見つめていた。うれしいのか、それともつらいのか。
からだを捻って左手を彼の頬に伸ばした。夜風に晒されていたためか、少し冷たかった。

「花坂、」

「もう名前で呼んでくれないんですか?」

「……あかり」

「……ふふ、なんですか?」

「こんなおれで、本当にいいのか?」

「ねえ、さっきの言葉ちゃんと聞いてました?」

 風が吹く。ふたりの髪を揺らして、暫く沈黙する。宜野座さんはくちびるを微かに開いて、何かを言おうとしているように見える。だから私は次の言葉を待つように、頬に添えていた手を放して、そのまま敢えて何も言わなかった。



「……おれと、結婚してくれないか」

ようやく紡がれた言葉は、ふたりの運命を次へとつなぐ、プロポーズのそれだった。


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