miel

運命を糸に託せば

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 日本の首都――東京にある、厚生省公安局。その刑事課、一係に配属されて早一ヶ月。
 やっと仕事のこともわかってきて、報告書を書くのも慣れてきた頃。忙しさに殺されそうになりながら日々を過ごし、帰宅すればすぐに眠りこけてしまう毎日。そんな日々を過ごしているせいで、年頃だというのに恋愛すらしている暇もない。友人と過ごしているときだって事件があれば呼び出し――先輩監視官の宜野座伸元さんから、腕につけているデバイスに連絡が入る。無論、逆もある。そのときはなぜか、少しだけ緊張する。
 初めて会ったときの印象は、既に怖い人だな≠セった。具体的に何が、と問われると答えにくいが、とにかく怖いのだ。すらっとした長身に、さらさらとなびく黒い髪。その隙間から覗く瞳は鋭く、目が合うと緊張する。そして何より、監視官である彼は執行官である同僚に対し、「人間と思うな」と言う。どうしてそう思うのか理由は訊けなかった。しかし、そこまで言うということは、何か理由があるのだろうと思う。それを訊くことは、到底叶わないことなのだが。
 執行官とは、犯罪係数が規定値を超えた――所謂潜在犯からシビュラシステムの適性によって選出される人のことだ。事件において犯罪者の目線で捜査に挑むことで、より迅速に事件を解決に導くことが出来るという利点がある。そして監視官は、その潜在犯である#゙らの監視役として務めを果たすとともに、事件捜査に立ち会う仕事だ。

「おはようございます」

 日勤の朝、刑事課のフロアに顔を出すと、既に宜野座さんはいた。おはよう、と静かに返すと、無言で画面と向き合って仕事をしている。彼はいつも誰より早く出勤して、こうして画面とにらめっこしているのだが、しっかりと休息は取れているのだろうか。

「宜野座さん」

「なんだ」

「コーヒー飲みますか?」

 立ち上がって、コーヒーサーバーの前に行く前に彼に問う。「ああ」と少しだけ驚いたような顔で返事をくれたので、私はコーヒーを二人分カップに注ぎ、そのひとつを彼のデスクに置いた。

「助かる」

「いいえ」

 にこりと笑いかけると、ちらとこちらを見た宜野座さんと目が合った。
 眼鏡の下の瞳は、微かに穏やかな色を浮かべていた。

 AM7:58
 狡噛慎也執行官が入ってきた。続いて六合塚弥生執行官、征陸智巳執行官、縢秀星執行官が入ってくる。刑事課一係が全員揃ったところで、宜野座監視官が本日の捜査の内容、担当を告げる。先日起きた六本木での事件が、未解決のままなのだ。
 いつも配置は決まっている。私は狡噛さん、征陸さんと三人で行動する。


「仕事は慣れたか、監視官?」

 休憩室のベンチに座って一息いれているところに、話しかけてきたのは狡噛さんだった。
 彼は缶コーヒーを買って、自動販売機を背にコーヒーのプルタブを開ける。

「まあ、だいぶ。でも、忙しすぎてそれどころじゃない、が本音ですかね」

「そうか。監視官は多忙だもんな」

 苦笑をこぼして狡噛さんはコーヒーを飲むと、「ギノとはどうだ?」と訊く。

「宜野座さん……悪い人じゃないことはわかるんですけど、なんていうか、ちょっとこわいです」

「こわい、ねえ。ま、それも仕方ないっていうか……とにかく、悪い奴じゃないんだ、誤解だけはしないでやってくれよ」

「……はい」

 俯いていた顔を上げると、狡噛さんは窓の外を見ていた。この人は、どうして執行官になったのだろう。そして、宜野座さんとはどれくらいの付き合いなんだろう。思い始めると、私はまだ知らないことばかりだ。

「狡噛さんは、執行官になって長いんですか?」

「いや。まだ二年……だったかな」

「二年……」

 長いような、短いような。まあしかし、潜在犯として隔離施設に缶詰めにされているより、よほどマシなのだろう。私の犯罪係数は現状クリアカラーを維持している。しかし、いつ何があって、どこで犯罪係数が上がるかわからない。特にこの仕事をしているとリスクは高い。だからこそ、色相が濁りにくい人が監視官になるのだが、自分は、本当にそうだろうか。

「あんたは……犯罪係数、上がらないように気をつけろよ」

 少し眉間に皺を寄せて、狡噛さんは言った。そして空になった缶をダストボックスに投げ入れ、「じゃあな」と手を挙げて去って行ってしまった。



「花坂監視官」

 宜野座さんに呼ばれて顔を上げた。

「あ、はい。すみません」

「……疲れているのか?」

「いえ……そんなことは……」

 どうも、呆けていたらしい。咄嗟に謝ると、目の前の青年は小さく溜息を吐く。

「まあ、その。無理はするな」

「えっ……ありがとう、ございます」

 ああ、と漏らして彼は椅子に座りなおした。そしてデスクの上のサボテンに軽く水をやると、また画面と向き合って手を動かす。
 意外と、やさしいんだ。なぜか意味もなく、私は嬉しくなった。


 その晩のこと。ここのところ受けていなかったシビュラによる相性適性診断を受けてみようと何気なく端末と向き合った。ここ一ヶ月ほどで随分と対人関係が変わったので、この環境の変化に応じて相性のいい相手と出会ってはいないかと思ったのだ。
 すると、システムが下した判断に思わず声を上げた。「適正A+」――なんと私は、その相手に出会っていたのだ。

 その人の名は――宜野座伸元

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