miel

運命を糸に託せば

6
    

 婚姻届けを提出しに行く前に、ふたりで私の実家まで来ていた。結婚の報告をしに来たのだ。
 私の両親はとても喜んでくれた。父親は問答無用、「娘のことをよろしく」と。母親は「かっこいい人」「監視官の旦那さんだなんて!」「すごく礼儀正しくて素敵」そんな感想を私にこぼした。彼のことを褒められるのは、私も嬉しくてたまらない。だから言っておいた。「一見怖そうに見えるけど、全然そんなことはないからね!」と念を押した。自分がそうだったように、彼のことをよく知らない人は誤解しやすいのだ。
 私の実家から役所までの車内で伸元は素直に、「なんだか緊張したよ……」と漏らした。

「でも、よかった」

「ああ、本当に。だがこれで安心だ」

 安堵したような表情の伸元は、助手席に座る私の手を握った。私の左手の薬指には、先日彼が贈ってくれた婚約指輪がはめられている。――私たち、本当に結婚するんだ。いまいち実感がまだなかった。
 伸元の手は大きい。握られた右手の上から左手を重ねて、包み込んでみる。彼は何も言わないが、微かに頬が赤く染まっていた。
 目的地に到着し、手続きに必要な書類を提出する。それが無事終わったところで、ふたりの結婚指輪を見に行くこと、新居を探すこと、結婚式について……など、やることはたくさんあった。
 考えるのも疲れてしまったところで伸元の自宅へと戻ると、ふたりしてソファにぐったりと座り込んでしまった。ちなみに、今夜は泊めてもらうつもりなのだ。そんな私たちを見て、ダイムが構ってほしそうに近づいてきたので、伸元はあやすように撫でていた。
 やがて日が暮れた頃、適当にカロリー計算をした夕食をふたりで食べて、順番にお風呂に入って、髪をタオルで拭きながらソファでくつろいでいると、伸元がドライヤーを持ってきた。
「使うか?」と言うので素直に借りて、私が乾かし終わったついでになんとなく彼の髪を乾かしてあげた。後ろは短いのに前が長いから、少し時間がかかったが、やけに素直に髪を乾かされる伸元が何だか可笑しい。
 そのあともしばらくくっついて、ウトウトしてきた頃、そっと髪を撫でられる感覚がして、心地よさにすっと眠りの世界へ誘われてしまった。


「あ、ごめんなさい。寝ちゃった……」

 目が覚めるとともに彼の体温を感じて、慌てて謝った。座ったまま寄り掛かって眠ってしまったようだ。思わず飛び起きると、そのあまりの俊敏さに不意を突かれたような彼は、珍しく、口に手を当てて肩を震わせて笑う。

「気にするな。慣れない場所へ行って、疲れたんだろう」

 やさしくそう言われてしまえば、もう何も言えない。時計を見ると、まだ日付が変わる前だった。明日も仕事だし、眠れるときに眠っておかないとと思っても、彼とのふたりきりの時間を楽しみたい自分もいる。伸元はどう思っているのだろうか。

「明日も仕事だし、そろそろ眠るか?」

 少し眠そうに見える細められた瞳。予想どおりそう言うので小さく頷いて、寝室へと一緒に移る。テレビを消し、照明も最小限まで落として、向かい合ってベッドに入る。薄暗い中目が合うと胸の奥がぎゅっとなる。なんだろう、この感情。少し、触れたくなってしまった。

「のぶちか」

 聞こえるかどうか怪しいくらいのボリュームで名前を呼ぶ。すると「どうした?」と不思議そうな声が返ってくる。

「……やっぱり、なんでもない」

 言えない。きっと彼だって疲れているんだ。私の我儘をこんなところで聞いてもらっても、あとで自分が罪悪感に襲われるだけだ。普段はダイムと眠っているらしいセミダブルのベッドは、人間ふたりだと少し狭いのもあって必然的に密着する形になる。だからなのか――心なしか彼の心拍数も上がっているように思える。

「……何でもないわけがないだろう。……こんなに、おれにくっついておいて」

 上ずった声がした。同時に微かな溜息をついた。
 くっついているつもりはなかったのだが、無意識にパジャマの裾を摘んでいたらしい。右腕が伸びてきて首の後ろに回される。そしてそのまま、鼻と鼻を触れ合わせる。

「ばれちゃった、」

「あかりは隠し事が下手だ」

 伸元はやわらかく笑うとゆるりと身を起こして、覆いかぶさるようにして私にキスをくれた。しかしそれはやわらかく触れるだけのものだったので、もどかしくて余計むずむずした。だから無意識に手を伸ばしていた。そして、「あの、また、この前みたいに……」勢いで先に口にしていた。

「……この前?」

 彼は少し考えるようなそぶりを見せて、それから思い出したのか、恥ずかしそうに視線をそらした。そして私の頬を撫でながら、「いや、あれは、な……」と必死に弁解の言葉を紡ごうとしている。

「だめ、かな?」

「駄目ではないが、おれにだって、理性くらいは――」

「ほしいんだ、私。あなたのぜんぶ」

 困ったな、と言いたげな瞳で彼は私を見下ろす。眼鏡をしていないせいで表情がはっきりしている分、なんとわかりやすい。オレンジ色の間接照明でも誤魔化せないくらい、彼の顔は真っ赤なのだ。この間はそんなことなかったくせに、今日はやけに理性が働いているらしい。そんな彼だからこそ愛しいのだが、だからこそ私はもう我慢ができない。
 強引に腕を引っ張って引き寄せて、私からキスをした。動揺する彼を気にすることもなく、隙間から舌を入れて口内を犯す。とても熱かった。互いの唾液が混ざる音がいやらしい。伸元の舌を夢中で追いかけていると、だんだんと仕返しをするかのように絡みついてくるようになった。そうやって彼の中を何往復かして、お互い息が荒くなったところでくちびるを離すと、「……いいんだな、知らんぞ」伸元は私を軽く睨んだ。
 再びキスをしながら1枚ずつ服を脱がし合って、白い肌を触れ合わせる。骨っぽく硬い体つきなのに対して、肌はすべすべしていて心地いい。鎖骨を指でなぞりながら、男性なのにね、と自嘲気味に笑って、私の胸にキスを落とす彼のくちびるの心地よさ、舌のざらっとした感触に思わず喘いだ。慣れない行為だが、不器用ながらに気持ちよくさせようと懸命に舌を動かす姿が好きで、そう思うだけで感じてしまう。一心不乱に私の肌に吸い付く姿にどこか背徳感を覚えつつ、丁寧に丁寧に愛撫され、たまらずくぐもった声を出す私に、彼は「我慢するな」と言い放つ。そう言う彼だってこんなに我慢しているのに。足元に手を伸ばして、未だ履いたままの彼のズボンの上から、つーっと指でそれをなぞると、驚いたのか背中がびくりと震えた。

「っおい、なにを……」

「伸元も感じてるんだなあって思って」

 かわいい、だなんて。そう思えるうちはまだ私にも余裕がある証拠だ。反撃するように彼は彼で、私の全身をやさしく撫でていく。それがくすぐったくて笑ってしまうと、その指は太腿の内側を通って、下着の上から最も敏感な突起をなぞった。

「んっ……ぁ」

 声を出しかけて、くちびるを塞がれる。さっき彼のソレを触ったせいで、少し怒ってるのかもしれない、なんて。しかしそれも新鮮でいい。

「脱がすが、いいか?」

 こくりと頷けば下着を脱がされ、そっと足を開かされる。そしてじわじわと攻めていく。舌で撫でるように転がし、指はゆっくりとナカを押し広げていく。既にじっとりと濡れたそこは、もう抵抗する術を知らない。からだが熱くなり、感じる度に愛液が溢れてくるのがわかる。
 初めてのときより、確実に上手かった。覚えがいいというのか、私の弱いところを確実に記憶しているらしい。すること全部が、私を快感へと誘う。

「やだぁ……あっ、ぁっ……っ!」

「誘ってきたのは、そっちだろ」

 耳元でなんて台詞を。囁かれたときの吐息が耳を撫でてくすぐったい。その低い声がやけに心地いい。堪らないと思った。ゾクゾクした。快感に溺れて生理的な涙が溢れてしまう。それを見た彼は微笑み、そっと拭いながらまたキスをくれる。やさしいんだか、意地が悪いんだか、よくわからない。
 シーツを必死に掴む手の、その手首を掴まれて、彼は先日とは反対側の鎖骨に吸い付いた。この間つけられた痣はまだ残っている。これも、しばらくは消えないだろう。ちくりと痛むが、これはこれで独占されているようで堪らなかった。私は彼のものだ。その証明だ。
 一度温もりが離れたので、「ゴムなら、私のバッグに入ってる」と言ってみる。

「どうしてそんなものを持ち歩いているんだ……」

「いつ、伸元と肌を重ねてもいいように」

「まったく君は……」

 呆れたとも言いたげな声音が足元でする。しかし素直に私のバッグから彼はそれを取り出してきたので笑ってしまう。

「大事なものだし、ストック買っておかなきゃね」

「……善処する」

 そういうの苦手そうだなと思う。そもそも、ドラッグストアで彼がこういうものを買うところを想像したら可笑しくて仕方がなかった。先日事に及んだときも私が持っていたのだ。正確に言うと、志恩さんが私のバッグに忍ばせておいてくれたのだ。「宜野座くん、持ってなさそうだし?」と。
 思い出して暫く笑いが止まらなくて、くすくすと肩を震わせていると、彼があからさまに不快そうな顔をした。

「何を笑っているんだ」

 そう言いながらも淡々と事を進める。避妊具を付けて、そっと私の入り口にあてがう。「入れるぞ」と声がして、感覚を確かめるように彼は私の中へ侵入を果たす。ゆっくりと、ゆっくりと、私が痛くないように気にしながら、とうとう奥まで全部入ってしまった。
 入った瞬間に彼が漏らした吐息がいやらしかった。私で気持ちよくなってくれているなら、これ以上の喜びはない。抱きしめたくなったのか覆いかぶさってきた彼を両腕で受け止める。たまに漏らす声が私を扇情的にさせる。やがて少しずつ腰を動かしてみる。お互いの甘い吐息が混ざり合う空間に、艶めかしい音が響く。彼のそれは私の中でとても熱く、ものすごい質量を持って攻め立てる。

「んぁ……っ、はあっ、」

「あっ、あっ、や、のぶちかぁっ……!」

 最奥を突かれて、その気持ちよさに声が抑えられない。伸元も伸元で、苦しいのか小さく喘ぐ。その低く、掠れた声がやらしい。だから口を塞いで、お互い声を出せないようにする。舌同士を触れ合わせ、つつき合う。熱い、蕩けてしまいそうだ。
 しかしその間も耳朶を揺さぶる互いの音に、そろそろ限界を迎えようとしていた。――悲鳴にも近い、声にならない声が出て――ふたり同時に一気に昇りつめた。
 視界が弾ける。互いに数秒硬直したあと、くた、と一気に力が抜けて、そして彼は避妊具の中へ熱を吐き出したようだ。じわりと中に熱が広がる。やがてそれを引き抜くと、すばやく処理をする。まだ私は彼を求めていたので、抱きしめてほしくてめいっぱい腕を伸ばすと、彼はさっきとは違う、甘いキスをくれた。そして、

「あかりは、とても、かわいいな」

 普段は決して言ってくれることがないそんな台詞を、彼は緩みっぱなしの頬を隠しもせずに言った。


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