運命を糸に託せば
8
ここのところ、とても色相が安定している。それは伸元の方も同じらしく、サプリメントに頼るような生活とは無縁だった。ふたりでいると自然と色相が安定するらしいのと、ダイムくんといると癒されるというのがあるような気がする。前者は言うまでもない。だからこそきっと私たちの間には結婚の適性が出たのだろう。
今夜はただ一緒に寄り添って眠ろうとベッドにもぐりこんだ。抱きしめるのも、抱きしめられるのも大好きで、今日もまた向かい合って彼に抱き着いた。もうじき夏になるな、と彼が言う。夏になれば暑苦しくて抱き着くこともなかなかできなくなってしまうのかと思うと、なんだかさみしい。
ふと、私は切り出す。
「そういえば、この間さ、私も局長に呼ばれたんだよね。伸元と同じように」
「……まさか、」
「うん、公私混同はするな、とね。でも私反論しちゃった。これはシビュラの判定ですから、って」
「局長にそう言ったのか?」
彼の言葉に頷きながら顔を上げる。正面に、ほんの少し焦りの色を見せる伸元の顔が見えた。
「……それで、局長は何か言っていたか?」
「うーん、忠告というか、こういうふうに言ったことを忘れるなって。肝に銘じておくように、とね」
「……そうか」
ここで疑問に残るのは、局長がなぜ私たちの結婚を反対するのか、だろう。そもそも、一市民である監視官のプライベートな部分まで、公安局局長に監視されること自体おかしい。
「やはり、局長とシビュラの間に何かがあることは間違いないな……」
「そう考えるのが妥当かな……、あんまり考えたくはないけど」
あまり不信感を抱くようなことをすれば、必然的に色相も濁ってしまう。犯罪係数だって上がっていく。それだけはごめんだ。ここへきてこのしあわせな時間を取り上げられるなんてことが、あってたまるか。
伸元は難しい顔をしてしまった。そんな彼の髪をそっと撫でて、キスをする。
「伸元、色相濁っちゃうよ」
「……ああ、」
撫でられたことが嬉しかったのか、伸元の眉間の皺が消えて徐々に穏やかな表情に戻る。私はそんな彼に向かって「おやすみ」と告げて、ベッドサイドのランプを消した。
* * *
「おはよ」
翌朝は先に目が覚めて、まだ時間に余裕があったので起きるまで寝顔を見つめる、なんてことをしてみた。
きっちりした性格の彼なのに、案外寝起きが悪いということも、私しか知らない彼の秘密だ。
やがて目を覚ました伸元に向かってそう言うと、半目を開けて眠そうにこちらを見た。
「今日は朝から出勤だよ」
「……わかっている、」
もぞもぞと寝返りをうつついでに、こちらに腕が伸びてくる。寝ている間に離れていた距離が、また元通りになった。嬉しいけれど、悠長に抱きしめ合っている場合でもない。
「伸元って、意外と甘えんぼだよね」
「……悪いか」
「ううん、そういうとこも好き」
起きる時間だよ、と布団をめくると、伸元は「おい!」と慌てたように声を出す。照れたような、焦ったような様子の彼の腕の力が緩んだ隙に抜け出し、未だ起き上がろうとしないそのからだの上に跨った。
「起きないと征陸さんにチクリますよ、監視官?」
「馬鹿、やめろ」
「ほんっとに朝が弱いんですね」
「うるさい。低血圧なんだ」
「ああ、納得。――ほら、起きる!」
ぐいぐいと腕を引っ張るがさすがに動かない。伸元は眉間に皺を寄せながら手探りでベッドサイドのテーブルに置いた眼鏡を手に取ると、まるで視力が悪い人みたいに自然な動作でそれを掛けた。
「起きるから、降りてくれ。そこに乗られていては起きられないだろ」
やっと起き上がる気になったのか、と私はにっこり微笑んで彼の上から退いた。
休憩をとっていたら、たまたま休憩室にやってきた征陸さんがそう問いかけてきた。結婚する旨の報告をして以来、毎日彼と私をやさしく見守ってくれている存在だ。
「はい、そりゃもう」
「そうかそうか、仲が良いに越したことはないさ」
心から嬉しそうに笑う征陸さんを見て、私も嬉しくなる。最愛の息子が結婚したんだ、嬉しくないはずがない。私の両親も、こんな気持ちなんだろうか。あまり実家には帰っていないからわからないけれど。
「以前、征陸さんが言っていたとおりで。彼、とても私のことを気にかけてくれるんです。心配性すぎるかなってところもありますけど、その分大事にしてくれてるんだなって」
「お嬢ちゃんが幸せなら本当によかった。伸元はああいう性格だから、正直俺自身も心配だったんだが、そう捉えてくれてるなら、俺が心配するこたぁなかったな」
征陸さんは声を出して笑うと、目を細めて遠くを見るような顔をした。きっとなにか思い出しているんだ、昔のこと、などを。
「とっつぁん、ここに居たのか」
暫く黙ったままふたりして窓の外の景色を眺めていると、後ろから狡噛さんの声がした。二人同時に狡噛さんの方を向いたせいか、狡噛さんは苦笑をこぼした。
「監視官も休憩か?」
「そうです。デスクワークに飽きちゃって」
「そんなこと言ってると、ギノに怒られるぞ」
「ありえますね」
ガミガミ怒る伸元を思い浮かべて無意識に笑ってしまう。しかし彼は私に甘いところがあるので、入局当時のように怒ってくることはないはずだ、と変な確信もあった。
「ところでコウ、俺に何の用だ?」
「ああ、捜査資料の件なんだが……」
じゃあな、と軽く手を挙げて二人は休憩室を出ていったため、ひとり残された私は扉を開けてテラスへ出た。今日は天気が良く、気候もちょうどいい。生暖かい風が目前に迫る夏を知らせに来ている。
小さく深呼吸をしたそのとき、左手のデバイスが着信を告げた。――局長からの呼び出しだ。