運命を糸に託せば
9
「何のつもりですか⁉」
目の前にいるのが公安局局長ということを忘れた訳では無いが、告げられた言葉があまりにも理不尽で、つい大きな声で反発してしまった。
「……言葉の通りだよ、宜野座あかり♀ト視官」
「理由をお聞かせ願います。納得しかねます!」
そう告げれば、局長は深い溜息をついた。
――この先も宜野座伸元と生涯を共にするのならば――凡人としての幸せを選ぶ代わりに公安局を退職するか、或いは――結婚を取り消す。即ち離婚届を提出し、シビュラの新たな意向に従うか――。
こんなもの、到底納得出来るはずがない。明確な理由を知りたい。依然として、局長が反対する理由がわからないのだ。
「……どういうつもりですか? 何か不都合でもあるってことですか? そもそも、私が彼と結婚することで何があるって言うんですか? 結果的には社内恋愛という形ですが、仕事はきちんとこなしています!」
私は無意識に声を荒げる。感情的になっている、そう頭では理解していた。反対に、目の前の人は眉一つ動かさず極めて冷静に私を見据える。
「私は、このシビュラ社会でシビュラに従って生きてきたはずです。……この結婚だってそう。これがどうしていけないことなんですか? 私に問題があるのですか? それとも彼に何かあるのですか? しっかりと説明して頂かなければ、局長の示した意見に従いようもありません」
正直、泣きそうになった。怒りで頭に血が上っているせいだ。ただ、この人の前で泣いたとしても―涙を流すだけ無駄だ―とわかっているのに、不覚にも感情が先行している。しかし憤りを腹の底に沈め、私は局長が口を開くのを待った。呼び出しておいて、こんな理不尽なことを告げておいて、黙秘だなんて絶対に許さない。
「……君は、自分が免罪体質だと知っているかな」
「免罪、体質?」
「そうだ。約200万人に1人。普通なら犯罪係数が規定値を超えるような犯罪を犯したとしても、決して濁ることは無い。正常値が出ないのだ。だから街頭のスキャナや、サイコ=パスの検診に引っかからない。要するに、シビュラで裁けない」
「な、なにそれ……じゃあ、」
「しかしそんな存在はシビュラ社会においては許されてはいけない。……理由はわかるね? だからこそ私は、君にこちら側に居てもらわなくては困るのだ」
免罪体質。言葉だけ、どこかで聞いたことがあるような、ないような。ただ記憶にない。それに、そんな極端に濁らないことなんて――。
「少しぐらいは身に覚えがあるだろう? 例えば、事件において皆が消耗し、周りの人間は少なからず色相が濁るのに、自分はほとんど濁らない。或いは、何か怒りや復讐に燃えそうになったとして―しかし絶対に規定値を超えない。それどころかアンダー20以下を保っている……とかね」
全身に電流が流れるような感覚が走り、強く拳を握った。
なぜ、知っているのか。確かにそうだった。学生のとき、ここへ入局した後、通常であれば平気ではいられないはずの出来事に対しても絶対に規定値を超えない。危険域にも達しない。むしろ、低すぎるサイコ=パスが計測されることもしばしば。今まで単に濁りにくい体質なのだと思って過ごしてきたが、そうではなかった、というのか。
「……さあ、どうするかね?宜野座あかり♀ト視官。私に従うか? それとも君は、目先の幸せを選んでしまうのか。まさか、そんな愚かな道を選ぶとも思えんが……」
局長は冷たく笑っていた。
「……ひとつ、教えて頂けますか」
「何かね?」
「これは、シビュラの意思ですか? それとも、局長――あなたの個人的な意思ですか?」
目の前のその人は一度視線を逸らし、しかし口元には薄ら笑いを浮かべたまま、もう一度ゆっくりと私を見た。
「当然、シビュラの意思によるものだ」
ひとりになってから、急に泣きたくなった。
ひとりの人間として掴んだ幸せを手放してまで、私は社会に貢献したくはない。するつもりもなかった。愚かだと笑われても、私は彼と築いた関係を壊すのは嫌だったし、こんなに人を愛すことが出来ることも、それが人間だから出来ることなのも、彼と出会うまでは知らずにいた。だからこそ、私は彼と一生を共にしたい。愛し、愛される喜びを知ること。……いっそ、知らなければよかっただなんて。
おぼつかない足取りで一係のオフィスに戻ると、彼がデスクに座っていた。定時を過ぎているからか、他には誰もいない。伸元は私に気づくと立ち上がり、「帰るぞ」と言いかけたが、すぐに神妙な顔つきに変わる。
「どうしたんだ」
「のぶちか……」
顔を見たら涙が出てきた。我慢していたのに、溜まっていたものが決壊したように溢れ出した。
「お、おい。なんだ? どうした? 何があった?」
ここは職場なのに。ガラス張りのオフィスなのに。
構わず伸元に抱きついてしまうと、案の定伸元は困惑する。そして落ち着かせようと背中と頭をぽんぽん、とたたいてくれる。
「……ごめん。帰ったら、全部話すから。だからちょっと落ち着かせてほしい、な」
彼の胸は安心する。彼の匂いは落ち着く。
すすり泣く私に「……わかった」と頷くなり、オフィスの外から見えないように隅に移動する。そこでやさしくやさしく抱きしめられて、余計涙が止まらない。
やっぱり、私はこの人と一緒にいたい。