運命を糸に託せば
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……結局言いそびれてしまった。
昨日のあの空気、雰囲気なら言えそうだと判断したというのに。
誰が悪いわけじゃない。ちょうど世田谷区でエリアストレスが観測されたための出動命令だったのだから。結局事件自体は大したことなく、色相が急激に悪化した要セラピー受診者を捕らえることで終息した。日頃の疲労が蓄積している中、大した事件じゃなかったことだけが救いだ。
どうせなら言ってしまいたかった。昨日の宜野座さんになら、言えたような気がした。
「言っちゃった方が楽ですよねえ……」
「どうかしらねえ? 案外、言わないままじりじりと距離を縮めていくのも悪くないと思うけど?」
分析室のソファで項垂れる私に、志恩さんはそう言う。
「それは思います。でも、宜野座さんってそういうとこ鈍感な気がするので……」
「あー、わかるわかる。なんか、黙ってさえいればきっとモテるのに、損してるわよね」
「昨日、志恩さんが言ってた意味がやっと分かりました。美男子だって」
思い出したように口にすると、志恩さんはとても楽しそうに、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「あら、見つめちゃったわけ?」
「……まあ、つい。普段眼鏡と前髪に隠れてるんで気づきませんでしたけど……すごくきれいなお顔をされてるんですよね。びっくりしました」
というか、
「でもさあ、大事なこと忘れてない?」
「え? なんです?」
「そりゃもう……あかりちゃんの気持ちよ。宜野座くんのこと、好きなの? 相性適正の結果とか、そういうの抜きで」
私は答えられなかった。まだわからない、というのが正直なところだ。以前よりだいぶ苦手意識は抜けたが、好きか嫌いかで言われれば、どちらでもないが正しいような気もする。異性として見るというところは、随分前に達成していると思うが。
「ま、恋って何から始まるかわからないからね。人生何があるかわからないのと同じ」
そう言ってウインクをする志恩さんに、私は苦笑いで応えた。
オフィスに戻ると、宜野座さんがデスクで眠ってしまっていることに気が付いた。
連日の出動、連勤、眠くならない方がおかしい。ただ、頬杖をついているので腕が痛そうだなと思った。
私は見かねて私物のブランケット(普段ひざ掛けに使っているもの)を彼の肩に掛ける。するとゆっくりと目が開いた。
「あ、すみません、起こしてしまいましたか」
「いや……すまない。眠ってしまったようだ……」
苦虫を噛みつぶしたような顔をするので、思わずくすりと笑ってしまった。そしてブランケットを慌てて手に持つ。
「お疲れなのは仕方ないです。特に宜野座さんは一係を引っ張っていかないといけないポジションですし」
椅子に座って、ブランケットをしまう。結局、一瞬しかお役目がなかったけれど。
宜野座さんは特になにも返事をせず、無言で私を数秒見つめると、眼鏡のレンズをポケットから取り出したクリーナーで拭いてから、画面と向き合いキーボードを叩きだした。執行官たちが誰もいない、ふたりきりの空間。ここのところ、そういう機会が多い。先日の任務で怪我を負ってしまった狡噛さんはともかく、他の三人までもがいっぺんに席を外すのも珍しい。それぞれ非番であったり、休憩などで不在らしい。
宜野座さんとふたりきりの沈黙はもう慣れた。むしろ心地いいとすら感じる。お互いあまり喋る方ではないからなのかもしれない。
やがて、沈黙を破ったのは彼の方だった。
「そういえば、昨日、何を言いかけたんだ?」
「えっ」
投げかけられた言葉に思わず飛び上がった。まさか、そんなふうに来るとは思わなかった。
「宜野座さん、怒らないですか?」
「……怒る? なんでおれが」
「本当の本当に怒らないですか?」
「いいから言ってみろ」
むしろ言わない方が怒りそうな顔だった。あ、眉間に皺が寄ると同時にくちびるがへの字になるんだ、なんてことに気付きながら。
「あの、先日相性適正診断をして、その結果だったんですけど……」
どうにもこうにも言いづらさは隠すことができず、言えずにいると、彼がとうとう痺れを切らす。
「……なんだ、なぜ焦らす」
「相性適正A+の……さらに結婚の適性が出た相手、宜野座さんだったんです……」
「な、なに⁉」
驚きのあまり大きな声を出す宜野座さんの顔は、真っ赤に染まっていた。