今回の任務地は、山梨県、青木ヶ原樹海。
富士河口湖町・鳴沢村にまたがって広がる広大な森で、その歴史は1200年あまりとまだ比較的若い森である。この季節、青々と生い茂る新緑の葉や幹や地面から生えた苔の鮮やかな色が美しく、どこか幻想的な雰囲気が漂い"何も知らなければ"呪いとは無縁な場所だったのではないかと純は思った。

「では、3時間後にまたここに迎えに来ます」
『はい。運転ありがとうございます、霧島さん』
「いえ。くれぐれも気をつけて下さいね」
「おい、行くぞ純。時間ねーぞ」
『はいはい。ったく、せっかちなんだから』

開きっぱなしの後部座席のドアを閉め、時間がないのは二人して遊んでたからだろうがと心の中でツッコミを入れた助監督の霧島。高専からここまで一時間弱で到着する予定だったのに、後部座席で言い争っていた二人が急に山梨観光するという利害一致をしてしまったが為に、十分にあったはずの調査時間は潰れあげく散々振り回された。
それでも立ち寄る場所ごとにちゃんとお土産を買って来てくれていた純に怒りは感じないが、五条は別だ。助監督を使用人としか思っていないのか顎で指図するわ年上に対してろくに敬語も使えないわで、五条悟との任務は金輪際受けたくないと強く思った。

「あとでもう一回信玄餅食べに行こーぜ」
『先輩、ここのチーズケーキ美味しいらしいですよ』
「マジ?それも行っとくか」
『あ、記念撮影しなきゃ』

いぇーい!と樹海の入り口で観光雑誌を片手に仲良く写真を撮っている呪術師二人(一人は特級)に呆れたような…軽蔑するような視線を送る霧島。本当に大丈夫なのか?と溜息を吐いた。

『じゃあまた後で!霧島さんっ』

そんな不安を払拭してしまうほどの純の笑顔が視界に入ると、霧島は切長の瞳を細めて呆れながらに微笑んだ。

「お気をつけて、二人とも」



アメリカにいる時に聞いた樹海という場所は、あまりポジティブなものではなかったことを思い出す。九十九から聞いた話では、自殺の名所。いくつかの都市伝説が噂されるいわく付きの場所。そんなネガティブなイメージが強いあまりに、一部の間では心霊スポット化し時折り呪いが発生するんだとか。

『五条先輩、なにか見えます?』
「俺の目は探知器じゃないよ」
『だって残穢もなにも残ってないんですもん』

地面と同化しそうなほどめり込んだ木の幹を軽快に飛び越えて、辺りを見渡す五条の後に続く純。

「死体のニ、三体転がってくれてりゃ楽なのにな」
『言い方…。あくまでも行方不明者ですからね』
「いや死んでるって。もう二週間経ってんだぞ?」
『分からないじゃないですかそんなの』
「変な期待すんのやめろよ。赤の他人なんだからさ」

今回の任務内容は、『二週間前から立て続けに行方不明となっている一般人10名の捜索及び保護』そして『原因の解明と呪霊の討伐』だ。夜蛾からこの話を聞いた時にまず思ったのは、10人もの行方不明者が出ていて尚且つそれが全員死んでいる可能性がある危険度の高い任務に、一年生の派遣はあり得ないということだった。二級術師になったばかりの人間を外部の呪術師と組ませようとしていた点においても不信感が募り、無理矢理にでも同行して良かったと心底感じた。

「生きてたとして、呪いに当てられてちゃ治療も間に合わない」
『……でも』
「呪術師は神様じゃないよ、純」
『…………』
「完璧に全ての命を救おうとするな。全部背負おうとすると、必ずお前の重荷になる」

出会ってまだ数週間しか経っていないが、五条は橘華純という人間をある程度理解していた。幼くして両親を失った彼女にとって、孤独は何物にも変え難い苦痛であり、大切な何かを失うということは自分の世界が崩壊し、居場所の喪失へと繋がっている。
彼女が呪術師として無条件に人を助けるということは、自分の居場所を無意識のうちに守っているということ。人前ではそんな弱い一面を見せることはないが、常に七海や灰原…繋がってしまった誰かのことを心配している。そしてその命を是が非でも救おうとして、自分自身を犠牲にしてしまうのだ。

「俺の言いたいこと分かる?」
『…私の力じゃ救える命なんてたかが知れてるってことですか』
「そんな当たり前のことじゃねーよバカ」
『バッ…!?…それ言う必要ないですよね?』

後ろ髪を掻き「お前みたいなお人好しは早死にするから嫌なんだよ」と内心愚痴をこぼした五条は小さく溜息を吐いて歩みを止める。

「ちゃんと守られる準備もしとけってこと」
『…守られる、準備?』
「そう」

ゆっくりと背後にいる純に振り返り、気怠そうに歩み寄る。そして右手の長い人差し指で額を小突くと、わけが分からないと言いたげな表情を浮かべた純が五条を見上げた。

「俺たち(助ける側)は、助けられる覚悟のある人間しか救えない。こっちが手を差し伸べてもそれをあえて掴まない奴だっているし、自分を犠牲にして他人を助けようとする奴もいる。覚悟を持っていても理不尽に殺される奴は別だけどさ」
『………』
「お前は典型的な自己犠牲タイプ。自分が死んでも仲間や弱者を救おうとする。考え方としてはまあ多分ご立派なんだろうけど、でも…」

五条のアクアブルーの美しい瞳が、純を見つめる。
死んで欲しくない人間なんて、いくらでもいる。
けれど初めてだった…。
特定の人間の為に命をかけても良いと心から思ったのは。

「助けられる力を持った奴がそんなことしてたら、もっと大勢の人間が死ぬんだよ」
『……!』
「誰彼構わず助けてもいいけど、場合によっては命の選別をちゃんとしろ。より大勢の人間を救える選択肢を取れ。…だから今回で言えば生死不明の奴らの心配するよりは、大元を叩く方に専念した方がいいかもしれないってことだ」

遠回しだが、忠告はした。
純がより自分の命を大切にする選択肢を取れるように。
五条は少し驚いたような表情を浮かべている純の頭にポンッと手を乗せ、その横を通り過ぎる。会話の途中、視界の片隅に呪力の揺らめきを見たからだ。

『あの、五条先輩…私…』
「しっ。純、気配隠して」
『え?』
「2人、明らかに堅気じゃない奴らがこっち来る」
『はっ?…どこに?なにも見えなっ…』
「声出すなよ?」
『…!?』

一瞬の間に、純の視界から五条が消えて見えていた景色がガラリと変わる。自分の身に起きたことを認識し気づいた時には別の場所に移動していて、そして…なぜか背後に五条の温もりを感じながら、大きな幹の後ろに身を潜めていた。

「おいっ、今日中に片付けねえとボスにドヤされるぞ」
「わーってるよ!だけどさっ、これ…重過ぎんだろっ」
「(ビンゴ)」
『…………』

五条の言った通り、男二人の声が聞こえる。

「(ありゃ三下呪詛師だな…やっぱ呪霊だけじゃなかった)」
『(………五条先輩)』
「できるだけ体のデカい奴って命令だっ」
「…っくそ。"神咲さん"も無茶言うぜっ…」
『…!!(神咲っ…!?)』

男の一人が漏らした名前に、純が明らかな動揺を見せる。その一瞬を見逃すことなく、五条はこれはまだ自分の知り得ていないことがあるなと今にも飛び出して行ってしまいそうな純の体をさらにキツく抱き寄せた。

*樹にて




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