ー東京都内、某所
「若様。伏黒様、韓様がお見えになりました」
重厚な鉄扉の横に設置された古びたインターホンを押した案内役の青年が、主人と思しき人物に客人の来訪を伝える。
「ありがとう千陽。通してくれ」
この陰鬱な雰囲気の場所とは不釣り合いな見た目をした俗に言うアイドル顔の青年が、落ち着きのある、温和な声に短く返事を返し鉄扉のサビついたドアハンドルに手をかける。ギギギ…と不気味な音を立てながら開かれると同時に、血生臭い悪臭が鼻をつき、後ろにいた伏黒と韓の表情が歪んだ。
「申し訳ありません。今はアレが食事中です」
「ちっ…。商談なら別室でいいだろ」
「今回は是非、二人にもアレをご覧いただきたいと若様が」
「我慢しろ禅院。任務完遂で5000万の案件だぞ」
「だから、今は伏黒だっつってんだろーが」
ーバキッ…!
「「!?」」
ーグチャッ…!
「でけぇ犬でも飼ってんのか?」
「犬なわけねぇだろ…」
二人の会話を遮るように響いたのは、骨を砕き、肉を貪るような身の毛もすくむ嫌な音。堅気の人間であればこの時点で恐怖し扉の奥には決して足を踏み入れないところだが、一度禅院と呼ばれた黒髪の男は顔の前で異臭を払うように手を振りながら部屋の中へと進んでいく。
すぐにでも鼻をもぎ取ってしまいたくなるような死臭が充満した廃ビルの地下室には、世間から逸脱したおぞましい光景が広がっていた。
「これは呪霊…か?」
「いや、違うよ韓さん。それは呪物だ」
四方をコンクリートで囲まれた無機質な部屋の片隅で、強固な鎖に繋がれている人の形を成した異形がそこにはいる。
体の水分が全て乾き切った干物のような赤黒い皮膚に、眼窩からこぼれ落ちそうな両目玉が左右異なる動きでギョロギョロと辺りを見回している。人間のような両腕以外にも、腹部から生えている両腕があり、計四本の腕で死体と思しき肉塊を貪っていた。
表現のしようのない異形の物に、韓が呆れたような口調でクライアントの男に視線を移す。まだ若い、三十代手前の青年は座っていた椅子から立ち上がると二人の近くへと歩み寄った。
「遠い昔、まだ人を贄として神に捧げていた時代の話しだ。ある山村に発生した呪霊を自らの体の中に封じ込め、即身仏となった一人の巫女がいてね。封印術を得意とする、とても優秀な呪術師だった」
まるで当事者のような口調で語り始めた青年を、韓と伏黒が黙って見つめる。
自らの命を捧げることで底上げした呪力により施された強力な封印術が、ある日を界に弱まり始めたという。複雑に絡み合った何千という鎖が、一つ一つ朽ち果てるかのように。
「で、封印が解け出てきたのがあの化け物か?」
呆れたような表情を浮かべた伏黒が、鼻先で笑い問いかける。
「ああ。呪霊と呪術師が受肉した稀少な代物だよ。ああやって人の血肉を喰らい成長していくんだ。特に、心に闇を抱える人間の体は最高ランクの贄になる。最近では人語を話すようにまでなってきているんだよ。実に興味深いだろ?」
"でもまだまだ贄が足りなくてね。"
そう続けた男は目の前にいる化け物をまるで愛でるかのような視線で見つめ微笑んだ。
「…あんた、アレを使って何しようってんだ?」
「私は何もしない。与えられた役目を果たしているだけだ」
「役目?」
はっきりと頷いた男の微笑みが、韓に向けられる。
「早い話し、これは政治だ」
「は?」
「日本が独占状態にある呪いという資源を、どうにか軍事利用したいという政治家はわりといるんだよ。日本の軍事力は世界的に見てもトップクラスだが、やはり大国には及ばない。軍備を整えるには膨大な金と時間と人を要する。平和的思想のこびり付いた国民から税金を巻き上げるのも、良案とは言えない。国への信頼は低迷し、必ず反発を生むからね。ではどうするか…」
顔の横で人差し指を立てた男が、化け物を指差し声を弾ませた。
「"呪霊を兵器化"すればいい。実に簡単な話だろ?」
「…おいおいおい、政治絡みの案件かよっ」
「だとしたら報酬金、ちと安すぎんだろ」
「金の問題じゃねぇよっ。…呪霊の兵器化なんてイカれた話し、御三家や呪術連、高専各所諸々、黙っちゃいないし最悪あんたも俺らも消されちまう。そんな危険な橋渡って…」
「覚悟の上だ。でも安心してくれていい」
「あ?…国のお偉方以外にも後ろ盾があんのか?」
表情を歪ませた韓が、男を見据える。
「今回限りではあるが、御三家の中に我々と利害の一致する者たちがいてね。君たちに任せたい依頼内容だけであれば、協力は惜しまないと言ってくれている」
「…さらに御三家絡みかよ…」
今まで様々な事情を抱えた闇深いクライアントを相手に仕事をしてきた韓だが、今回はどこか気が進まず渋い表情を浮かべた。報酬金に目がくらみ、安請け合いしてしまう三下呪詛師のように馬鹿にはなれない。何を敵に回すのか、念入りに見極めなければ墓穴を掘る。
「それで?任務内容は…」
「実にイージーな案件だ。千陽、写真を」
「はい」
それまで沈黙を貫いていた青年が、上着の内ポケットから写真を取り出し韓に手渡す。
この時点で分かるのは、ここに写る人物の拉致もしくは抹消。護衛という場合もあり得るかと、写真を受け取った韓が視線を落とし意外そうに両眉を上げた。
「そこに写る人物を消してくれ」
「誰だこいつ…」
韓の手にしている写真を覗き込んだ伏黒も、同じ疑問を投げかけるかのように男に視線を移す。
「…禅院家の負の遺産だ」
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