ーピーンポーン
初夏の空が夕日色に染まり、夜の訪れを告げる時刻。
東京郊外。
高専の最寄駅から電車とバスを乗り継ぎやってきたのは、東京という大都市ならではの観光スポットでも大型の商業施設でもなく、日本の伝統的な古民家を再現し建てられた新築の一軒家。土地は広く、家自体もそれなりに広い。内側の様子がわからないよう家の周りを取り囲むようにして建てられた大戸口の前までやってきた五条は、躊躇することなくインターホンを鳴らした。
「"はい。どちら様でしょうか"」
機械越しに聞こえてきたのは、この家の見た目からは想像しにくい自分よりも若さのある少年の声。事前に補助監督である霧島からこの家の家族構成を聞いていた五条は、いつもどおりの調子で口を開いた。
「どもー。お父さんかお母さんいますー?」
「"あの、どちら様ですか?"」
「五条悟っていえば分かると思うんだけど」
「"…っ!!!"」
五条の名を聞いた瞬間、驚きのあまりハッと息を引き切った少年の反応に、やっぱりそうかとまるで答え合わせができたかのように納得する五条。
「"…ほ、本物…?"」
「コレ、学生証ね」
呪術師の家系の人間であればこうして疑うのも無理はない。突然超有名芸能人が自宅へやって来たら誰だって当たり前のように怪しく思うに決まっている。報復を恐れて自分の名を名乗り悪事を働くような奴はいないだろうが、幼いだろうに正しい警戒の仕方だと思いながら、五条は制服のポケットから取り出した学生証をインターホンに付いているカメラに向け映し出した。
「"呪術高専の…特級呪術師…"」
「そっ。これでいい?」
「"あの、じゃあ…純義姉さんのお友達?"」
「…あ〜、なんつーか」
「"………?"」
「純は友達ではないかな」
*
大戸口を抜け中に入ると、緑豊かな美しい日本庭園が広がっていてここが東京であることを忘れてしまいそうになる。広い家でありながらも人の気配は四、五人程度で、使用人はほとんど見受けられない。代わりに庭全体に施された術式が気になりはしたが、ここは自身の実家よりかは居心地が良さそうだとメインの建物を見上げた五条。するとタイミングよく玄関の引き戸が開き、一人の少年が姿を現す。
「初めまして。五条悟様」
「……!」
「橘華天馬といいます」
礼儀正しくお辞儀をした天馬と名乗った少年が、今しがた話しをしていた人物だとすぐに分かった。年は想像していたより若く、まだ十かそこらだろう。柔らかい栗毛に、タレ目がちな大きな目が小動物のような印象を与える。見えている肌は白く細く、向けられた笑顔はどこか弱々しい。一目で病弱だと分かる見た目をした少年だが、五条の目がサングラスの奥で一瞬見開かれたのには別の理由があった。
「すみません、こんな見苦しい姿でお出迎えしてしまって…」
「いや気にしてない。つーかそれ大丈夫か?」
触れてはいけない。
なんて言える程度のものではなく、五条は天馬に歩み寄り膝に手をつき視線を合わせる。ミミズのように腫れた皮膚が巻かれている包帯の範囲を超え、侵蝕していて痛々しい。顔の左半分を覆っている包帯に手を添え苦笑いを浮かべる幼い少年がとても不憫に思えた。
「呪いにあてられてしまってて…」
「呪霊に付けられたものじゃないだろ」
「えっ…どうしてそれを…」
「見りゃ分かる」
天馬の顎に手を添えて、左右上下に動かし観察する。
「あ、あのっ…」
「呪物使った儀式ありきの呪いか、術者の術式か…。どっちにしてもかけた奴を始末しないと解けねぇな。純はこのこと知ってんの?」
「もちろん!これっ…」
五条の手が離れ解放された天馬が、質問に答えるため左手首を差し出す。折れてしまいそうなほど華奢な手首に付けられているのは、四つ組結びの聖麻と黒水晶で作られたブレスレット。よく見ると水晶一つ一つに小さく呪印が刻まれている。
「義姉さんがくれました。お守りだって」
「へぇ、なるほど。…これで呪いの進行を遅らせてんのか」
やるじゃん。と笑みを浮かべた五条が膝を伸ばす。
「庭の術式も義姉さんが施してくれました。僕の呪いがこの程度で済んでいるのは純義姉さんのおかげなんです」
「呪いにあてられてるのは天馬だけ?」
「あの、そのことなんですが…」
ブレスレットを右手でギュッと握りしめ、辛そうな表情を浮かべた天馬。少し震える声で"実は…。"と切り出したその瞬間、玄関の引き戸が開き中から天馬よりも幼い男児が姿を見せた。
「天にぃ?なにしてるの?」
「…!!」
「おきゃくさん…?」
「家の外に出ちゃ駄目だよ龍っ…」
玄関から一歩外に出ようとした幼子を、天馬が血相を変えて押し戻そうと手を伸ばす。その様子から何かを察した五条が小さな体を軽々と抱き上げ、家の中に入っていく。よかった…と安堵したのも束の間、すぐに"うぇぇ…"と嗚咽する声が聞こえてきて、続けざまに五条の叫び声が響いた。
「天にぃ〜……ゲロはいた…」
「あっぶね〜…術式なかったらモロ顔面に喰らってたわ」
「うわぁぁっ、すみません五条様!」
五条を避けるようにして、足元にビチャッと落下した吐瀉物。その場で何度も頭を下げ平謝りする天馬を制して、五条は許可を得ないまま靴を脱ぎ長式台にあがるとぐったりしている幼子を抱き抱えたまま"案内して。"と天馬に言った。
「あ、では先に弟を部屋にっ。こちらですっ」
「このガキ名前は?」
「龍心といいます!末っ子の弟で…」
「見た感じまだ呪いにはあてられてないみたいだな」
「はい。龍心は呪いを受ける前に東京に来たので」
「前は京都にいたんだってな?」
「そうです」
京都にいた頃は、自分がこんな風に動けるようになるとは少しも思っていなかったと話す天馬。ある日突然やってきた両親の知人、それが九十九由基という女呪術師だった。美人だが妙に馴れ馴れしく、極度の人見知りだったせいか苦手意識を抱いた記憶が今も鮮明に残っているという。しかし、そんな彼女が連れてきた純のおかげで自分は人らしい生活を送れているんだと、天馬が縁側に面した部屋の前で足を止めた。
「ここが龍心の部屋です。運んでもらってすみません」
天馬が申し訳なさそうに引き手に手をかけ襖を開くと、部屋の中は十畳ほどの広さがあり、五条でなければ一般的な子供部屋だとしか思えない作りをしている。ひとまず龍心をベッドにおろすと、あとの世話は自分がすると手際良く汚れてしまった服を着替えさせる天馬。その間に部屋をぐるりと見渡すと、子供が喜びそうなカラフルな壁紙の裏側、この部屋を取り囲むようにして不気味なほど大量の呪符がびっしりと貼られていた。
「龍心、純義姉さんからもらったお守りは?」
「さっきトイレではずしちゃった…」
「部屋の外に出る時は絶対付ける約束だろ?じゃないと悪い奴らに悪戯されちゃうんだ」
「うん……」
「龍心はまだ小さいから、悪戯されたらさっきみたいにすぐ具合が悪くなっちゃうって純義姉言ってたよね?」
「ちゃんとおぼえてる…。ごめんよ、天にぃ」
「今度は気をつけるんだよ」
聞き耳を立てずとも聞こえてくる幼い兄弟のやり取り。
なるほどそうゆうことかと一人納得してからベッドの上にちょこんと座っている龍心の隣に腰を下ろすと、満月のような丸々とした瞳が自分を興味深げに見つめてきた。
「にいちゃんだれっ?」
「龍心、この方は五条悟様といって、御三家の…」
「あーあー、こんなガキ相手にそんな難しい説明しなくていいって。あとその"様"ってやつ、やめてくんない?」
「で、でも…両親から御三家の方々には礼儀っ…」
「いいって。俺そうゆうの嫌いだし」
顔の前でひらひらと手を払う五条に対し、どうしていいのかと戸惑いを見せる天馬。子供のくせに余計な気を遣う真面目な性格らしい。そんな二人のやり取りを眺めていた龍心が、会話の内容を理解しないままなんか安全そうな人間だと五条の腕に飛びつき無邪気な笑顔を浮かべた。
「じゃあさとる!!」
「りゅ、龍心!」
「お前!なんか純に似てるっ」
「オレさとるとともだちんなる」
「ノリがそっくりじゃねーか」
「すみません、すみませんっ…龍心は義姉さんのこと大好きだから何でもかんでも真似するんです」
土下座をして平謝りする天馬にすぐ謝るなと言い聞かせた五条。恥ずかしそうに頬をかきながらそれでもなおペコペコする天馬に、こうゆう人間が御三家でなくてよかったと心底感じた。
「でさ、お前の父ちゃん母ちゃんは?家にはいるだろ」
「……父と母は随分前から呪いにあてられていて」
「やっぱりか。今どんな状況?」
「二人とも寝たきりです…。何か用事があったんですよね?」
「まあね。でも話せないならしゃーないな。帰るわ」
「えっ…」
「さとるもうかえっちゃうの?」
弟、龍心の歳の頃は三、四歳といったところ。
それに対して天馬は十歳くらいか…。両親は寝たきりだというし、二人の世話をしてくれそうな使用人の姿もない。純も高専の寮生活をしているし、飯とかどうしてんだ?と疑問に思いながらも制服のポケットから携帯を取り出しそして…。
「お前らピザと寿司ならどっちがいい?」
ニッと笑った五条の問いかけに、龍心の目がキラリとまばゆい光を放った。
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