自分たちとは違った容姿をした純姉を初めて見た時、子供なのにとても綺麗な人だと思った。
末っ子の龍心はまだ生まれたばかり。
四兄弟の中で一番人見知りだった天馬が、一番最初に純姉に懐いた。この頃のオレは、突然アメリカからやってきた、自分たちとは似ても似つかない純姉のことを義理とはいえど姉扱いするのが嫌だった。
明るくて、面白くて、綺麗な純姉。本当は仲良くなりたいという気持ちを抱えながらも、兄弟の中で一番性格の捻くれていた俺は兄や弟のようにすぐに素直になれなくて、負け惜しみかのように単純な弟のことを心底馬鹿な奴だと思うようにしていた。



ー四年前、京都

「千陽、なに覗き見てん?」
「監視」
「はぁ?誰を」
「あの女だよ!何かしでかさないようにっ」
「馬鹿タレがっ!」
「いってぇーー!!!なんでよ"チズにぃ"!!」

襖から座敷越しに広がる日本庭園。そこで遊んでいる幼い弟と最近義姉としてこの家にやって来た純を睨むように見つめる八歳の千陽。たまたまそこに出会した兄千鶴が、事情を聞くやいなや愛の拳を弟の頭に振り下ろした。
ジンジンと痛む頭を押さえながら、千陽は涙ながらに兄へと猛抗議を開始する。

「あの女なんて呼び方はやめ!純や!」
「知るかいなそんなもん!俺はあいつがっ…」
「言ったやろ!お前の姉ちゃん、俺の可愛い妹やて!」
「俺は認めてへんもん!外人の血ぃ入っとるし!」
「は〜〜っ。ちっさ!肝っ玉うま塩くらいちっさくてアカンわ」
「はぁ!?女にモテへん奴に言われたないよっ」
「はぁ!?おまっ…しばき倒したろかガキが!」
「悔しかったら五条家のボンの爪の垢でも煎じさせてもらえやアホ兄貴!」

拳を握りしめる兄に、ベロベロバ〜とおちょくる弟。
いつも通りのやり取り。
先に怒りをおさめるのはいつも兄である千鶴のほうで、今回もため息を吐きながら千陽と視線を合わせるためしゃがみ込むと、小さな肩に手を置いて諭すように口を開いた。

「血ぃなんて関係ないで、千陽」
「…でも、また御三家の奴らに馬鹿にされるやん」
「そんなん言わせとけばええんやって」
「チズにぃは腹立たへんの?」

兄の手を振り解き、両拳を握りしめた千陽が、幼いながらに感じていた思いの丈を言葉にする。

「だいたい好かんよ俺っ!御三家。名前に守られてるだけで、俺やチズにぃより弱い術師いっぱいおるやん!でも仕返し怖くて手ぇ出されへんし、俺の友達だってこないだ禅院家の奴に馬鹿にされてっ…」

悔しそうに唇を噛み締めて、表情を歪める千陽。昔から続く御三家への怨恨は、時を経ても若い子供の心になおも黒い根を張り続ける。自分のように気にしない性格の人間もいるが、それは稀だということを千鶴は理解している。問題と向き合い一定の理解を示すよりも、千陽のように他者に対する恨み辛みを募らせるほうが、よほど簡単だということも。

「でも、純は御三家ちゃうやん」
「…っ!せ、せやけどっ…」
「なら、それで純を攻めるのはちゃうやろ」
「……でもチズにぃっ」
「お前が言ってること、御三家の奴らと同じやで」
「!!!」
「誰の血ぃとか関係ないねん。そんなことで人間決まらん」

ため息混じりに立ち上がり、何もいえなくなってしまった千陽の頭をガシガシと少し雑に撫でる。ハッとして顔を上げると、大好きな兄の、太陽のような笑顔が映り込んだ。

「純と仲良くしいや、千陽」

消化不良を起こしそうな陰鬱とした気持ちが、スッと晴れていく。少しばかり恥ずかしそうな表情を浮かべながら俯いた千陽が、"分かった。"と短くも人としての成長を感じさせる言葉をつぶやいた。

それから数週間後のこと。

『千陽』
「…!な、なにっ…」

学校から帰宅し、部屋で宿題をしている千陽に声をかけた純。突然のことに驚き動揺する千陽。仲良くしろとは言われたものの、まだ少しぎこちなくて、心を開くことができないでいる。今日に限って兄も両親も外出中のため不在。天馬は純の後ろにピタッと張り付き、一日中ついて回っているくらい懐いているから、自分の味方になってくれそうにない。
千陽は鉛筆を持ったまま、顔だけを後ろに向けた。

『その足の怪我、どうしたの?』
「えっ……?」
『誰にやられた?』
「えっ…と…」
『禅院家、加茂家、五条家?どこのガキ?』

この頃の純はまだ日本に来たばかりで、日本語はかなり流暢であるが子供らしからぬ威圧感と攻撃性が抜けきれていなかった。絶対に逆らってはいけないと生唾を飲み込んだ千陽が、それでも大事にはしたくないと、小さく頼りない声で"階段で転んだ…。"とベタな嘘をついた。

『嘘つくな。足に残穢が残ってるじゃん』
「…っ!?」
『術式使ってやられたんでしょ?』
「…う……うん…」
『やり返したの?』

無言で首を横に振る千陽。

『なんで日本人ってやり返さないの?信じられない』
「……………」
『誰にやられたか教えて』
「…ご、御三家には仕返ししたらアカンねん」
『は?誰が決めたのそれ。そうゆう法律?』
「法律…じゃないけど…暗黙の了解ちゅうやつで…」

"呪術師だったら守らなアカンのや。"そう言った瞬間、純の表情が思い切り歪んだ。

『弟がやられてんのに黙ってられるほど私大人じゃないし、その日本語は分かんない。早くやった奴の名前教えて馬鹿』

この日から、純との関係が大きく変わった。

ーそれから三日後

『二度と弱い者虐めすんな三下』
「……な、なんだ、このガキッ…」
「女のくせに強すぎんだろっ……」
『雑魚が』

ペッ!と、足元に生唾を吐き捨てた純は、この時まだ十二歳。フードを目深にかぶり素性を完全に隠したまま、千陽に怪我をさせた首謀者の少年の胸ぐらをグイッと掴む。

『次やったらミンチにするからな』
「ひっ……」
『取り巻き共も分かったか?お前らも同罪だからな』

子供と思えない殺意と気迫に、完全に腰を抜かす少年たち。

「…ど、どこの家の奴だよっ…!うちの両親がっ…」

それは流石に困る。
せっかく養子に迎えてくれた新しい家族に迷惑はかけられないと頭をフル回転させた純が導き出した最善策。それは…。

『私五条家・・・のニンゲンだよ』
「「「「!!!!」」」」

確か九十九が言っていた。
五条悟には誰も逆らえないと。
どうせ甘い汁を吸い続けているぼんぼんなのだから、名前くらい借りても良いだろうと閃いた純がさらに続ける。

『しかもあれ、悟とめっちゃ仲良いから私』
「「「「ええぇえぇえっ……」」」」
『お前らが親にチクったら私も悟に言うからな』
「(ほ、本当に五条家かコイツ…!?)」あ
「(ああっ。この態度と口の悪さはそうだなっ…)」

面識のない子供の名を無断使用し、ドヤる純。しかし効果は抜群だったようで、少年たちはその場で頭を下げもう二度と虐めはしないと断言した。

ーそれから時は流れて二年後

「最近純が全然言うこと聞かん」
「純ねぇやもん。でもオレらには優しいで」
「なんで!?羨ましいっ」

庭先で作業をしながら、高校三年生になった千鶴が十歳の弟に愚痴をこぼす。オレも優しくしてほしいと願望を口にすると、"キショいで。"と痛烈な言葉が返ってきた。

「つーかチズにぃ?」
「んー?」
「今度は左腕怪我しはったん?」
「ああ、コレか」

この二年で、何故か包帯だらけになった兄の体。
先日まで左腕には巻かれていなかったのに…と、心配そうな表情で問いかける千陽。

「かっこええやろ!」
「なわけあるか!小三かお前っ」
「包帯かっこええやろが!主人公みたいでっ」
「心配して損したわ!」

プンスカと小言を言いながら地面をスコップで掘り進める千陽に、千鶴が穏やかな笑みを浮かべて雑に頭を撫でる。

「おおきに千陽。心配してくれはって」
「べ、別に…!お前の兄ちゃんミイラって馬鹿にされとうないし!」
「なんやそれっ」
「俺、天馬のほう手伝ってくるわ!」

気恥ずかしさから逃げるようにして、少し離れた場所で同じように作業している天馬のもとへと駆けていく千陽。その姿にいたずらな笑みを浮かべ笑っていると、入れ違うようにしてやってきた純が千鶴の隣にしゃがみ込んだ。

『千鶴、穴掘れた?』
「オレ千鶴にぃって呼ばれたいんやけど」
『掘れたらこの呪具埋めて』
「いや無視!でも可愛いから許す」

純から手渡されたのは、小さな呪符に包まれた黒水晶。それを掘り終えた穴に落とし、また土をかぶていく。作業を始めて数時間。あと一つは天馬たちの所に埋めると言って立ち上がろうとした純を、千鶴が引き止める。

「純、ちょ待って」
『なに?』
「ここ二年で数件は起きてる御三家の…特に禅院家の子供が五条家の子供にど突かれとるってまあ小さい事件やけどもな?あれの犯人お前やろ?」
『(ギクッ…)』

明らかに肩を振るわせて、やばいバレた…。と視線を不自然に逸らした純を見つめる千鶴。その反応にやっぱりなとため息を吐くと、純の肩に手を置き真剣な眼差しを向ける。十四歳になった思春期真っ只中の純は、面倒くさい説教が始まるとあからさまにため息を吐いた。

「ナイスやで純!!」
『……はっ?』
「しかも悟君の名前乱用しまくってんのやろ?」
『待って、なんで知ってんの?誰から聞いたっ?』

シシシッ。と悪意ある笑みを浮かべた千鶴に対し、説教されると思っていた純が拍子抜けしながらも驚き少し身を乗り出す。

「京都高の同級生にな、"霧島"って奴がおんねんな」
『うんっ』
「そいつ趣味が諜報活動っちゅう変態やねん」
『えっ』
「だから知ってんねん」
『誰かに言ったらミンチにする』
「コワッ!やめてそれ!もっとお淑やかになりなさい!」

千鶴の頬に、銃の形を表現した指をグリグリと押し当てる。

「誰にも言わんよっ。バレたらウチが潰されるし」
『よし。でもまあそろそろやめようかと思ってたんだ』
「そ、そやね。五条家に知れ渡る前に手ぇ引こか」
『あ、そうだチーズ』
「千鶴やから」

しゅん…と大袈裟に肩を落とした千鶴にいたずらな表情で笑う純。そして上着のポケットから何かを取り出し、付けていてくれと手渡した。

「これは?」
『黒水晶のブレスレット』
「へえ〜。綺麗やね」
『それで少し、呪いの進行遅くなるって』
「………」
『九十九さんから教えてもらった』

増える傷痕。
兄弟の中で純だけが知っている、千鶴の体を蝕んでいる呪いの存在。少しずつ、少しずつ、進行は遅いが確実に千鶴の命を削っていくそれは、解呪方法の見つからない「死の呪い」として橘華家の人間を犯し続ける。

『あのさ、千鶴』
「なに?」
『ごめんね。私がもっと強かったら、千鶴の呪い解いてあげられたのに…。遅らせてあげることしかできなくて』

埋め終わった穴があった場所で、蟻たちが進行方向を失い右往左往している。それを真っ直ぐ見つめながら、純が膝を抱え顔を埋めた。

『本当はね、もっとちゃんと助けたい…』
「十分助けてもろてるよ?」
『千鶴には長生きしてほしい。良い人だから』
「嬉しいこと言ってくれるやん」
『でももう、そんなに進行しちゃってる』
「そやね。ぼちぼちミイラやな俺」
『苦しくて痛いはずなのに、なんで笑うの?』
「………」
『なんで泣かないの?』
「………」
『千鶴が笑うと、私は泣きたくなる』
「………」
『……千鶴?』
「なん?」

"お願いだから、来年も、再来年も、ずっと生きててよ。"
そう言った純の声が、震えている。
膝を抱え、静かに泣き出す純の頭に手を置いて、寄り添うように座る千鶴。見慣れた庭の景色を焼き付けるように見つめながら、千鶴は穏やかに微笑んだ。

「辛くても笑うのは、お前たちの悲しい顔見とうないから」
『……っ…』
「俺も大概泣き虫やから、そうゆうのアカンねん」
『…ぐすっ…』
「でも少し、弱音吐いてもええんやったら聞いて?」

純は強い子やから、ちょっと甘えようかな。と肩を抱く。呪いの発現は二年前。今日まで辛くとも、自分のうちに秘めてきた本音がある。兄であることにプライドを持ち、弟と妹の前では常にかっこよくあり続けると自分に誓った。一切の弱音を言うべきではないと思っていたが、純の存在に…その心の強さに、少しばかり兄としての重荷を下ろすことを、許された気がした。

「俺な、夢があんねん」
『……ゆ、め…?』
「そ。なんやと思う?」

涙を拭いながら分からないと首を横に振る純。

「高専卒業したらな、東京校で教師んなんのが俺の夢」
『…京都校じゃなくて?』
「うん。だって純は絶対東京校やし」
『………私がいるから?』
「せやで〜。お前は絶対悟君とバチバチするやろし、なんか面白そうやん?」

人懐っこい笑顔を浮かべた千鶴の笑みにつられて純と笑う。

「そんでさ、将来二人で教師なって東京校牛耳ろうや」
『あははっ…なにその馬鹿みたいな夢っ…』
「せやろ〜?俺が学長なって、お前が敏腕教師!そん頃には千陽も、天馬も龍心もでっかくなって、それぞれの夢追っかけて成長していくねん」

未来に想いを馳せ、遠くを見つめる千鶴。

「だから、本当は俺も長生きしたいねん」
『……うん…』
「成長してくお前たちを、ずっと近くで見守っていきたい」
『…うんっ…』
「だから兄ちゃん、もうちょい気張るわ!」

純の肩を抱く腕に力を込める。
ズキズキと刺すような痛みが全身に走り抜けるも、千鶴は心底幸せそうに微笑んだ。

「ありがとうな、純。俺の妹になってくれて」

それからしばらくして、千鶴は呪霊に転じた。
自らの自我が消える最期の最期まで、大好きだった義妹と、弟たちの名を呼び、愛していると伝え続け、橘華千鶴は、19歳という若さでこの世を去った。




*前  次#


○Top