「ねえさんやめて!殺さへんでよっ!」
『千陽下がって!危ないからっ』
「こない姿なっても、チズにぃは俺らの兄貴やんかぁ!」


呪いにあてられ寝たきりになった兄が、半年後に呪霊に転じた。純姉の母親も同じだったと両親から聞いた。腐った皮膚からは蛆が湧き、人の言葉を失い、自我を失った千鶴兄。こうなる前に人として死なせてあげるべきだったと、全部私の弱さのせいだったと、純姉は自分を責めた。

…でも、本当は知ってる。

純姉がオレたちのために、少しでも長く千鶴兄を生かしてくれてたこと。

「嫌やぁ!純ねぇ!!」
『…千陽っ、お願い分かってっ…』
「!?」
『千鶴兄は…もうっ…』


泣き叫びながら純姉を止めようと必死なオレ。
あまりのショックに気を失ってしまった天馬。
息子を愛すあまり手を下せなかった父と母。
そして、純姉の腕の中で眠る幼い龍心。
考える余地なんてなかった。
祓わなければ、みんな死んでた。
だから祓った。
わかってる…。
わかってるんだ…。
純姉は呪術師だから…。

「うわあぁぁぁぁぁぁっ!!!」
『…ごめんっ…ごめんね千陽っ…』


仕方がなかった。
悪いのは純姉じゃない。
わかってる…。
でも、それでもオレは千鶴兄を祓った純姉を受け入れることができなくて…橘華家から出ていくと決めたあの日、オレは純姉に呪いの言葉を吐いた。

"お前が死ねばよかった"…と。



ー午後23時50分、東京某所

「禅院甚爾は今回の依頼をパスしたよ」
「………」

高層ビルの屋上から、眠らない都会の街を冷めた瞳で見下ろす少年に声をかけた神咲が穏やかに微笑む。

「禅院家はなんて…?」
「とにかく早く始末しろの一点張りだよ」

眼下に広がる色鮮やかな光の海を眺めながら、神咲が呆れたような口調で言う。

「あの家なら放っておいても壊滅しますよ」
「君の義姉あねがいなければそうなっていただろうね」
「…彼女一人に何ができます?」

いくら才能があるとはいえど、禅院家を相手取って戦えるのは五条悟くらいだろうと少年がつぶやく。その言葉に神咲は笑みを崩さず体の後ろでゆっくりと手を組むと、少年に視線を移し問いかけた。

「山梨での任務、覚えているかい?」
「姉を始末するために仕組まれたあの任務ですか?」
「ああ」

少年の答えに頷いた神咲がこう続ける。
あの任務の首謀者は禅院家と、禅院家との関わりが深い一部の保守派のお偉方。過去の因縁から、橘華家を根絶やしにしたい彼らが早い段階で橘華純を始末しようと作り上げた架空の任務。そして、そこに都合よく協力したのが神咲たち数名からなる呪詛師集団。当初は外部の呪術師…禅院家の術師数名を同行させ、そこで純を始末する手筈だった。
「任務に失敗し、命を落とした学生呪術師。」
筋書きはこうだ。
実際学生であろうとも、派遣された任務の等級次第で命を落とすことはザラにある。誰も疑問に思わない。事は穏便に済まされ、闇に葬られる。
それが彼らの狙いだった。
しかしそのシナリオは、一人の術師によって頓挫する。

「五条悟…」
「…っ!」

その名前に少年の目が大きく見開かれた。

「奇しくも君の義姉の命を繋いだのは彼だ」
「姉は御三家を嫌っていましたっ。協力なんてっ」
「どうやら五条悟の独断だったようだね。上層部のお偉方に直接異議申し立てをしてきたと、禅院家側の保守派一党は皆ご立腹だ。学生とはいえ凄まじい影響力だよ。五条家の嫡男は」

ハハッと乾いた笑い声をもらした神咲からは、この件に関しての興味はあまり感じられない。

「…これからどう動くおつもりですか?」
「禅院家からは"例の呪物を提供"してもらった手前、その分の働きはしないといけない」
「俺にできることは?」
「もちろんあるとも!」

満面の笑みを浮かべた神咲。
組んでいた手を解放させ、一歩少年に歩み寄る。

「義姉を直接狙うのはナンセンスだ。五条悟もいる」
「はい」
「そこで、君の弟たちを有効利用しようじゃないか」
「……天馬と龍心を?」
「そうだ。彼女、弟たちのこと溺愛しているんだろう?」

ニヤリと怪し気な笑みを浮かべた神咲に、少年が静かに頷く。

「なら囮にしよう。彼女は必ず助けにやってくる」
「でも、五条悟が一緒だったら?」
「そこはあの"呪物"の出番だ。上手く彼らを引き離せると思うよ」
「分かりました…」

神咲の、濁った黒い目が少年を見つめる。
まだ幼すぎて気づくことのできない大人の醜悪さが、悲しみに蝕まれた少年の心を闇に堕とす。

「やはり君は良い子だね、千陽」

11歳という若さで経験した最愛の兄の「死」は、千陽の心にあった理性と感情を崩壊させた。黒く渦巻く深い闇が千陽の心を蝕み虚無を生み、そしてそこからさらに歪んだ、最愛の兄への常軌を逸した強い愛情を生んだ。

「…若様」
「ん?」
「…また、千鶴兄さんに会えるんですよね?」
「もちろんだとも」

そう言った神咲が、影のような笑みを浮かべた。




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