体の支配を奪われたような感覚。
凄まじい圧力と緊張感が、純の頬に汗を垂らした。

ードッ!!

『…!!!』
「ヒヒヒッ」

完全に、敵の動きを追えなかった。一瞬なんてものじゃない、初めから背後に立っていたんじゃないかと思うほどだ。防御に転じる暇などなく、硬化した腕に背中を強打された時には体が数メートル先に吹き飛び、森の巨木に激突した。痛烈な痛みが純を襲い、口と頭から鮮血が滲む。

『………(これが……特級…?)』
「死ヌのが怖イか?」
『…っ!?』
「ヒヒッ」

目の前に現れ純の顔を覗き込むギョロリと音を立てた三つの紅い眼(まなこ)。先程よりも流暢になった人語が気味の悪さを増幅させ、一瞬でも気を抜いてしまったら恐怖に飲まれ身動き一つ取れなくなってしまうような状況下だが…、一級呪術師ともなると頭の思考回路、恐怖に対する耐性が常人のそれとは異なり…完全に、壊れている。(イカれている。)

『あと14分…』
「……!?」
『理不尽なサイコ野朗が来て馬鹿にされる前に…』

純の左手が、大きな眼玉にそっと触れる。
臆することなく呪霊を真っ直ぐ見つめているレディッシュブラウンの瞳には、狂気にも似た鈍い光が瞬いていた。

『お前はここで殺す(祓う)』

ゼロ距離で放ったミラ(型変光星)が呪霊の体を吹き飛ばす。地鳴りが響き敵との距離を保てたところで瞬時に空中へと瞬間移動。すぐに土煙りの中から姿を見せた呪霊の打撃を避け再び瞬間移動をし、間合いを取って念動力を溜めた両手を上から下へと何かを掴むようにしておろしていくと、呪霊の体がガクンっと傾き空間が歪んだ。

「(…これ、ハッ…凄まじイ重力っ…)」
『…ッ…落ちて!』
「ナ"ッ…ニ"ッ…!!!」
『落ちろっ!!』

ードガッ!!

重力に加えて呪霊の真上へ移動した純の、念動力の込められた両足蹴りが重くのしかかり巨体を地面へと叩き落とす。しかしそこで止まらずドンッ、ドンッ、ドンッ!と体を幾度も踏みつけ地面を抉り、そして…。

『…"jupiter(木星)"』
「イギャッ…!!!」

対象物にかかっている重力を手のひらに収束し、10倍の力を加えて放出する『jupiter』。一級相当の呪霊であれば簡単に押し潰れてしまうのだが、特級ともなるとやはりそうはいかない。体の形状を維持したまま一瞬でできた大きな穴の中へ落ちて行く。地下深く、闇に消えた姿に荒い呼吸を繰り返している純はダメ押しと言わんばかりにミラを放った。

『ッ…はぁ…はぁ…』

地鳴りが響き、穴から眩い光だ立ち登る。
消耗した体力と呪力に舌打ちをし、呪詛師が死んだことで上がってしまった帳に表情を歪めた。やはり空間に対して念動力を作用させると呪力の消費量が著しく、酷く疲れる。強力な力ではあるがまだまだ使い熟せず念蜜な呪力操作にムラが出てしまう。今回は対象呪霊の体積が大きかった故にヒットさせられただけであって、この技のヒントを与えてくれた五条のようには上手くいかない。自分にもあの眼があったらと何度も思ったが持って生まれた才能には叶わない。ただ、忙しい身でありながら厳しい鍛錬をつけ、口煩いがあーしろこーしろと的確なアドバイスをくれる五条には感謝している。

『ふぅ。…祓えたかな…。よかった…あと5分で五条先輩に嫌味言われるところだっ…』
「アアァア"ッ…アアァッ…」
『…え……っ。う、そ……ぐっ……!!』

油断。
立っていた地面が割れ、浮遊しようとした刹那に左足首を掴まれバキャッと嫌な音がした。

『ぅ…ぁあぁ"っ…!』
「死ネッッッ!!!」

痛烈な痛みが走り抜けたあとすぐに鋼のように硬い拳に全身を数回殴りいたぶられ、最後の一撃で体が吹き飛ぶ。全身を強打し地面を抉りながら人形のように力無く転がった純の体からは大量の血飛沫が上がり、認識できる限りでは左足首、肋骨、右腕の骨が折れている。

『…………』
「強イなぁ、女」

かろうじて保っている純の意識は、今にも飛んでしまいそうだ。小さく開かれている唇から浅い呼吸が漏れ、薄れていく視界の中に映り込んだ呪霊は体の半分を消失していた。復元が間に合っていないのか、紫色の血をダラダラと垂らしながら虫の息の純に向かって残っている片手をかざした。

『……(こんな…ところで…)』
「だがお前ハここで終ワる」
『……(こんな、ところで死んだら……)』
「バイバイ」

五条先輩に……殺される……。

「っ!!」

最後の力を振り絞り、感覚の無い人差し指と中指を組みありったけの呪力を込める。死の淵に立たされたせいか走馬灯のように浮かんで来るのが大嫌いなあの男の…五条悟の笑顔だというのが気に食わない。けれど、自分をここまで成長させてくれた先輩を、日々子供じみた嫌がらせばかりしてくるくせにこんな自分を好きだと言ってくれた男のことを…失望させたくないという妙な意地のような感情が強く湧き上がってくる。黒閃すら決められない自分に出来るかなんて分からない。けれど今は…残された唯一の可能性に賭けるしなかった。

『…領域展開…"無明長っ…"…!』
「邪魔」
「!?」
『っ…!!』

純が領域を展開しようとしたその刹那、フッと現れた気配と聞き慣れた主のいつもより低めの声が領域の発動を遮り、小さな赤い虚空が呪霊の体を遥か遠くへと吹き飛ばした。いつもは遅刻ばかりしてくるくせに、今日は3分も早いじゃないかと純の瞳に涙が滲んだ。

『………っ五条、先輩っ…』




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