「はい」
『あ、ありがとうございます』

深夜0時を回った時刻。
呪術師はマイノリティだという言葉から分かるように、使われていない部屋の方が生徒数を上回っている寮内に設けられた共有スペース。入学初日に案内されたが今の今まで使用したことはなく、室内を見渡していると香りの良いジャスミンティーの入ったマグカップが純に向かって差し出された。それを手渡した本人はテーブルを挟んだ向かい側にあるソファに腰を下ろし、体が沈み込むと同時に小さなため息を吐いた。

「なんだか最近、悟が迷惑かけてすまないね」
『いえっ、別に…夏油先輩が謝ることじゃっ…』
「ははっ。まあね」
『むしろ先輩がいてくれて助かってますよ』
「私も彼のお目付役になるつもりはないけど、一応ね」

ソファの背もたれに背中を預け、小さく笑いながらそう言った夏油からは実年齢以上の落ち着きというか、余裕が感じられる。昼間によく分からない理不尽な理由でコブラツイストを仕掛けてくるような五条とは天と地の差じゃないかと、純はゆらりと湯気の立つジャスミンティーを一口啜った。

『灰原が夏油先輩を慕ってる理由がよく分かります』
「純は私より悟派かな?」
『いやまさかっ!私も七海も夏油先輩派です』
「嬉しいね。悟には秘密にしておくよ」
『(やっぱり夏油先輩は大人だなぁ〜)』

ピシッ!と敬礼をしてみせた純のレスポンスの速さがおかしくて笑うと、つられるようにして愛嬌のある無邪気な笑顔を浮かべた純。普通に接すればこんなにも可愛い笑顔が見れるのにと、普段彼女の機嫌を損ねてばかりいる五条に対して内心呟いた。

『五条先輩って、昔からああ・・なんですか?』
「入学当初からあんな感じだよ。変わってないね」
『…夏油先輩ホントに尊敬します…』
「悟は五条家の嫡男だから、大切に育てられてきたのさ」
『ん?…"ちゃくなん"ってなんですか?』

御三家の話は恩師から聞いていた。
この呪術界において長い歴史と権利を持ち、呪術全盛の時代から呪術界を牽引してきた超名門のエリート家系。まだ幼かった純がその説明を聞いた時は、きっと御三家というのは大好きなアメコミに登場するスーパーヒーロー集団のようなものなんだと強く興味を引かれたことを思い出す。
しかし実際の御三家というのは強く実力のある者だけが厚遇され、呪術や術式を持たずして生まれた者、力のない者は正室の子であろうとも冷遇される、スーパーヒーローからはかけ離れたものだった。
根本的な価値観や考え方が純とは絶対に合わない連中だから、卒業まで極力関わらない方がいいよ。という恩師の忠告を胸に生活してきたが、そんなものはたったの2ヶ月で崩壊した。関わるつもりはなかったのに、夜蛾の方針で向こうから強制的にやって来たのだから不可抗力以外の何物でもない。

「ああそうか。純は海外育ちだったね」
『御三家のことは習ったんですけど、まだちょっと…』

困ったように笑った後輩に、夏油が穏やかな笑みを浮かべる。

「嫡男っていうのは正室が生んだ最初の子供のことだ。悟はつまり、跡取りってことになるね」
『……え、跡取り?それって五条先輩が、次の五条家の…』
「うん。五条家の次期当主様」
『………え…』
「知らなかった?」
『えええぇぇっ!?!?嘘でしょーーっ!?』
「本当だよ」

夏油の説明に全身に稲妻が走ったような衝撃を受けた純は、ガラス玉のような大きな瞳をパチパチと何度も何度も動かしながら信じ難い事実と向き合っている。その大袈裟な反応に笑顔を浮かべると、次第に表情を曇らせていった純が口を開いた。

『……私初対面で"まな板"って言われたんです…』
「は?」
『それで一気に五条先輩のイメージ爆下がりして…』
「…………」
『いつもあんな失礼な態度を…』
「…なるほど。だからか」
『この間背中に飛び蹴りしたら"殺す!"って言われましたっ』
「凄い度胸だね」
『態度改めた方がいいですかねっ!?私権力で消されるかもっ』
「改める必要ないよ。悟だもの」

今までにしてしまった礼儀を欠いた態度の数々を独り言のように呟きながら指折り数えている純を見つめ、夏油は権力闘争よりも後輩いびりに夢中になっている親友を思い浮かべてとらえどころのない表情でそう言った。

「悟に対してのいろいろは気にすることないよ、純」
『えっ…??』
「だからこれからも、素の君のままで接してあげて欲しい」
『…夏油先輩…』

今日ここで偶然会って話をしたことは内緒だよ?と片目を瞑った夏油に対し、純は親友を思う優しさを感じながら笑顔を浮かべて頷いてみせた。



ー次の日。

「なにしてんのお前」
『お茶です』
「は?」
『ですからお茶です。いや違うな…お茶をお持ちしました』
「……なにその敬語。気持ちワルッ」
『(イラッ)』

トレーニングの休憩中。普段は絶対に自分の分の飲み物など用意しない純が、突然気を利かせてペットボトルのお茶を差し出してくる。そして謎の敬語を使い変に距離を置いているものだから、これは絶対なにかあったなと差し出されたペットボトルを受け取りながら、五条はちょっと座れと自身の隣を指差した。

「いやなんで正座?」
『……何用でしょうか』
「お前がなんだよ。変な宗教でも入った?」
『…あー…、なにか召し上がります?私買ってまいります』
「いや要らねぇよ、腹減ってねーし」
『…左様でゴザイますか』
「………え、お前大丈夫?任務で頭でも打った?」
『お心遣いイタミイリマス』
「いや敬語下手すぎんだろ。カタコトじゃねーか」

数時間ぽっちの付け焼き刃練習じゃダメだったか!と悔しさをあらわにした純に対し、変なものでも見るかのような視線を向ける五条。意味が分からないと首を捻り、ペットボトルのキャップを開けた。

『あ"〜〜やっぱ無理だわ。五条先輩に気遣うとか』
「は?」
『下手に出てればつけ上がるし、良くないわこれは』

だるいだるい、御三家なんて知らないよもう。と悪態をつきながら体勢を崩した純の言葉に、ようやく意味の分からなかった行動の意図が理解できて「お前ボロ出んの速ぇな」とツッコんだ。

『五条先輩が五条家の嫡男だって聞きました』
「へー」
『次期五条家当主だとも』
「へー」
『…それであの…』
「だから気持ち悪ぃ態度取ってたワケ?」

飲んでいたペットボトルのキャップを閉めて、ボトルの底を純の頬に押しつける。

『やめてくらはい』
「で?お前はそれ聞いてどう思ったんだよ」

自分が五条家の嫡男と知った時の反応は人それぞれ勿論違う。胡散臭い笑顔を貼り付けて手を擦り近づいてくる奴、異常なまでに媚びてくる奴、五条家という名に怯えただただ頭を下げるしか脳のない奴、忌み嫌ってくる奴。いろんな人間を幼い頃から見てきたが、こいつも一線を置き接してくるそうゆう連中と一緒なのかどうなのかと、不服そうな表情を浮かべたまま確かめるかのように問いかけた五条。
そうであって欲しくはないと最近妙に興味の引かれる後輩に視線を移すと、ケロッとした表情でペットボトルを払い口を開いた。

『いや、先輩が当主とか五条家大丈夫か?って思いましたね』
「あ"?」

全く配慮のない、ストレートな言葉に苛立ちがわく。

『そんなことより先輩っ。私相当先輩に対してアホとかバカとか飛び蹴りとかしちゃったし、そもそも"先輩のこと嫌い"なんで権力の力で消されないかがそれはもう心配なんです』
「…………」
『五条家ってスパイみたいな、暗殺部隊みたいな人たち常駐してるんですか?』
「…………」
『いや、いたら怖いんですけど…暗殺はやめて下さい』
「(ブチッ)やっぱお前消す!」
『えっ、うそっ!ぎやーーーっ!!』


*犬
(あ、純またコブラツイスト喰らってる)
(…多分悟の地雷踏んだねアレは)
(地雷って?)
(…さあね)



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