「ダンゾウ様…あの娘が病室を抜け出しました」

真昼間だというのにこの部屋には光が届いていないようであった。陶器の蝋燭台に立てられた数本の蝋は歪に溶け、火は怪しげに揺らめく。
面を付けた男の低く、くぐもった声が主の聴覚に振動を与えると、ダンゾウは持っていた鷹色の筆を置き陰気な息を吐いた。

「気付いていたか。父親に似て、実に扱い辛いな」
「仰る通りです」
「あれの姿は見たか?」
「先程南の空を迂回して居ましたが、姿を消しました。捜索範囲を広げていますが…」
「止めておけ」

ダンゾウのはっきりとした物言いに、膝まづいていた男は意外そうに顔を上げた。

「…よいので?あの口寄せは例の一件を知る存在。あれの出現によりうちはと仙波の不信が再び募っていますが…」
「あの口寄せは主以外には口外出来ぬよう術式が施されている。語れば命を落とすようにとな」
「娘が警務部隊に告げ口する可能性も有り得ま…」
「あり得んな」
「………」

男の言葉を鼻で笑いながら遮り、ニヒルな笑みを浮かべる。

「自分の父親がうちはと仙波、木ノ葉上層部の二重スパイだったと口外したところで墓穴を掘るだけだ。脅威にはならん」
「…お言葉ですが、三代目はそれをご存知で?」
「それはお前の気にするところではない」
「申し訳ありません」

ぴしゃりとそれ以上の追求を許さない雰囲気のダンゾウに、再び頭を下げる男。押し黙り、主人の言葉を待つ。

「暗部の護衛はあの"うちはイタチ"が付くそうだな」
「自ら三代目に嘆願したそうで」
「ああ、そうか。あれらは幼馴染だったか」
「はい…」
「うちはと仙波はどの時代においてもその身に闇が付き纏う」

ダンゾウは再び筆を取り、整った筆先を墨に浸す。すると先程よりも濃く、白い筆先に黒が染み込んでいく様がはっきりと見て取れた。

「あれから五年。…アキトの代わりを見つけねばと思っていたところだ」
「……」

不気味な左目が、闇を見つめる。

「愛娘を生かす為、愛する妻を贄にしたお前の父はかつてうちはの鬼才と呼ばれていた。だがいつしかその名が闇を背負い光を閉ざしてしまったが、お前を守る次なる異才は果たしてどんな選択を手にするのか…今から楽しみにさせてもらうとしよう」



その日の夜、イタチは布団の中で見慣れた天井を見つめながら長いこと訪れる気配のない睡魔を待ち続けていた。ゆうに数時間は経過している。任務で疲れているはずなのに、いくら目を閉じても眠りにつくことができないのだ。
その原因は、自分でも分かっていた。
昼間見た幼馴染のあの悟ったような眼と、ハクセンから全てを聞かされたという彼女の心境が、どうしようもなく気がかりで仕方がないからだ。
もっとそのことについて話をしておけば良かったと、後悔するように溜息を吐く。すると襖を隔てた隣の部屋から父と母の会話が耳を傾けずとも聞こえて来て、視線だけをそちらに向けた。

「リクハちゃん、目を覚ましたんですってね」
「ああ。明日には退院できるそうだ」

そう言ったフガクの声色がいつもよりも穏やかなものに聞こえ、意外だと感じた。常日頃から厳格な父が、今のように気を緩めるのは稀なことだからだ。

「あの子がハスナの口寄せを継いだのね…」
「彼女の望み通りになったことは喜ばしいことだ」
「そうですけど、あまり期待をかけすぎないで下さいね」
「分かっている。今は戦時ではないからな」

不安そうなミコトの声に、はっきりとした物言いで返すフガク。期待をかけ過ぎないで欲しいという母の願いが、何を意味しているのかイタチにはよく分からなかったがあまりいい気はしなかった。

「ハクセンと、話は出来そうなんですか」
「いや…あの子は暗部に監視されてる。迂闊には近づけない」
「でも、二人の最後を知るのはっ…」
「分かってはいるが、下手に動けば警務部隊はさらに権限を剥奪されるかもしれない」
「そんなっ…」
「こちらにどうしても知られたくないことがあるのだろう」

意味深な会話。二人の最後とは、恐らく任務中に殉職したリクハの両親のことだろう。遺体は回収されず、暗部による捜査もかなり早い段階で打ち切られている。無論うちは一族と仙波一族から抗議の声は上がったが、その思いが上層部を動かすことはなかった。
あれから数年が経つが一度撒かれた不信は消えておらず、ハクセンが現れた事により再び芽を吹き返しているようだ。

「…期を待つしかない。今ことを荒立てれば、リクハにも影響を及ぼしかねない。神手を持つあの子は"こちら側"に留めておかねば…」

襖から視線を逸らしたイタチは、表情を歪めながら体を起こした。フガクの言葉に一族ではない幼馴染すらも自分たちの手駒にする気なのかと軽蔑に近い疑念を抱く。気配を殺しながらゆっくりと立ち上がると、再び聞こえた父の声に動きを止める。

「イタチはもう寝たのか?」
「ええ。任務で疲れたからと言って食事も取らずに」
「…またか」
「何かお話が?」
「ああ、まあな。だが明日でいい、俺も今日は休む」

暗部に所属してから毎晩のようにフガクはイタチを書斎に呼び出し、上層部の内情を聞き出そうとしていた。イタチにとって家でする父親との唯一の会話と言えば、重々しい空気の中射抜くような目を向けられうちはの誇りをだとか、一族の未来の為にもだとか、すでにフガクの手に余り始めているイタチという天才を一族に縛り付けるような会話をするその時だけ。毎日繰り返されるそれが嫌で、最近は任務を理由に家族との時間を避けている。
今日も早々に部屋へこもって正解だったと内心呟き、襖を開けて美しく輝く満月を漆黒の目に映しながら、イタチは幼馴染を想うのだった。


の向こう側
(その先に見えるのは、微かな光の輝き)


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