「おやすみ」と挨拶を交わしてムスビと別れてから、すでに一時間は経過しているだろうか。用意された簡易ベッドの上に横になってはみるものの、睡魔は一向にやってこない。リクハは今の今まで寝返りを打つことさえ忘れたまま、壁の木目をただ無意味に見つめ自問自答を繰り返していた。だが、100以上の問いを投げかけ出せた答えは、たったの一つ。これが修行であったならば、あまりにも割に合わない時間を過ごしたことになる。一度考えるのを止めてから仰向けになり天井を見つめると、ガラスの張られていない窓枠に腰を下ろし、月を見上げていたイタチの声が聞こえてきた。

「眠れないのか?」
『…うん』

溜め息を吐きながら起き上がり、イタチに視線を向ける。

『考えても仕方ないのは分かってるんだけど…』
「無理もないさ。正直オレも戸惑ってる」
『…………』

イタチからそんな言葉が出るの稀だが、"父と同じ道を歩んでいる"と聞かされたわりには不自然なほど冷静で、落ち着いているように見えた。火影直轄の精鋭部隊に入隊してから数ヶ月。初めは実力が認められ、掲げた夢に向かって大きく前進したかのように見えた幼馴染。複雑な思いはあったが応援しようと心に決めていた。だが、今のイタチはうちはと里を繋ぐパイプ役として理不尽な立場に立たされている。父もかつてはそうだったのかと、リクハは寂しげに瞳を伏せた。

『…父さんと同じ道を歩んでるなんて言われたら…』
「…………」
『いくらイタチでも、不安に…』
「いや、気掛かりなのはそこじゃない」
『え?』

意表を突かれたかのように伏せた視線を上げ、イタチを見る。

『違うの?』
「ああ。オレのことよりも、お前をどう守るかが重要だ」
『…………』
「どう立ち回れば最適か、今はそれを考えている」
『…………』

ムスビの話を聞いている時、"一緒に乗り越える"と言ってくれたのはイタチじゃないかと、他人のことばかりで自分自身を全く気遣おうとしない幼馴染に対しリクハは表情を歪めた。

『イタチ…』
「なんだ」
『少しは自分のことも考えて』
「考えているさ。だが今は…」
『そうやっていつも自分を二の次にする』
「…………」
『昔から、イタチのそうゆうところが心配なの』

ベッドから立ち上がり、ゆっくりとイタチに歩み寄る。月明かりに照らされ見えたリクハは少しばかり不機嫌な表情を浮かべていて、意見を言おうものならかみつかれるんじゃないかとイタチはわずかに眉を下げて口を噤んだ。口調は穏やかだが、こうなってしまったリクハに反論することができない。昔からだ。それはきっと、自分を心配してくれる思いの強さが伝わってくるから。

『私のことは心配してくれるくせに、イタチのことを心配する私の気持ちはいつも二の次。なんでも一人で抱え込もうとするのはイタチの悪い癖だってずっと言ってるのに…』
「…………」
『私がそばにいるってこと忘れてない?』
「…………」

リクハの言葉と、その真剣な眼差しに、イタチの胸がトクンと高鳴る。

『おーい。イタチには私がちゃんと見えてますかー?』

自分を見つめたままなにも言わないイタチの隣に腰を下ろし、顔の前で手を振るリクハ。写輪眼を持つ人間相手によくもまあ"見えているか"などと言えたものだなと小さく笑い、イタチはリクハの額を人差し指で軽く小突いた。

「茶化すな」
『…っ。だってイタチ、私を守ることばっかりで…』
「忘れてなんていないし、お前のことはちゃんと見えてる」
『ホントに?』
「ああ」
『分かった。じゃあ、約束。はい』
「…………」

そう言って差し出された右手の小指を見つめながら、イタチは少しばかり意外そうな表情を浮かべた。指切りをして交わす約束など、明日死んでしまうかも分からない自分たち忍が守れるはずもない。それを理解しているにも関わらず、いったいいくつもの約束を、リクハと交わしてきたのだろう。

『一人で無茶しないこと』
「…解った。約束だ」
『絶対だよ?破ったらーー』
「破ったら?」
『私が作った物凄く苦い兵糧丸100個食べる刑ね』

"ちなみにシスイは一口が限界だったよ"となぜか胸を張りそう言ったリクハ。子供じみているが、悪い気はしない。それどころか胸の奥があたたかくなり、"そんなことでいいのか?"とリクハの小指にゆっくりと自身の小指を絡めると、また一つ…大切な幼馴染との繋がりが強くなった気がした。

『…じゃあ、約束破ったら一ヶ月イタチとは口きかない』
「……それは…困るな」
『よしっ。なら決定。ゆーび切った』

リズム良く繋がれている小指が上下に弾み、離れていく。少し照れくさそうに笑ったリクハにつられるようにして、イタチも笑う。どんな状況であろうとも、笑顔を絶やさず気丈な振る舞いを見せる幼馴染。その姿に芯の強さを感じるが、同時にどこか…寂しさのようなものも感じ取れた。

『イタチ』
「ん?」
『さっきムスビさんから話を聞いて…』
「………」
『昔、父さんから聞かれたことを思い出したの』

浮かべた笑顔を和らげて、夜空に輝く月を見上げたリクハの横顔を見つめたままイタチは次の言葉を静かに待つ。

『…もしも…』
「…………」
『もしもイタチかシスイ…どちらかしか救えない状況になったとしたら…お前はどっちを救いたいって』
「…………」
『二人は無し。どちらか一人だけだって。そう聞かれたの』

今なら理解できてしまう、その問いの意味にイタチはわずかに瞳を伏せた。命の在り方を幼い頃から考えていたリクハにとっては、大切な二人の命を天秤にかけるという問いは酷なものだっただろう。しかし意外にも、その問いの答えを導き出すのは簡単だったとリクハは言った。どうしてそんな質問を投げかけてきたのか分からなかったが、自分はただ、父の問いに抵抗するようにこう答えたんだと懐かしむように口を開いた。

『どちらか一人なんて絶対嫌だ。どっちも助けるんだって、そう言った』
「お前らしい答えだな」
『フフッ。…でもその後ね、父さん言ったんだ』
「…?」
『そう答えるのは、多分お前だけだって』

一瞬微笑んだリクハの表情に影がさし、イタチは眉をひそめる。

『もし二人に同じ質問をしたら、イタチもシスイも私を生かそうとするだろうって…そう言ってた』
「………」
『その時は否定したけど、二人がいつも私を守ろうとしてくれてる姿を見てきた今なら分かるんだ…父さんが言ったことは多分、間違ってないんだろうなって』
「…リクハ」

幼い頃から兄と慕ってきたシスイと、生まれた時から全てを分かち合い共に成長してきた幼馴染のイタチ。自分の命よりも大切だと思える二人。守り合い、支え合い、自分たちはずっと一緒に成長し続けていくんだと、今でもそう信じている。例え死が近づいてきたとしても、それが理不尽なものでないことを願いながら。しかし…今日ムスビから話を聞き、それが叶わぬ未来であることを知った。そしてなぜ、アキトがあんな質問を幼かった自分に投げかけてきたのかも。

『父さんきっと…センリからそうなる未来を聞いてたんだよね』
「…………」
『イタチとシスイが…いつか…』
「…………」
『いつか…』

それ以上は、言葉にならなかった。
というよりも、したくなかった。その未来を強く否定する自分がいたから。二人の死など考えたくもない。
うちはセンリという人物が自身の祖父にあたる存在だと知り、もちろん驚いている。だが自分に祖父がいた事実よりもアキトの計画よりもリクハの感情を大きく乱し、不安を駆り立てたのは…"イタチが父の歩んだ道を辿っている"という現実だった。

『私はそんな未来…絶対に嫌だ』
「リクハ…」

少しだけ、声が震えた。
平和を愛し、誰よりも強い忍びになって世界から争いを無くす。失われ続けていく命の重さを日々背負い続けながらも、愛に満ちた優しい夢を胸に歩んでいく幼馴染。そんなイタチを弟のように思い、一族や里の平和のためにと傷ついた両親を支えながらも働くシスイ。
本当に…本当に心根の優しい二人だということを知っている。だからこそ受け入れられないのだ。アキトだけに留まらず、イタチとシスイまでもが一族と里の抱えた業を背負わなければならないということが。

『…なんで』
「…………」
『なんでイタチとシスイなんだろう…』

月を見つめたまま、今度はリクハが静かに問う。それは、ここにはいない父親でも、イタチやシスイに向けられたものでもない。"運命"という不確かなものに向けられた、答えのない問いのようだった。信じたくはない。信じるつもりはない。だがそれに相反する忍という生き方を、自分たちは選択している。
その事実が、また葛藤を生む。

『…父さんが変えようとしてる未来に、ちゃんと二人はいるのかな』

ぽつりと呟き自身を抱き締めるように両膝を抱えたリクハは、声を押し殺しながら肩を震わせ泣いていた。それは、一族でも、里のためでもない。今リクハは、イタチとシスイ…二人を想い涙を流している。いくら忍の世の平和を願おうとも、そのために尽力しようとも、リクハという一人の少女の根底には…一族よりも、里よりも…大好きな両親よりも大切なものがあるのだ。

「リクハ…」

イタチの手が、リクハの震える肩に添えられる。

「オレはそんな選択を、お前にはさせたくない」
『…イタチ…』
「どちらかしか救えないなら私が…なんてことを言い出して、無茶をするのがオレの幼馴染だ」

顔を上げ、鼻を啜ったリクハの涙を指で拭う。

「そうならない為に、きっとアキトさんは手を打ってる」
『………』
「オレならそうする」

この世の全ての争いを消し去ってしまえるほど、強い忍になりたい。イタチには、一族という小さな枠組みを越え、里を、忍の世の行く末が平和であれと掲げた夢がある。

「もう泣くな、リクハ」

大切な幼馴染と、親友と遂げたいーー大切な夢が。

『…私、守るよ二人のこと…。なにがあっても、絶対守るっ』

涙を拭ってくれたイタチの手を両手で包み、強い意志を込めてそう言ったリクハ。その瞳に宿る迷いのない光が、まるで自分たちの希望とでもいうかのように輝いている。失ってはいけない、そんな思いが胸の底から湧き上がり、イタチは瞳を伏せて、

「ありがとう、リクハ」

小さくも多くの命を背負った両手を、強く、強く握り返した。


今宵はを見上げて


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