『……ん』
翌日ー。
南東の空に昇った陽の温かさを感じて、リクハは目を覚ました。ぼんやりとする意識の中、目を擦りゆっくりと上半身を起こすと、いつもより長く眠っていた感覚があり、体が心地よく痺れていた。
「目が覚めたか?」
『…うん』
ガラスの貼られていない窓枠に腰を下ろし外を眺めていたイタチが振り返らずに声をかけると、とろんと眠気の残った声が返ってきて自然と穏やかな笑みが溢れた。
「症状のあった村人たちの経過は良好だ」
『…子供や、お年寄りも…?』
「ああ。祭りでも始まりそうなほど活気付いてる」
イタチの言葉に耳をすませば、確かに外から村人たちの賑やかな声が聞こえてくる。治療法の確立していない疫病でなくて本当によかったと胸を撫で下ろすと同時に、両手を足の間にだらりと下げた。
「それでお前は…?」
『………』
居住地を駆け回っている子供や炊き出しをしている村人たちから顔をそらしたイタチの不安が、リクハへと向けられる。まだ意識が覚醒し切らないのか、それとも別のなにかを憂いているのか、無気力なまま一点を見つめているリクハに歩み寄りベッドの縁に腰を下ろした。
「大丈夫か?」
『…うん…大丈夫。ありがとう』
嘘偽りを見抜く漆黒の瞳を真っ直ぐ見つめたあと、リクハは締まりのない柔らかな表情でふにゃりと笑ってみせた。わずかに流れた不穏な空気が一気に紛れてイタチの顔にも小さな笑みが浮かぶ。
「そうか。ならいい」
隣にいるリクハの長い髪に手を伸ばし、付いた寝癖を手櫛でならす。イタチの穏やかな視線を直視することができなくて、誤魔化すように笑ったあとで瞳を伏せた。
「へぇ〜、やっぱ仲良いね」
『「…!」』
「お似合い。いっそのこと恋仲に…」
『ム、ムスビさんっ…いつからそこにっ…?』
頬を染め、慌てて立ち上がったリクハが窓枠から顔を覗かせニヤニヤと緩い笑みを浮かべているムスビに歩み寄る。性根から人の良さが滲み出ている彼からは、うちは一族らしさというものがあまり感じられない。というよりも、首にかけている額当てがなければ忍なのかさえ分からなくなりそうなほど隙だらけなのだ。そんなムスビが一切の気配を消し自分たちの前に現れたことに、二人は少しばかり不気味さを感じた。
「仲睦まじいところ申し訳ないんだけど、村長が君たちに会いたがってる」
『え…?』
「昨日のお礼が言いたいんだって」
*
村長は居住地の先にある私塾にいる。
案内役をかって出たムスビに連れられ外に出ると、イタチの言ったとおり居住区は活気に満ち満ちていた。昨日まで錯乱状態に陥っていた者たちは皆正気を取り戻し、一夜であの悲惨な状況を沈めてしまったリクハとイタチへの感謝の言葉が飛び交った。
「君も行きなよ。感謝は快く受け取るべきだ」
「オレはなにもしていない」
「謙遜しなくていいのに」
「治したのはリクハだ」
私塾への道すがら、リクハと村人たちとのやり取りを少し離れた場所から眺めているイタチは関心のない声色でそう言った。
「木ノ葉の里では、あんな風には感謝されないよね」
「…………」
「仙波の医療忍者って」
同じようにリクハを見つめながらそう言ったムスビの左目が、悲しそうに細められる。
「むしろ煙たがられてる。僕らうちはのように…」
「…里の皆がそうというわけではない」
「勿論だ。偏見的な物の見方はしないよ。でも…」
「………」
「実際彼らがどんな風に揶揄されているか、君もよく知ってるだろ?」
悔しいがその問いに、イタチは無言の肯定を示した。
里からの迫害や差別、あらぬ疑いをかけられているのはなにもうちは一族だけではない。長い歴史を共に築き上げてきた仙波一族もまた…似たような扱いを受けている。事実とは異なる噂話を信じるような愚鈍な輩は、彼らを"うちはの犬"と罵り、蔑み、嘲笑う。あげく仙波が有する高度な医療忍術をうちはが独占しているのではないかと、根拠のない言葉で差別心を煽る者もいる。
アカデミー在学中、そういった人間と衝突するリクハを何度か見ている。そして今も…。うちはと仙波を取り巻く環境は変わっていない。
「大半の人間は、仙波の医療忍術を全知全能な力だと勘違いしてる。だから救えて当たり前、感謝はしないが失敗は絶対に許されない。…そんな状況に憤りを感じるよ」
口角を上げ、笑顔のない表情でそう言ったムスビの言うとおり、理不尽だと思うがその反面、イタチがリクハのことを可哀想だと哀れんだことは一度もない。
『誰がうちはの犬だ!噛むぞこらーっ!番犬と呼べー!』
「ひいぃっ!リクハがキレたー!!」
むしろ、その前向きな姿に勇気をもらってる。
愚鈍な輩には、正々堂々と立ち向かうのが彼女流なのだ。
「自分の置かれた境遇に悲観しても仕方がない…」
「ん?」
「リクハは昔からそう言って、自分の役割を果たしている」
「…………」
差別や迫害を増長する里の人間とも、名誉のためだと憎しみばかりを募らせている同胞たちともリクハは違う。イタチの言葉には、彼女の生き方や価値観を少しでも共有してくれればという願いが含まれているような気がした。ムスビはその思いに同意するかのように"見習わなきゃね。"と笑顔を浮かべて腕を組み、そして…、
「話は変わるけど、二人は喧嘩とかするの?」
「…?」
地球儀を一周させたかのように会話内容を切り替えた。
刹那、イタチの表情が歪む。
「どっちが上だ下だとか、そうゆう些細な…」
「リクハと言い争ったことは一度もない」
「へぇ!凄いなっ。一度も?」
「…そう言った」
「アキトとハスナはいつも喧嘩ばかりしてた」
「………」
「うちはと仙波なのに、昔から馬が合わなくてね」
当時のことを思い出しながら、頼まれてもいない話を語り手のように話し始めるムスビ。リクハの両親のことは全てではないが、知っている。イタチ自身幼い頃に何度も関わっているし、リクハからもいろいろと話しは聞いていたから。
それから数十分はまるで歌を歌っているかのように途切れることのないムスビの思い出話しを聞くはめになった。大半は右から左へと流してしまったが、そろそろ気が重い…そう感じ始めたタイミングでリクハが小走りでこちらに戻ってくる姿が見えた。
まさに救いだと、イタチは小さく溜息を吐いた。
『ごめんなさいっ。お待たせして』
「大丈夫。楽しくお喋りしてたから。ねっ」
「………」
『へぇ〜っ。イタチ、あとで私にも教えて』
「僕がまた話してあげる。さ、行こ」
どうにもこの男とは馬が合いそうにない。
そう内心呟き、イタチはムスビから視線をそらした。
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