その日は、常備薬を作るために近くの森を訪れた。
昨日まで降り続いていた雨はあがり、草木に残った水滴が太陽の光を受け、あたり一面を輝かせている。
若葉の匂いと、湿った土の匂いを感じながら澄んだ空気を肺いっぱいに取り込んで、ゆっくりと吐き出す。
柔らかな風が漆黒の長い髪を揺らし、目を閉じて空を仰いだ。

「ふぅ……」

数秒だけ、虚無の中をゆったりと彷徨い脱力する。
次この視界を開いたら、晴れ晴れと澄み渡った青空が目の前に映り込む。そんな当たり前を感じながら目を開けるとーー。

『こんにちは』
「……っ!!」

視界いっぱいに、見知らぬ少女の姿が映り込んだ。

「(…すごく、綺麗な人…)」

一瞬、思考が停止する。
まばたきを忘れ、呼吸を忘れた。
空色の長い髪が絹糸のように風に揺れて、ガラスを散りばめたように輝く同色の瞳から目が離せない。
そのあまりの美しさに、魂を吸われるような感覚がした。

「……!」

息を呑み、やっとの思いで我に返るとまろやかな声で少女が笑った。

『驚かせてごめんなさい。あなたも薬草摘み?』
「…え、ええ」
『私も一緒にいいかな?』
「もちろん…。どうぞ」
『ありがとう』

着ている小袖の前側に手を添えて、品よくその場に膝をついた少女。その身なりや所作からは、育ちの良さが伺えた。

「見かけない方ですが、どちらからいらしたんですか?」

この辺りにある、農村の出身でないのは分かる。
敵意や殺気は微塵も感じられないが、今の気配の殺し方は堅気のなせるモノではない。だとすれば、忍である可能性が高い。疑心を気取られないよういたって冷静に声をかける。

『東の街から。医術を広める旅をしてるの』
「というと、お医者さんですか?」
『ええ。…あなたは?この近くの村の人?』
「はい。常備薬を作りたくて、薬草摘みに」
『そっか』

隙だらけの、柔らかな笑顔を向けられトクン…と胸が高鳴った。数秒前までにあった疑心が、この少女が忍であるわけがないという願いにも近い思いに変わる。

『痛み止めを作りたいのなら、この薬草のほうがいいよ』
「え…?」
『向こうにたくさん生えてたから、一緒に行こ』

馴れ馴れしさのない、惹きつけられるような人懐っこさに流されて、差し出された少女の手を、友人の誘いを受けるかのように自然と握り返していた。





「あの、失礼でなければ名前…聞いてもいいですか?」

小一時間前まであった疑心は消え、今はこの少女のことをもっと知りたいとさえ感じている。籠いっぱいに摘んだ薬草から視線を移し、あたり一面に生えているシロツメクサの花を器用に結んでいる少女を見つめ問いかける。

『リクハ。あなたは?』
「白です」
『素敵な名前だね』
「リクハさんも」

穏やかに流れる時間。
空間が肌になじみ、思わず笑みがこぼれた。

『白ってさ』
「はい?」
『女の子に間違われること、よくあるでしょ』
「…フフッ。すごい、よく分かりましたね」
『やっぱり!』

自分の予想は正しかった!そう言わんばかりに語気を強めたリクハが、白の顔をじぃっと見つめる。まるで珍しい生き物を見入るかのようなその視線に耐えかね困ったような表情を浮かべると、納得したように強く頷き、"すごく美人。"と口にした。

『って、そう言われても嬉しくないよね』
「いえ、嬉しいですよ」
『ならよかった。はい、これあげる』
「えっ…??」

作り終えたシロツメクサの花冠を、白の頭の上にふわりと乗せる。突然のことに驚きながらリクハを見ると、今しがたもらった褒め言葉をそのまま返したくなるほど綺麗な笑顔で笑っていた。

『子供の頃、幼馴染に作り方を教えてもらったの』

懐かしむように目を細め、思い出を語りだすような口調でそう切り出したリクハの話しに自然と気持ちが前のめりになる。

「へえ。どんな人なんですか?」
『頭が良くてなんでも器用にこなすんだけど、対人関係だけは不器用なの』
「フフッ」
『でもすごく優しくて、誰よりも愛情深い人』

そう言ったリクハが、ここにはいない幼馴染を想うみたいに幸せそうに微笑んでいる。数時間前にこの場所で出会い、まだなんの関係性も築けていない二人だが、白には理解できた。リクハにとってその幼馴染が、どれほど大切な存在なのかということが。それと同時に嬉しさのような喜びが湧き上がる。

「その人は、リクハさんの…大切な人?」
『え…?』
「すごく幸せそうな顔をしてるから、そうかなって」
『……うん。そうだね。大切だよ』

リクハの想いを強調するかのように吹いた風が、空色の髪をふわりと揺らす。

『命をかけて守るって決めた、私の一番大切な人』

不安も、恐れも、迷いもない瞳が真っ直ぐ白を見つめる。心の籠った言葉やその表情に、嘘や偽りがないのが分かる。
自分と同じように、覚悟を決めているのだと理解した。

「ボクらは、似た者同士かもしれませんね」
『え?』
「ボクにもいるんです。命をかけられる、大切な人が」

目をつむり、自分の心情を覗き込むように俯いた白。
まるで昨日のことのように思い出すのは、世界の片隅に追いやられ、行き場を失った自分に生きる意味を与えてくれた人物との出会いの瞬間。自分たちの関係性は、ただの君主と捨て駒。持ち主と道具。ただそれだけだ。誰にも理解されずともそれでいい。自分が彼の役に立てるのなら、それで…それで幸せなのだと思っていた。
白はゆっくりと顔を上げリクハを見つめる。否定のない、この想いを全て受容してくれるような包容感に…なぜか少しでもいい。この歪な繋がりを理解してほしいと、そう思ってしまう自分がいた。

『その人のためなら、何でもできる?』
「はい」

その思いを推しはかるように、リクハが問う。

『何を捨てられる?』
「………自分自身を」
『夢や家族や友人がいる、大切な居場所があったとしても?』
「もちろん。ボクにとってはその全てが、あの人だから」
『そっか。じゃあ私たち、本当に似た者同士だね』

屈託のないリクハの笑顔につられて笑う。
頭に乗せられている花冠をそっと手にとり、すぐに千切れ、枯れてしまう野花を一つ一つ丁寧に扱いながら結んでいく中で、彼女の幼馴染は一体どれほどの想いを込めていたのだろうと、ふとそんなことを考える。

「リクハさんは、その人のことが好きですか?」
『えっ…?』
「フフッ。顔が赤くなった。好きなんですねっ」
『えっと、あ、いや…そのっ…』
「隠さないでください。もうバレてますよ」

口元に手を添えて品よく笑った白に観念したのか、リクハは恥ずかしそうに目を泳がせて自身の想いを口にした。

「人は…大切な何かを守りたいと思ったときに、本当に強くなれるものなんです。だからリクハさんはきっと、すごく強い女性なんでしょうね」

白の言葉に穏やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がるリクハ。薬草の詰められたカゴを持ち、森の少し先に視線を移す。

『もう行かないと…』
「ボクも帰ります。…お会いできてよかった」
『またどこかで会えるといいね』
「…はい。その時はまた、お話し聞かせてください」
『うん。…またね、白』

穏やかな風が吹き、互いの髪をふわりと揺らす。
言葉とは裏腹に、もう二度と会うことはないだろうという確信を抱きながら背を向け歩き去って行くリクハの姿を、白は小さくなるまで見つめていた。


Episode0.〜


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