綺麗な空色の瞳を隠していた前髪は眉毛の高さで切り揃えられ、腰まであった髪は顎のあたりまで短くなった。今までのほんのわずかな大人っぽさが抜けて、天真爛漫で活発そうな印象に変化する。正直なところ、髪を切ったくらいでリクハという人物が別人になってしまうわけでもなし、どちらでもいいとは思っていた。ただ自分の存在がリクハにとって特別だったということが嬉しくて、少しだけ優越感を感じていたのに…。
「お、髪切ったのか。短いのも似合うな」
『えへへへへっ。シスイに褒められた』
自分以外の人間に褒められ嬉しそうにしているリクハを前にすると、少しだけ胸のあたりがちくりと痛み、髪を結う自分だけの特権も奪われてしまったような気がした。
そんなある日——。
すでに任務を受ける身でありながら、時間を割き修業をつけてくれるシスイと過ごしていた日のことだった。
その日はいつもの光景が、少しだけ違っていた。
『ねぇシスイ』
「どうしたリクハ」
『あのね…』
日も沈み、そろそろ解散しようかと考えていたタイミングで、リクハがシスイの服の裾を引っ張り話しを聞いてくれと言ってくる。最近こうして、自分を頼ってくる妹同然のリクハの世話を焼くのがささやかな楽しみでもあるシスイ。頭を撫で、目線を合わせるためしゃがみ込むと、少し恥ずかしそうな表情を浮かべたリクハが、コソコソと耳打ちするようにして話しを始めた。
「そんなの、直接イタチに聞けばいいだろ?」
『ダメッ。シスイが聞いて…?』
「なんで自分で聞かないんだよ」
『イタチに"そうだ"って言われたらやだもんっ』
小さな腕を後ろ手で組み、もじもじしながら俯くリクハ。会うたびに修業をつけてくれとせがんできて、その度に末恐ろしいほどの実力を見せつけてくるリクハだが、聞かされた話しでしっかり女の子なんだと再認識させられるシスイ。本人は無自覚だろうがこれは俗にいう…。
「お前、イタチにヤキモチ妬いてんのか?」
『お餅の話なんかしてないよ』
いたって真面目な表情でそう言ったリクハを前に、シスイが吹き出すように笑う。
「ああっ、そうだよな。悪いっ」
『ねえ聞いてくれる?』
「分かった。聞いてみるよ」
穏やかに流れる川の水に手を浸し、修行でついた汚れを落としているイタチに視線を向ける。
「イタチ!」
「?」
名前を呼ばれて振り向くと、人懐っこい笑顔を浮かべたシスイが手招きをしている。そろそろ解散か…そんな風に考えながら歩み寄ると、どことなく様子のおかしいリクハが気恥ずかしそうにシスイの背中に身を隠した。
「なあイタチ。一つ聞いていいか?」
『シスイ!今聞かないでっ』
「…?」
「お前が聞けって言ったんだろ?」
『私がいない時に聞いてっ』
「あのな、オレはそんなに暇じゃないんだぞ?」
シスイの後ろに隠れて、ちょこんと顔を出したり引っ込めたりするリクハと、どこかこの状況を楽しんでいるようなシスイ。二人の間でどんな会話が交わされていたのか検討もつかなくて、イタチは少しだけ首をかしげた。
「なんなんだ」
「いやな…?イタチ、お前さ」
一拍おいて、シスイがニヤリと笑う。
「他の女の子のことを、可愛いと思ったことはあるか?」
「……は?」
『シスイッ!』
小さな手でシスイの背中をリズムよく叩き、抗議するリクハ。
「なんだよ、ちゃんと聞いてやったぞ?」
『私が聞いてって言ったのと全然違う!』
「ああ、そうか悪い。…あー、厳密に言うとだな」
くすくすと笑いながら、人差し指を立てたシスイが続ける。
「実は誰かさんが、"イタチは髪の長い女の子が好きだ"って噂を聞いたらしくてな、その真相を知りたがってる」
「…………」
一体どこからそんな噂を聞いてきたのか、イタチは黙ってリクハのほうへ視線を向ける。
「そんなこと、オレは言った覚えがない」
「だってさ、リクハ」
『………でも聞いた』
「誰から?」
自分の背中に張りつき離れようとしないリクハに、シスイが問う。
『…知らない女の子たち』
「それはおかしな話しだな」
『どうして?』
顔を埋めていたリクハが、ゆっくりと顔を上げる。
「イタチとまともに会話できる子供はお前くらいだからさ」
「………」
それは失礼な言い方ではないだろうかと思いながらも、シスイの言い分は間違いではないので意義を唱えようとは思わない。現にイタチの簡潔で明解な受け答え方は、周りの人間を自然と遠ざけてしまうほと大人びている。
「それに、自分がどうしたら一端の忍になれるかどうかを常に考えてるような生意気な奴が、異性の髪の長さをいちいち気にすると思うか?」
シスイの言うとおりだ。
そんなことで人間何かが変わるわけでもない。
イタチにとっては至極どうでもいいことである。
だが、その噂とやらを聞いたリクハが勘違いをしているのであれば、話しは別だ。
『イタチ…本当に気にしてない?』
どうしてか、こんなにも不毛だと思う会話の内容であっても、リクハが絡むと無視できない自分がいる。
「気にしない」
その明確な返事に、リクハが少しだけ顔を覗かせる。そもそもイタチは、幼馴染であるリクハの髪を綺麗だと思っているだけで、他の人間の髪型などに興味はない。あくまでもリクハだから気になるのだ。
しかしそんなことを口にすれば確実にシスイに揶揄われる。幼心に余計なことは言わないでおこうと思ったその瞬間…。
「ま、イタチが気にするのはお前の髪型くらいだ」
「!」
『え?』
「だろ?そうだよなイタチ」
心を読まれたかのようなシスイの一言。悪気はないのだろうが見事に図星を突いてきて、イタチが照れ隠しに視線をそらす。そんな親友の分かり易い反応を前に、今日何度目かも分からない笑いが起こりシスイの肩を揺らした。
「ククッ…図星だな」
「うるさい…」
わずかに眉間にシワを寄せ、シスイを睨む。
「で?お前は納得したか?」
『した!』
シスイの問いに、先ほどまで気恥ずかしそうにもじもじしていたリクハが、隠れていた背中からぴょんっと飛び出しいつものように笑顔を浮かべる。
「お前、イタチが他の子を可愛いって思うのが嫌だったのか?」
『………』
悪戯な笑みを浮かべてそう問いかけてきたシスイに対し、リクハはむにゅっと唇を噛み、また気恥ずかしそうに手を組みもじもじと体を揺らす。
短い沈黙の中で観念したように無言のままコクっと頷くと、その無垢な想いにイタチはわずかに頬を染めた。
『あとシスイに褒められて嬉しかったー』
「はははっ。可愛い妹だ」
『きゃーっ』
リクハの短くなった髪を両手でくしゃくしゃ撫でるシスイ。そんな二人の楽しげな光景を前にして、今度はイタチがほんの少しだけ表情を歪めた。さっきまでの会話で気にする必要はないと分かっているはずなのに、やはり自分以外の人間に褒められ嬉しそうにしている幼馴染を見ると…。
「もう帰ろう、二人とも」
やっぱり少しだけ、胸の奥がモヤッとした。
二人のやり取りに割って入るようにイタチがリクハの手を掴むと、シスイが何かを察したかのように穏やかな笑みを浮かべた。
「(イタチの奴、ヤキモチ妬いたな…)」
そんなイタチの気持ちに気づかないまま、リクハは"一緒に帰ろ〜。"と呑気な笑顔を浮かべている。
「髪がぐちゃぐちゃだ」
『どうなってる?』
「朝起きた時と一緒」
呆れたような笑み浮かべたイタチだが、どこか嬉しそうにリクハの乱れた髪を手櫛で直す。
「リクハ」
『ん?』
「短くても長くても、オレはリクハの髪が好きだ」
小さな手からすり抜けていく、絹糸のように手触りのいい空色の髪を見つめそう言ったイタチ。
『えへへっ』
頬をほんのりと桜色にそめて、魅入ってしまうほど愛らしい笑顔を浮かべた幼馴染の柔らかな髪が、穏やかな風にふわりと揺れる。
一瞬時間が止まったような感覚がして、呼吸を忘れそうになった。
「なんだよリクハ、オレに褒められた時より嬉しそうだな」
『イタチは特別!』
当たり前みたいにそう言ったリクハの一言が、胸につかえたわだかまりを一瞬で晴らす。
「だってさ。良かったな、イタチ」
幸せそうな笑みを浮かべて、幼い親友が自分の言葉にこくん…と小さく頷いた。
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