夜。

里中が寝静まっている時間帯、イタチは自分の部屋の窓をたたく音で目を覚ました。ふわふわとした意識の中で今何時かと時計を見れば、針は12時を指示し日付が変わったことを教えてくれる。
イタチがゆっくりとした動作で布団から上半身だけを起こすと、もう一度窓をたたく音が部屋の中に響き渡った。

「……(こんな時間に誰だ…)」

その音が聞き間違いではないことに気づくと一気に意識が覚醒し、同時に昨日からの出来事が勢いよく蘇る。
まさかとは思ったが、残念なことに間違いではないらしい。カーテンと窓を隔てた向こう側から伝わってくる気配はイタチのよく知る人物のそれで、一瞬身動きが取れないままどうしたらいいのかと頭を悩ませた。
開けてしまったら、マズイ気がする。
今はシスイもサスケもナルトもいない。
助けはないのだ。
頭では「ダメだと」警報が鳴り響いているが、心が真逆な反応を示している。その矛盾が生まれたのは、窓の向こうに居る人物に抱いている特別な感情のせい。イタチは悩みつつもやはり無視することができず、窓に近づきカーテンを開けた。

「お前…」
『あ、やっと開けてくれた』

見えた姿に窓を開ければ、夜空に浮かぶ月を眺めていた幼馴染が笑顔で振り返る。月明りに照らされたその姿が綺麗だと、自然にそう思う。
イタチが「何してるんだ?」と呆れながらに問いかければ、リクハは嬉しそうに月を指差し『今日は満月だよ』と答えた。

『びっくりした?』
「いや、気配で分かった」
『そっか。…イタチに会いたくて来ちゃった』

窓際にいるイタチに近づいて穏やかに微笑むと、困ったような表情が返ってくる。イタチからしたら想い人が自分を好いてこんな風に接してくれることは嬉しいことなのだが、その反面戸惑うのだ。リクハがこうなっているのは「薬」のせいで、本心ではないんだと。
いくら好きだと言われたところで、それは彼女の意志とは別のところから生まれた言葉。嬉しい事には嬉しいが、少し切ない気持が入り混じる。

「昼間も一緒に居ただろ?こんな時間に来るやつがあるか」
『えへへっ。フガクさんには内緒だよ』
「全く…」

人差し指を口元に添えてふにゃりと笑うリクハにつられて口元が緩む。こんな些細な仕草さえも、本当に可愛くて仕方がないと心が呟く。

「お前、薬の事はシスイから聞いたのか…?」
『………』
「リクハ?」
『うん…。聞いたよ』
「……どうした?」

イタチの問いかけに笑顔だったリクハの表情がゆっくりと曇り、俯き加減で今の状況を理解していることを肯定する。シスイから、自分が「薬」によってこうなっていると聞かされリクハが一体何を思ったのかも、どうしてそんな苦しそうな顔をするのかもイタチには分からない。

一時的にイタチを想う感情のコントロールができない状態とは言え、話を聞かされれば少なからず自分の本心…例えば『今は薬のせいでこうなってるだけだから』とイタチに伝えることはできるはずだ。
そうすれば、薬の効果だと分かっていても自然と湧き上がってくる余計な期待をしなくて済む。
好きではないという本心までをもかき消してしまう程の代物なのかと思ったが、次の瞬間にリクハがポツリと呟いた一言でその考えは一瞬にして消え去った。

『私はずっと、このままでいたい…』
「…え…?」

俯いたままそう言ったリクハの言葉に、鼓動がトクントクンと早くなるのが分かる。

『イタチがいいよって、そう言ってくれるなら…私はずっとイタチを好きな私で居たい』
「……」
『本心じゃないって、そう思うかもしれないけど…』
「……」
『私きっと…薬なんてなくったって、ずっと前からイタチのことを…』
「ま、待てリクハ…」

リクハの口から伝えられる一言一言が、期待なんてものを通り越して都合よく自分の中だけの真実へと塗り替えられていく。
流され受け入れてしまってはいけないと頭では理解しているハズなのに、心がそれを拒み続ける。
違うんだ、これは彼女の本心じゃない。その先を言わせるなとそう自分に言い聞かせ、やっとの思いで言葉を遮る。大好きな空色の瞳が切なげに自分を見つめて来ると、胸が少しだけ締め付けられるような気がした。

『…言わせたくない…?本心じゃないから?』
「…今のお前は、薬のせいでそうなってるだけだ…」
『ちがうよ…』
「明日には効果も切れる。そうしたら…いつも通りだリクハ」

言っていて苦しいのはリクハを想う自分がいるから。

「いつも通り、オレはただの幼馴染に戻る。…だから」
『……』
「そんな辛そうな顔をしないでくれ」

そう言いながら、どこか寂しそうにけれど優しく微笑んだイタチを前にリクハの瞳から涙がこぼれる。昔から何があったって変わらないのは、その涙を拭うのは自分の役目だということ。イタチは涙の伝うリクハの頬に手を伸ばし添えると、親指で優しくそれを拭き取る。
こんなに想いが溢れているのに、こんな形でしかリクハを受け入れることができない自分に嫌気がさす。本当は違う。お前のことを誰よりも愛しているのは自分だと、そう言えたならどんなにいいだろう。

「リクハ…」
『イタチ…』
「ん?」
『嘘でもいいから……ぐすっ…。嘘でもいいから、好きって言って…』
「……っ」

添えられているイタチの手に自分の手を重ね、そう願いを口にしたリクハに頬が熱くなるのが分かる。

「そ、それは…」
『…っ、もしかして他に好きな子がいるとか…?』
「いや違うっ。そんな相手はいないっ…」
『じゃあ言って…』
「うっ………」
『ちゃんと抱きしめて、好きって言って…。じゃないと帰らないもん…』

増えた要求にどうしたらいいのかと頭を悩ませる。
他のことならいつだって冷静沈着に、他人事のように平然でいられるイタチだがリクハのことになるとどうにもそれができなくなる。
本心じゃなくとも上手く回避できたと思っていたが、それ以上にリクハが上手だったようで逃げ場を見失う。
いや、逃げ場などいくらでもあるのだ。
単にこれ以上リクハを突き放したくないという思いが強すぎて、その望みを叶えてしまいそうになる。

「…はぁ…。わかった…リクハ」

もちろんこの数秒間、良心と悪心が葛藤を始めそれはもう凄まじい戦いが心の中で繰り広げられていた。
ダメだという事は分かっている。
どこまでも突き放せばいいだけのことなのだが…、

「ほら…」

手を差し伸べてしまう、自分がいた。
自分よりほんの少しだけ高い位置に居るリクハを抱き寄せると、気持ちが止めどなく溢れて来るのが分かる。

「リクハ…」
『…イタチ…わっ…』

一瞬体が宙に浮いたかと思えば部屋の中に居たイタチに引き込まれる。さらに強く抱きしめてきたその行動に驚くリクハ。昔はさほど開いていなかった身長も、今でははっきり分かるほど。
イタチの肩の辺りに顔を埋めて目を閉じる。
ずっと一緒に居たはずなのに、この温かい胸も力強い腕も、何一つ知らなかった。それはイタチも同じで、思っていた以上に小さいその体を愛おしいと思う気持ちと共に強く強く抱きしめる。

そして…。

「リクハ…」
『…うん…』
「オレがもし…」
『え?』
「嘘じゃなく本心で…お前を好きだと言ったら…お前は」
『……』

オレのことだけを、ずっと想い続けてくれるのだろうか…。

「………」
『イタチ?』
「……いや、すまない。忘れてくれ」

自分でリクハを受け入れようとしなかった割には、この状況に甘んじてその気持ちを知ろうとする自分がいることに嘲笑う。
きっと「?」と浮かべているだろリクハの体をもう一度しっかり抱き寄せると、耳もとに頬を寄せ目を閉じる。

「愛してる、リクハ」
『…えっ…!?』


今だけは、
嘘でもしてると言わせて

(と、泊ってっていい?)
(頼むからこれ以上何も言うな…)


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