ーカァッ、カァッ、カァッ!
「ん?」
甲高い鳴き声を響かせながら晴天の空を舞う一羽の鴉。何度か上空を旋回したあと、家の庭先へ降下していくのを竹箒を持った少年が不安げな表情を浮かべ見つめていた。
か細い足に小さく畳まれた文を巻き付けた鴉はそのまま縁側に降り立ち、開け放たれた襖から座敷の中へと進んでいく。中には大柄な男がだらし無く胡座をかき座っていて、ドンっと音を立て振り下ろされた酒器に行く手を阻まれたところで鴉は足を止めた。
「………」
カァッ!と一鳴きして文が結ばれている足を突き出す賢い鴉に、男はめんどくさげな溜息を吐き怠そうな動作でそれに目を通した。しかし次の瞬間には、達筆な字で書かれた必要最低限の文字を目で送っていく男の表情が、驚愕へと移り変わった。
「そうか…"蒼治郎"の娘はまだ生きていたか…お鶴殿」
男は熱くなる目元を片手で覆い溢れそうになる思いを必死で堪えるのであった。
*
「鴉に文を届けさせましたよ灯華」
灯華の祖母であるお鶴は、実親に代わり女手一つで病弱な孫を育てたしたたかで、根性があり、非常に肝が据わった女性である。昔から、病を理由に孫を甘やかすような教育はしてこなかった。それは常に、鬼殺隊を支える藤の花の家紋を持つ家の人間としての誇りを持ち、強く堂々と生きていって欲しいと願っていたからだ。
『文を?…誰宛ですか?』
「杏寿郎様の御父上です」
『そうですか。槇寿郎様に……え"!?い、今なんてっ?』
「だから、槇寿郎様に文を送ったのよ」
凛とした態度でそう言ったお鶴の言葉に、飲もうとしていたお茶をこぼしそうになった。すかさず灯華の手から湯呑みを取り上げ、お鶴は猫のように吊り上がった目を細める。
「婚姻を結ぶのですから当然のことです」
『っ!!ま、まさかその内容をっ!?』
「ええ」
『鎹鴉で!?』
「ええ」
『杏寿郎さんは承知の上ですか!?』
「いいえ」
『お婆様ぁぁぁぁぁっ!!!』
両手で頬を押さえ、青ざめた表情でこの世の終わりとでもいうような悲鳴を上げる。
なぜお鶴の行動が問題なのかと言うと実は灯華、数時間前に煉獄から受けた結婚の申し出を聞いたその直後…一気にあふれでた様々な感情を処理しきれず、気を失ってしまっていたのである。しかも泣きながら。なので今は、布団の上で上半身を起こした状態でお鶴と話をしている。
『わ、私はまだ杏寿郎さんにお返事を返していないのに!』
「お前が気など失うからでしょう。情けない!」
『(ガーンッ)…ご、ごもっともな言葉』
「返事は自分が任務から戻った際、お前の口から直接聞きたいと言っていましたよ」
『…………』
「灯華?分かっていますね?」
表情を歪め、不安そうに胸の前で手を組んだ灯華。ここまで育て上げた我が子も同然の孫の考えていることが、手にとるように想像できた。優しく、他人を思いやれる清い心を持った子であるから、きっと自分の病のことを気にしているんだろうと。
『…婚姻の話は、お断りしようかと思っています』
悲しそうに瞳を伏せ、呟くようにそう言った灯華。予想していたその言葉に、お鶴は動揺することなく真剣な眼差しを向け孫の言葉に耳を傾ける。病弱で…余命幾ばくもない、いつ死ぬかも分からないような自分では、炎柱である煉獄とはあまりにも不釣り合いだと灯華は思いを口にした。それが彼女の根底にある本心ではないことくらい、すぐに分かる。だが、大切に思う相手に迷惑をかけたくないというその気持ちも、痛いほど理解できた。
「杏寿郎様が、いつそのように仰いましたか?」
『え…?』
何事も前向きに、ブレない芯を持ち歩み続けることのできる煉獄のようになれとは言わない。生まれ持っての病を抱え、余命僅かと知りながら懸命に生き幸せを掴んだとしても、それは束の間。いつか授かり産まれるであろう小さな命をその手に抱くこともできずに灯華は死ぬ。彼女にとって未来を考えるということは、幸せなことではなくとても悲しく残酷なことなのかもしれない。だが…。
「その様な理由で申し出を断ることは許しません」
凛としたお鶴の声が静かに響き、灯華は若干目を見開き鋭い眼差しを自分に向けている祖母と視線を絡ませた。
『でもお婆様っ…私は…』
「私の前で涙を流すことも許しません」
『…っ…?』
「お前の抱えている思いを受け止めその涙を拭うのは私ではなく、杏寿郎さんの役目です」
若い孫娘に対し、少々厳しいことを言っているだろうかと自問自答する。だが、どんなに自分自身の思いに打ちのめされそうになって辛くとも、苦しくとも、情けなくとも、病という闇にのまれ光を見失ってしまうような人生を歩んで欲しくはなかった。
悲観的になるよりも、心に誓った誰かを愛し抜く強さと優しさを持ち、それを糧に最後の最後まで命の炎を燃やし続けて欲しいと切に願った。
灯華の母が、娘がそうであったように。
「話はこれで終わりです。泣き言は杏寿郎様に愛想を尽かされた時のみ聞きましょう」
『(お婆様の目が怖いわ…涙を堪えるのよ私っ)』
いつにも増して厳しい言葉で、弱気な自分を鼓舞してくれているのだと分かる。多分これ以上何を言っても聞き入れてはくれないであろう祖母の態度に、灯華は下唇を噛みしめて煉獄が贈ってくれた百合の花を見つめた。
「灯華」
『は、はい』
「お前がそうであるように、嘘偽りの嫌いな杏寿郎様は…ありのままの灯華が好きだと仰ってくれているのですよ」
『……』
「その想いと覚悟から、背を背けることだけはしないこと」
『…お婆様…』
「自信を持ちなさい。お前は誰よりもあのお方に相応しい心を持っているのだから」
誠のこころ
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