百合の花は、死んだ母が一番好きな花だった。
病で満足に歩けなくなってからも、母は花を生けることだけはやめなかった。純白の清らかで美しい花を咲かせる百合の花言葉は『純粋』『無垢』。この花を生ける度に母から言われていた言葉は…。
灯華もこの百合のように、純粋で美しい生き方をしなさい。
『…純粋で美しい生き方とは、どんな生き方ですか…母上』
線香の匂いが風によって部屋の中へ広がっていく。仏壇の前で正座をする灯華は顔を自信なさげに俯かせ、薄れていく母の姿を思い出していた。もしも、病になど屈することなく母が生きていたら、今の情けない娘の姿を見てどんな言葉をかけてくれただろうかと考える。考えたところで答えが見つかるわけではないが、きっと祖母と似たようなことを言うんだろうなと小さな溜息を吐いた。
次の瞬間ー。
「まさに君の生き方そのものだと俺は思う」
『!?!?』
心臓が口から飛び出た…否。出なかったことが奇跡かもしれない、そう思えるほど驚いた。驚愕の表情と共に勢いよく背後に振り返ると、やはり幻聴ではなく声の主がそこに居た。どこか無邪気であどけなさがある優しい笑顔を浮かべ、その傍らには欠かすことのない花束を持参し、きちんと正座をして座っている煉獄杏寿郎が。
『き、杏寿郎さんっ!?いつお戻りにっ…』
「今だ!今日も体調が良さそうだな、灯華」
そう言って若干眉を下げ安堵する煉獄。任務が終わりこうして灯華の元気そうな姿を見る度に、生きた心地を味わうのだ。
『声をかけてくださればお出迎えを…』
「いいんだ。それよりも灯華」
先日のことがありうまく自分の顔を直視することができないのか、オロオロと視線を泳がせている灯華に声をかける。そばに置いておいた花束を掴み、いつものように手渡した。今日はなんの花を渡そうかと迷ったが、花屋に行き白い純白の百合が目に入ると、やはりこれだと彼女の一番好きな花を購入した。恥ずかしそうに差し出された花束を受け取る灯華は、頬を染めて柔らかい笑顔を浮かべる。
「灯華、気持ちは固めて貰えただろうか?」
『っ…!』
煉獄の瞳が、灯華を真っ直ぐ見つめる。
ここに足を運ぶ間も、ずっと灯華の気持ちが気になっていた。想いが通じ恋仲になり、もう随分と長い時間を共に過ごしてきたが、自身の病を気にかけている灯華がこの申し出に答えてくれる確証がなかったからだ。控えめで謙虚な彼女のことを考えると、自分よりも他の誰かと幸せになるべきだと言い出しそうで少しばかり不安になる。だが煉獄は、そんな一抹の不安など感じさせることのない態度で灯華と向き合う。
「急な話をして、驚かせてしまったな」
『いえっ。…凄く嬉しかったです』
先日の煉獄の言葉と優しい笑顔を思い出し、顔を真っ赤にして俯く灯華。あんな大切な場面で気を失ってしまったことを謝罪し罪悪感を感じていると、煉獄は「全く気にしていない!」といつものように声を上げて笑った。それより何より、彼女の嬉しかったという言葉が聞けて自然と顔が綻んだ。
「そうか!嬉しかったか。それを聞けて俺も嬉しい」
にこりと心底嬉しそうに笑う想い人を前に、灯華の胸がきゅうっと締め付けられる。
『あ、あの…杏寿郎さん…』
「なんだ」
『杏寿郎さんは、本当に、その……私のような者で、いいのですか?』
恐る恐る顔を上げ、目の前にいる煉獄と視線を合わせる。身に余るほど光栄な話に、病という枷さえなければ二つ返事で「はい」と伝えたい。死を超えて、魂だけになったとしてもそばに居たいと本心が願うほど、煉獄杏寿郎という男を慕っている。
燃える炎のごとく強い意志が宿っている大きな瞳は真っ直ぐ灯華を見つめていて、一瞬たりとも彼女の言葉、表情、仕草、心の動きまでをも見逃すまいとしているようだった。
「なぜそう思う」
やけに冷静な煉獄の一言に、灯華が重ねていた瞳を伏せる。
『杏寿郎さんもご存知の通り、私は病持ちで、余命幾ばくもありません。いつこの体が動かなくなるか分からないんです…』
「………」
『夫婦になって普通の幸せを築くどころか、かえって杏寿郎さんに悲しい思いや迷惑をかけてしまうだけだと思いまして…』
「………」
『それに…心からお慕いしている方の子すら…身籠ることのできない体です…だから…』
伝えなければならない思いだと分かってはいるが、口にしていてこれが全て現実だと思うと酷く悲しくて目に涙が浮かんだ。どうして自分は普通に生まれてくることが許されなかったのだろう、どうしてこんな立場の自分が煉獄という大きな存在と出会ってしまったのだろうと自問自答する。せめて、死に直結するような病でなければ…どんなに幸せだっただろう。
『……普通が…よかった…』
ただあなたに幸せを与えられるくらいの、些細な普通でよかったのに。
そんな願いが、無意識のうちに溢れ出た。
想いの先に灯る華
*前次#