『千寿郎君、まだ起きていますか?』
「灯華さん?は、はいっ。起きています」

一日の仕事を終え従者たちが眠りについた時刻。慣れない寝床で体が緊張しているのか、疲れているはずなのに千寿郎はなかなか寝付けないでいた。敷いた布団の中天井を見つめ物思いにふけていたところ、灯華の声に呼ばれハッとする。慌てて布団から出て襖を開けると、高級菓子のかすてらと湯呑みが乗ったぼんを持ち、穏やかに笑う灯華がいた。
唖然としながらも部屋の中に招き入れると、行燈に灯をつけた灯華は千寿郎の前にぼんを差し出し『甘い物は好き?』と優しく微笑み問いかけた。

「…好きですけど…どうしてここへ?」
『千寿郎君、夕飯があまり進んでないようだったから』
「え…」
『もしかしたらお腹が空いて眠れないんじゃないかと思って』

お婆さまには内緒ですよ?と口元に人差し指を添えて言った灯華。その細やかな配慮に、千寿郎は目を丸くした。確かに今日は食欲がなくて、出された分を完食することができなかった。体の不調ではなかったのだが、その様子を気にかけてくれていた灯華の優しさに触れ心が温かくなる。

「気を遣わせてしまってすみませんっ。あのでも…っ」
『??』
「僕のことより、灯華さんは早くお休みになられた方がいいのでは?夜更かしはお体に障りますし…」

しかし優しいという点でいえば、千寿郎も引けを取らないほど心の温かい少年なのだ。体が弱いとお鶴から聞いていたことを思い出し、控え目にそう言った千寿郎に今度は灯華が目を丸くする。まだ幼さの残る歳にしては、でき過ぎていると思わずにはいられない。他への配慮、礼儀、言葉遣い、流石は名家の育ちなだけあって振る舞い方が完璧だった。

『ふふっ。心配してくれてありがとう千寿郎君。私なら大丈夫よ』
「本当ですか?」
『ええ、本当です。あ、良ければ召し上がって』

灯華のすらりと伸びた指先が、ぼんの上のお菓子を勧める。千寿郎は自分一人でこんな高級菓子を食べるなんて…と思いを巡らせたあと、子犬のような可愛らしい表情を浮かべ「一緒に食べましょう」とかすてらの乗ったお皿を持ち上げた。そのあまりの可愛さに衝撃を受けた灯華は迷うことなくその誘いに頷き、二人は深夜にかすてらを頬張る。

『慣れない場所で、寝付けませんか?』
「あはは…すみません、少し緊張してしまって」
『無理もないです。なんだか落ち着かないですよね』

苦笑いを浮かべた灯華は湯呑みに手を伸ばしそう言えば…と話を続ける。それは昔、自分が今の千寿郎より少し幼かった頃のこと。槇寿郎の親友であった父に連れられ煉獄家へ行ったことがあった。大酒を喰らった父は千鳥足で帰宅困難になり、仕方無く一泊していくことになったのだが…。

『知らない場所というだけで緊張して、私も寝付けませんでした』
「へぇ。灯華さんはそんなに幼い頃から僕の家族と関わりがあるのですねっ」
『はい。その時はお兄様の杏寿郎さんが、私が眠るまでずっと手を繋いでお話を聞かせてくださいました。ですから…』

ズズっとお茶を一口啜り、膝の上に下す。
柔らかな笑みを浮かべた灯華は幼い頃から自分を気にかけ支えてくれている、千寿郎そっくりの兄の笑顔を思い出し、自分も同じように束の間でも誰かを安心させられるような行いをしなければと考えた。

『今夜は千寿郎君が眠るまで、私がお話相手になりますね』
「…!」

この家に来て一日も経っていないのに、彼女の優しい笑顔に魅力されるのは何度目になるだろうか。母が亡くなり酒浸りになってしまった父との生活の中では絶対に触れることのない温かさ。胸の奥が妙にむずむずとして、少しばかりこそばゆさを感じた。

『あ、気は遣わなくて結構ですよ?好きでやっていることなので』
「…あ、ありがとう、ございます」
『では千寿郎君!なんのお話をしましょうか』

湯呑みをぼんの上に戻し、半分に割ったカステラを頬張る灯華。どこか楽しげでいるそんな雰囲気が、千寿郎にも笑顔をもたらした。

「えっと、じゃあ…。もしご存知であれば…」
『はい』
「母上の話が、聞きたいです」


優しくてたたかい

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