自分は至極幸せな人間だと思わずにはいられなかった。
強く、気高い母と自分の進むべき道を示してくれた父の元に生まれ、優しく人を思いやることのできる賢い弟に恵まれ、そして灯華という素晴らしい女性に出会うことができたからだ。母を失い、父との関係は良好とは言えないが…それでも幸せだと、自分は恵まれている存在なのだと思うことができる。それはきっと、灯華というかけがえのない存在が自分を支え、愛を与えてくれるからだと改めて心に感謝を滲ませた。
「まだ休んでいなかったのか」
部屋に戻ると、灯華が花瓶を棚に置いている姿が映り込んだ。差されているのは持参したナデシコの花で、『いつもありがとうございます』と優しく微笑んだ笑顔を見れて満足する。
「おいで灯華。もう休まなくては駄目だ」
穏やかな口調でそう言い手を差し出すと、少しだけ不服そうな表情を浮かべた灯華がその手を取る。その心中には離れていた分、もう少し話をしていたいという思いが巡っていた。長く一緒にいるせいか、言葉にせずとも伝わってくるその思いに煉獄は愛おしそうな眼差しを灯華に向ける。
「どうした?」
分かっているが、あえて問うのは意地が悪いだろうかと思いながら、灯華が自分を必要とする言葉が聞きたくて問いかける。すると、少し困ったような表情を浮かべた灯華が『何でもないです』と寂しそうに笑った。こんな時でも変に気遣い遠慮する彼女に、煉獄はぐいっと腕を引き寄せさっきまで灯華が眠っていた布団の上に腰を下ろした。
「寂しい思いをさせたな」
『い、いえ、そんなっ…』
「俺ももう少し話をしていたいが、君の体が心配なんだ」
『(簡単に見透かされてる…)』
「だからどうだろう。嫌でなければ一緒に寝よう、灯華」
『はい……』
……ん?
『…えっ!?き、杏寿郎さん、今なんてっ…』
「君が嫌でなければ一緒に寝ようと言った。俺は是非そうしたい」
『〜っ…!』
ボンッ!と顔から火が噴くのではないかと思うくらい恥ずかしかった。現に今、灯華の顔は真っ赤に染まり煉獄と視線を合わせようものならまた失神するのでないかという状態。彼は恥じらうという概念を持ち合わせていないのか、いつもと変わらない表情で灯華の両手首をきゅっと握りしめ、「どうだろうか?」と首を傾げている。その凄まじい威力にくらりと眩暈がした。
「ハッ、ハッ、ハッ!茹で蛸のように顔が真っ赤だ!」
『!!!!(は、恥ずかしいわっっ…)』
心の中で悲鳴を上げ、あわあわと目を泳がせる灯華。
自分の言葉一つでいろんな表情を見せてくれる彼女の素直さが、とても愛おしい。
「心配しなくとも、理性を外し襲ったりしない」
『お、襲っ…!?』
「そうしたい気持ちが無いわけではないが…」
『えっ!?』
「また気を失われても困る!」
『杏寿郎さんっ…!』
そんな恥ずかしい話を蒸し返さないで欲しいという気持ちを込めて名前を呼べば、ハ、ハ、ハー!といつもの笑いが返って来た。全て嘘偽りなく、本心で話をする煉獄の言葉は、どれもこれもある意味で刺激が強いのかもしれない。
「灯華」
『は、はいっ…』
「君が嫌なら俺は隣の部屋で寝る。それだけだ」
『あの、えっと…えっと…』
「嫌か?」
嫌じゃない。嫌なわけがない。むしろそうしたい。そばに居たいのだから。心ではこんなに簡単に気持ちを伝えられるというのに、いざ勇気を出しやっとこ口から出て来た言葉は…、
『う…腕枕を…して欲しいです……』
「……」
あられもない無意識の願望であった。
目の前にいる煉獄は少し意表を突かれた表情を浮かべていて、しまった!と思った灯華が身を引こうとする。が、掴まれている腕にいくら力を込めてもびくともしない。『穴があったら入りたい!』と内心叫び俯くと、煉獄の優しい声色が灯華の名を呼んだ。
「そんなことで良ければ、いくらでもしよう」
『…っ…は、恥ずかしいですっ…馬鹿なことを言いましたっ』
「俺はそうは思わなかった」
愛妻となる灯華の願いはいつも慎ましく、可愛らしいものばかりだと思いながらから手を離し、掛け布団を掴むと横になるよう促した。幼い頃はよくこうして一緒に寝たものだと思い出し、煉獄も体を沈めて横になる。
「それでは君の顔が見えないだろう」
『す、すみません。どうにも恥ずかしくてっ…』
「夫婦になるのだから恥ずかしがる必要はないと思うが」
よほど恥ずかしいのか、背中を向けて横になる灯華。煉獄はその体を後ろから抱き寄せ腕枕をしてやると、彼女の頭に頬を寄せ目を閉じた。触れている箇所から伝わってくる体温が、物凄く愛おしい。
『っ……(き、緊張する…)』
空いている右手を灯華の左手に絡めてギュッと握ると、控えめに握り返してくれる。『杏寿郎さんの手は大きですね』と言いながら自分の方へ少し体を寄りかからせて来た灯華。理性を崩したりしないと約束はしたものの、それを保つのも容易ではないことに気がついた。
『そうだ杏寿郎さん』
「ん?」
『朗報が二つあるのですよ。眠る前にお話しさせて下さい』
「(眠れるだろうか、俺は)朗報とは良いことだな。是非聞こう」
『はいっ。一つは毎年この時期恒例のアレです!』
「おおっ。アレか!それは楽しみだな!」
『杏寿郎さんの好物ですもんね』と楽しげに笑う灯華。今年もまた、そんな季節を迎えられたことをしみじみと感謝する。
『もう一つは、ふふっ。聞いたら驚くと思いますよ』
「なんだろうな」
穏やかな笑みを浮かべ絡ませている指を撫でる。
『実はですね、杏寿郎さん』
「…?」
『今この家に…千寿郎君が来ているのですよ』
「!!!!」
その瞬間、手の動きがぴたりと止まり煉獄が驚いているのが分かった。灯華はその反応に笑顔を浮かべ、三人で過ごせる時間に期待を高まらせた。
「千寿郎がっ!?それは本当かっ!」
『ふふ。本当ですっ。丁度半月ほど前から滞在を』
「そうだったか!千寿郎に会えるのは久しい!弟は何故ここへ?」
『槇寿郎様からのお手紙を届けて下さったのですが…。そう言えば滞在の理由は私も聞いてませんでした。お婆様ならご存知だと思いますが…』
「そうか!まあ理由は何にせよ喜ばしいことだ!千寿郎はいい子だろう!」
声を弾ませ嬉しそうに話す煉獄に、灯華もつられて笑顔を浮かべる。
『はいっ。とても優しくて、親切で、頼りになります』
「うむ!そうだろうな。仲良くなれたか?」
『もちろんですっ。毎日一緒に過ごしていますよ』
「千寿郎もさぞ喜んでいることだろう。君のような人と毎日一緒に過ごせるのだから」
煉獄は弟に会える数時間後を楽しみにしながら、話は聞きたいがそろそろ灯華を休ませようと思考を切り替える。
「千寿郎と君と過ごせる時間か。まさに理想だな」
『私も同じことを思っていました』
心底幸せだと思えた。大好きな人たちに囲まれて過ごす時間が、自分の手の中にあるということが。灯華はいつもより少しだけ早く鳴り響く自身の心音を聞きながら、もう一度煉獄の手を握りしめる。
『杏寿郎さん…』
「ん?」
『…愛しています。ずっと一緒にいてください』
「…………」
そしてささやかな一瞬一瞬を噛み締めて、灯華はゆっくりと目を閉じた。温かで優しい、煉獄に身を預けて。
「それは今、俺が言おうとしていたことと一緒だ」
安眠は君の腕の中で
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