「ん……」
朝。ちゅんちゅんとスズメ達の会話の声で目を覚ますのが、ここに来てからの日課となった。秋になり、少しばかり冷たくなった澄んだ空気を吸い込むと、灯華が飾ってくれた花の匂いが鼻腔をくすぐる。悪くない目覚めである。千寿郎はゆっくりと布団から上半身を起こし、まだぼんやりとする頭で目を擦る。支度を整え、灯華たちの手伝いに向かわなければと思ったその時だった。
「…?」
少し離れた部屋の方からダダダダダッ!と地鳴りに近いような、誰かが駆ける足音が響いて来て千寿郎はぱっと顔を上げる。その音は確実にこの部屋に近づいて来ていて、一体何事かと不安気な表情を浮かべ立ち上がろうと布団を剥ぐ。だが次の瞬間には障子戸がパンッ!と勢いよく開け放たれて、ずっと会いたいと思っていた人物が千寿郎の名を嬉しそうに呼んだ。
「あ、兄上っっ!?!?」
「おはよう千寿郎!よく眠れたか!」
「…………あ、えっ…」
「久しいな!また少し見ない間に成長したように思う!」
千寿郎の目の前に現れたのは、再会が半年以上ぶりとなる兄・杏寿郎であった。あまりの衝撃に素っ頓狂な声が出て、そのあとは口をぽかんと開けたまま固まってしまった。何故兄がここに居るのか、これは夢ではなく現実なのか、千寿郎の脳内で様々な疑問が湧き上がる。目の前の兄はいつも通りの表情を浮かべ、白い歯を見せ笑っていた。
『杏寿郎さんっ、は、速いですっ…』
「ハハハッ!君は昔から足が遅いな灯華!」
『(ガーンッ…)千寿郎君は起きていましたかっ?』
「うむ!俺の姿を見て固まっているところだ!」
『え?』
少しだけ息を切らした灯華の声が聞こえて来て、煉獄が嬉々としながら顔を向ける。千寿郎もその声のおかげではっ!と我に返り、部屋の中に顔を覗かせた灯華とほぼ同じタイミングで勢いよく兄の元へ駆け寄り抱きついた。
「兄上!」
『ふふっ』
「会いたかったぞ!千寿郎!」
「僕もです兄上っ。まさかここでお会いできるとは思っていませんでした」
「俺もだ!まさかお前が来ていようとは!」
煉獄の腰に腕を回し、ぎゅうっと身を寄せ再会を喜ぶ千寿郎。その姿を見て、灯華は本当に良かったと幸せそうな笑みを浮かべた。賢くて、優しくて、とてもしっかりしているが、千寿郎はまだ幼い。本来であれば母と父から愛情を与えられるべきなのだが、それが叶わない彼の心の支えは兄である杏寿郎に他ならない。
『良かったですね、千寿郎君っ』
「はいっ」
『(…かわいいっ!)』
まだ小さな手を目一杯兄の背中に回し、左頬がむにっと潰れるほど寄り添い心底嬉しそうな笑顔を向ける千寿郎。その姿に母性をくすぐられきゅんっと灯華の胸が高鳴り『(可愛いわ、千寿郎君!)』と一人心の声をあげた。
『では私は、朝食の準備をして来ますので二人はお話をっ』
「あ、僕も手伝います灯華さん」
『今日は大丈夫です。それよりも杏寿郎さんと居て下さい』
灯華の言葉に「良いんですか?」と首を傾げる千寿郎に、いいんです!と笑顔を向ける。兄である煉獄も弟の頭を撫でて「灯華の気遣いに甘えよう」と穏やかに笑った。
*
鬼殺隊を支援する藤の家紋の家というだけあって週に数回、怪我をした隊士たちが傷を癒しにここへやって来る。怪我の具合は様々で、時には亡くなる者もいると灯華は話してくれた。こうしてやって来る隊士たちを通して鬼というものの残酷さを知ると、いかに兄杏寿郎が優れているかが改めて分かる。それに比べて血を流す彼らを前に足がすくみ恐怖を感じた自分の弱さと才のなさを痛感していた。
ここに来てからの千寿郎の日課といえば、灯華から様々なことを学ぶことだ。学問もしかり、今記した内容もしかり、数週間という短い期間ではあるがここでの暮らしはとても有意義だった。
「灯華さんは優しい人です。僕にいろんなことを教えてくれる」
縁側に腰を下ろしながらここでの近状を話すと、二人の関係性に煉獄は満足そうな表情を浮かべた。
「彼女からは、学ぶことが多い。俺もそうだ」
「兄上もですか?」
「勿論!昔から、大切なことを教えて貰ってばかりいる」
何かを懐かしむように腕を組み、自分の一部と言っても過言ではない灯華の存在に心から感謝をする。鬼殺隊に入り、こうして柱になることができたのも彼女の支えがあったからこそ。千寿郎にもこの胸に灯り続ける熱い思いのワケを全て、伝えられたら良いのにと思った。
「何となく、分かる気がします…兄上が言いたいこと」
自分と同じように、刀を持ち鬼と戦うことはできないけれど…灯華の清くて気高い純心に触れると不思議と前を向くことができるのだ。俯き立ち止まっていた自分の背中を、「大丈夫だから」と押してくれるような…そんな温かさと強さが彼女にはある。言葉に例え辛いと苦笑いを浮かべると、煉獄は笑顔を浮かべて千寿郎の頭を撫でた。
「灯華は少し、母上に似ているところがある」
「母上に?それはどんなところですかっ?」
千寿郎の目が小さく輝き、母の面影を知りたがっている。
煉獄は頭を撫でていた手を小さな肩に移動させると、自分と同じ色をした弟の瞳を真っ直ぐ見据えて口を開いた。
「他者の心に熱き炎を灯すことができる、というところがだ」
「…兄上の心にも、その炎が灯っていますか?」
「無論だ!お前の中にもきっとある、千寿郎」
「…僕の心にも、兄上のような情熱が灯れば良いのですが…」
「心配するな!大丈夫だ。お前俺の弟なのだから!」
太陽のように眩しい笑顔が千寿郎の心を照らし、煉獄の強さが勇気を与える。確証なんて物は無かったが、なんだか少し前を向けた気がした。
『(なんて素敵な兄弟の絆っ…)』
千寿郎が煉獄に対し、心に炎が灯っているかと問いかけた辺りから角に身を隠し会話を立ち聞きしていた灯華。二人の素晴らしい絆を目の当たりにして、着物の袖で目尻を拭った。その刹那ー。
「そんな所に居ないでこっちにおいで灯華!」
「え?灯華さん?」
『(ハッ!またバレていたっ…!)』
煉獄のいきいきとした声が灯華の名を呼んだ。
遠慮がちに角から顔を覗かせ、あたふたと表情を歪める。
『す、すみませんっ。兄弟水入らずを邪魔したくなくて』
本当に遠慮深い性格だと思いながら立ち上がり歩み寄ると、灯華の手を取り笑みを深める。そして顔だけを千寿郎の方に向けて煉獄は口を開いた。
「灯華の料理は美味いぞ!千寿郎!」
「え、あ、はいっ。知ってますが…」
『あ、あの…朝食の支度は出来たんですけどお話の途中じゃあ…』
「君は本当に気配を消すのが下手だな!絶対に屋敷の外に出て欲しくない!」
『(ガーンッ!!)…話聞いてますか杏寿郎さん…』
「行くぞ千寿郎!」
「…は、はいっ…」
しょんぼりと肩を落とす灯華を気に留めず、愛する者と大切な弟と過ごせるこの時に…煉獄は心底幸せそうな笑みを浮かべたのであった。
心に炎を灯す者
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