「煉獄さん、少し体を休めて下さい。任務明けでお疲れでしょう?」
灯華さんが目を覚ましたらすぐにお呼びしますよ?と、優しい声色でそう言った胡蝶を前に煉獄はいつもと変わらない表情で「ありがとう!」と彼女の気遣いに感謝する。妻となる灯華の手を優しく握り、ただただ眠りから覚めるのをそばで待ち続けている直向きな煉獄の姿に、二人の愛の深さを感じずにはいられない。
とても儚くて美しいと、素直にそう思った。
「俺なら大丈夫だ。灯華のそばに居たい」
「ふふっ。そう言うと思いました。野暮でしたね」
「君が休むといい。何かあれば声をかけさせてもらうが…」
「いいえ、私もここに。灯華さんのそばに居ると、不思議と心が落ち着くので」
穏やかな表情の寝顔に視線を移しそう言った胡蝶の言葉に、煉獄は目を細めて微笑んだ。ここにも自分と同じ思いの者がいたんだなと感じながら。灯華から醸し出される温かい空気感は、胡蝶のいうとおり不思議と心を穏やかにしてくれる。それは相手が誰であろうと関係ない。人並み外れた力を持つ鬼殺隊の柱でさえも、彼女の前では癒され居心地の良さを感じるのだ。
「胡蝶」
「はい?」
「灯華の命は、あとどれくらい持つと思う」
「煉獄さん…それは…」
「正直に言ってもらって構わない。気休めは不要だ」
一度強く頷き真っ直ぐに自分を見つめて来る迷いのない煉獄の瞳からは、どんな答えが返ってこようとも全てを受け入れる意志の現れを感じ胡蝶もスッと背筋を伸ばす。
もう町医者では対処出来ないと思い彼女を呼んだ。呼吸を扱えればその体質に見合う薬を調合してくれると踏んでいたから。
「一時的に命を繋ぎ留めるこの方法は最後の手段だった」
「呼吸を促した判断は的確でした。薬が効いたのもそのお陰です」
「だがもう彼女の肺は限界だ。呼吸は使えない」
「はい…。ですから、次に発作が起きたらその時は…」
言葉を濁しながら眉を八の字に曲げた胡蝶。
悔しさと深い悲しみの匂いがした。
「次の発作までが、灯華の余命と言うわけか」
「…すみません。私にもっと知恵があれば良いのですが」
「何を言う!君は十分過ぎるほど手を尽くしてくれた」
「ですが…悔しくて…。どうして灯華さんのような人が…」
「…胡蝶」
「すみませんっ。…私が悲しんでいる場合ではないのに…」
「いいんだ。辛い思いをさせてしまってすまない」
いつも一定の感情を保っている胡蝶が大きな瞳に涙を溜め、鼻を啜る。身を震わせ泣くことはしないが、煉獄から顔を背け羽織の裾で目尻を拭った。灯華のために誰かが涙を流すということは、それだけ彼女の存在が自分以外の多くの人の中で生きているということだ。まさに灯華が望んだ生のカタチそのものと言える。
「灯華と…約束をしたんだ」
「…?」
「今度の柱合会議が終わったら、祝言を挙げようと」
「…!」
煉獄の言葉に、逸らしていた顔をゆっくりと戻す。
彼は灯華を見つめたまま、実に穏やかな表情を浮かべていた。
「灯華が心底楽しみにしているのは」
「………」
「彼女の母君の形見である、白無垢を着ることだ」
「………」
「病のせいで諦めていた夢が叶うと、とても幸せそうに笑うものだから…堪らなく叶えてやりたくなった」
そう言って笑う煉獄の笑顔が、とても切ない。
柱合会議が始まるまで三週間。
いつまた病が悪化するか分からない。
加えて胡蝶は柱を担う立場の人間。常にそばには居られない。
それは煉獄もしかりだ。
どんなことがあろうとも、柱の責務は放棄できない。
例え愛する者を失うことになっても。
「祝言の時期を早めるべきですっ…」
「俺もそう提案したのだが、祝言の日取りは変えたくないそうだ」
「でもっ…それでは体が持つかどうかっ…」
「その通りだ。だが彼女は、きっと譲ってはくれないだろう」
「…何か、特別な理由が?」
「その日は俺が、炎柱になった日だ」
灯華はその日をとても大切に思ってくれているんだよ。
そう言った煉獄の胸の内に湧き上がる懐かしい思い出。
灯華の手を両手で包み、弱々しい温もりを懸命に感じ取る。悲しいが、悲しんでいる時間はない。全身全霊をかけ病という大きな敵と戦っている彼女と共に残り少ない人生を駆け抜けなければならないのだから。少しでも後悔しないように、彼女のいなくなった世界に生きる意味を失い飲み込まれてしまわぬように。
「目が覚めたらもう一度話をして…」
「分かりました…」
「…?」
「それが、灯華さんの願いなのですね…」
病の進行具合からしても、盛大な式を挙げることはできないだろう。たくさんの人々から祝福されるべき灯華の願いは実にささやかなものだった。母の形見である白無垢を着て、煉獄と夫婦の契りを交わすことだけ。たったそれだけの願い。
それが叶えば彼女はとても綺麗な笑顔を浮かべ、幸せだと涙を流すことだろう。胡蝶は俯むかせていた顔を上げ煉獄を見つめると、真剣な眼差しで白い包み紙を差し出した。
「これは…本当の意味での最終手段になります」
「薬?」
「はい。端的に言うと、飛躍的に体の機能を向上させる物で、呼吸を扱える灯華さんであれば効果を期待できます。次の発作が起きた時に服用すれば、その後五日間の命は保証します」
「五日過ぎたらどうなる?」
「…必ず死に至ります。ですから使用する際は、貴方の裁量で」
胡蝶の細い指先に挟まれた小さな包みを見つめる煉獄。
結局最後の手段を用いても、病で苦しむ灯華に残された時間は変わらない。たったの五日間だ。必ず死ぬと分かっている五日間を過ごすのは幸せと言えるのだろうか?延命処置としては実に残酷に思えた。
「…人間が理を曲げて生きながらえるのは、たった五日が限界なのに…、人を喰らう鬼は永遠の命を受けることができる。何とも理不尽な世界だな、胡蝶」
「ええ。本当にその通りです…」
一度目を閉じ熟考する。
何が正解は分からないが、灯華ならばきっと…。
「ありがとう胡蝶。これを使用しなくて済めば良いのだが、受け取らせてもらおう」
「…症状が緩和した状態で、最後は眠るように息を引き取ります。苦しむことはないので、そこは安心して下さい」
「承知した」
包みを静かに受け取り隊服の衣嚢(いのう)にしまう。
そして再び灯華に視線を向けたその時だった…、
『……きょ……じゅ…ろう……さん……』
「「!!!」」
握っていた彼女の指がぴくりと動き、弱々しく開かれた口から煉獄の名が聞こえてきたのは。
想い馳せる先に光が灯る
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