『…千寿郎君を…呼んで下さい』
胡蝶が藤の家紋の家を去り、小一時間ほどが経った頃。
体を休めるため再び眠りについていた灯華が、目を覚ますなり小さな声でそう願いを口にした。
*
兄に呼ばれてから数分後。
灯華の前で悲しい表情を見せては駄目だと深呼吸をして、千寿郎は二人の待つ部屋の中に入って行った。
「兄上…庭に花が落ちていました。灯華さんに贈るものでは?」
「おおっ!いかんな、約束を違ってしまうところだった!」
病のことは、兄から聞いた。
愛する人へ近づいていく死期を感じながらも、決して臆することなく堂々と胸を張り向き合っている煉獄。その強さに魅せられて、千寿郎も自分自身で己の弱さに叱咤激励を送った。辛く胸が苦しいが、悲しんでいる場合ではない。一番辛いハズの灯華と兄が全てを受け入れ自分に笑顔を向けてくれているのだから。
『…千寿郎君、こちらへ来て下さい』
煉獄に支えられ、上半身だけを起こしたまま手招きしている灯華の姿はとても弱々しく見えた。寄り添い合う二人の姿が千寿郎の涙腺を緩め、一瞬俯き下唇を噛み締め「泣くなっ」と押し寄せる悲しみを払うとすぐに顔を上げ笑顔を浮かべた。煉獄の代わりに綺麗な花束を差し出すと、灯華はいつものようにふわりと愛らしく微笑んだ。
『先程は、お見苦しいところを見せてしまいましたね…』
「そんな風に言わないで下さい。大丈夫です」
笑顔を絶やさず、気丈に振る舞えと言い聞かせる。
大好きな灯華と兄杏寿郎の幸せを願い、背中を押せるくらいの強さを持って、後悔しないように今を生きている彼女という存在を心と記憶に刻みつけろ。自分には、それくらいのことしかできないのだからと。
「兄上から…病のことは教えて頂きました」
『…辛い思いをさせて…ごめんね…。千寿郎君…』
「謝らないで下さいっ。僕の方こそ灯華さんに甘えてばかりで…子供だからと、気を遣わせてしまいましたよね…」
千寿郎の言葉に、そんなことはないとやんわり首を振る灯華。
「あのっ、でも!兄上の代わりにはなれませんが…僕がいつでも灯華さんを支えていきますからっ、なんでも頼って下さい!」
背筋を伸ばし、今できる精一杯の笑顔を向けた。
上手く、笑えていますか?兄上…、灯華さん。
と、心の声で問いかける。答えはないが、二人が顔を見合わせ微笑む姿を見れただけでとても嬉しく思えた。
だが、幼く人一倍心の優しい千寿郎が無理をして気丈に振る舞っていることを、二人は決して見逃しはしない。
『…千寿郎君…』
「はい…」
『ありがとう…。でも…』
「?」
『泣くことを、我慢しなくていいのですよ…』
「…!!」
灯華のその一言に目を見開き、下唇を噛み締める。
兄である煉獄も穏やかな笑みを浮かべながら、小さく頷いていた。
『泣くことは、決して情けないことではありません…』
「…っ」
『幼いことも、悪いことではありません…』
「……ぐすっ……」
『だからどうか…小さな背中で全てを背負おうとしないでね…』
優しく伸ばされた手が、膝の上で拳を握り締めている千寿郎の手に重なった。俯きながら肩を震わせ、泣かないと決めていたにも関わらずポロポロと溢れ出す涙の雫が二人の手に落ちていく。それと同時に抑えていた感情が一気に湧き上がってくるのを感じた。千寿郎は添えられている灯華の手を取り大事そうに包み込むと、ゆっくりと顔を上げて素直な気持ちを吐き出した。
「…生きて…下さいっ…灯華さん…っ」
『…………』
「千寿郎…」
「僕はっ…ヒクッ……優しいあなたのことが、大好きですっ…」
『……っ』
「居なくなってほしくないっ……」
もっとたくさんの時間を一緒に過ごしたい。
兄の隣で微笑む灯華を見ていたい。
生まれた生家で共に生活を送れたら、毎日幸せに違いない。
きっと、煉獄家が美しい花でいっぱいになる。
お菓子作りを一緒にして、勉学を学んで、そしていつか…鬼がいない平和な世が訪れたら、家族みんなで夏の花火を見に行きたいと願っていた。
「灯華さんっ…僕らを残していかないでっ…」
『………』
「まだまだずっと…っ…これからもずっと、ずっとずっとずっと…っ…」
『………』
「兄上のそばでっ……笑っていて下さいっ…」
千寿郎の大きな瞳が灯華を映す。
祈りに近い強い思いが心の深いところに溶け込んでいく。
胸から込み上げて来る感情が目頭を熱くさせ、灯華は千寿郎を力一杯抱きしめた。
『あなたのその優しさは…きっと多くの人たちを救います』
「うぅっ…」
『…剣技に優れ、鬼を狩れる強さを持つ人間と同じように』
「…灯華…さ、んっ…ヒクッ…」
『千寿郎君は、決して弱い人間ではありません…。私が保証します』
どんなに辛くても、悲しくても、苦しくても、千寿郎は必ずそれを乗り越えることのできる強さを持っている。だから…胸を張って、堂々と生きていって欲しいと強く願う。例えそれが、自分の居なくなった世であったとしても。
『こんな私を、母のように慕ってくれてありがとう…』
共に過ごした月日は決して長くはないが、幸せな思い出がこんなにも鮮明に蘇る。灯華が瞳から溢れ出た涙を隠すように千寿郎の小さな肩に顔を埋めると、それまで静かに二人のやりとりを見つめていた煉獄が、灯華と千寿郎を後ろからギュっと抱きしめた。
ずっとずっと家族
(生まれ変わる時が来たとしたら、俺はまた…この家族を選ぶと誓う)
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