"甘露寺と共に任務に就く。お前の出る幕はない。邪魔するな"

まるで蛇のように曲がりくねった字で書かれた短い文を見つめながら、煉獄は夜空に浮かぶ満月の下「素直ではないな」と手紙の送り主に向けて小さく微笑んだ。少しでも長く愛する者のそばにいられるよう手助けをしてくれるのは、他の柱たちも辛く悲しい別れを経験しているからなのだろう。皮肉めいた言葉の裏にはいつも温かい優しさがある。

『…杏寿郎さん…?』
「!」
『…やはり任務へ赴かれるのですか…?』

今まさに戻ろうとしていた部屋の襖戸から、千寿郎と共に眠っているはずの灯華が顔を覗かせ不安そうな表情を浮かべている。物音一つ立てずに部屋の外に出たつもりだったが、ずっと手を握ってくれていた温もりが離れ目を覚ましたのだろう。

「心配するな、俺は何処にも行ったりしない」
『…良かった…』

胸に手を当て安堵の溜息を吐いた灯華は、一度部屋の中へと視線を移しすでに深い眠りについている千寿郎を見つめ微笑んだあと、『今夜は満月が綺麗ですよ…』と言いながら一歩前へ出てゆっくりと襖戸を閉めた。
美しく輝く月明かりが灯華を照らし、それを慈しむように見上げている姿があまりにも儚くて視線を逸らせなくなった。「休んでくれ」と言ったところで聞き入れてはもらえないだろうし、何より今は…その言葉すら野暮に思えるほど目の前にいる灯華が堪らなく恋しくて仕方がない。

「昔ここで、お月見をした時のことを覚えているか?」
『はいっ…、もちろんです。夜ふかしをし、二人で槇寿郎さんにお叱りを受けました…っ』

見上げていた月から視線を外し、くすくすと控えめに笑う灯華。その愛らしくも美しい笑顔を見つめながら歩み寄り近づくと、着ていた羽織りを脱ぎ灯華の体を包み込んだ。

「そうだ!俺はあの時頭にこぶを作り君に平気だと言ったが実は…」
『?』
「父上の拳は、涙が出るほど痛かったよ」
『…ふっ…ふふ…っ』

今でこそ、炎柱として屈強な強さを持つ煉獄だが、幼い頃からそうであったわけではない。言いつけを破り父親からの愛の拳を受け涙ぐむ幼い煉獄の姿を想像すると、なんだか可笑しくて灯華は品の良い笑顔を浮かべた。

『杏寿郎さんとの思い出は、どれも楽しいものばかりです…』

羽織を押さえている大きな右手に華奢な両手を重ねると、煉獄は優しく微笑み灯華の体を優しく抱き寄せ頭を撫でた。

「それはきっと、俺が心底君に惚れているからだろうな」
『え…?』

思いがけない煉獄の言葉に、灯華は胸板に顔を埋めたまま閉じかけていた目を開いた。

「俺は、灯華の優しい笑顔が大好きだ」
『………』
「君が笑うと、俺はとても幸せな気持ちになる」
『………』

だから昔から、灯華の笑顔のためなら何でもしようと思っていた。
自分ができることなら全て。
彼女が望むことなら全て。
灯華が笑顔になれるなら、どんな状況だろうと俺は笑うし、彼女が好きな花を届ける。父の拳が痛くとも強がって格好をつけるし、炎柱になるという約束だって果たす。どんな事でもするし、これからもそれは変わらない。そうすることが辛いとか、面倒だと感じた事は今の一度もない。楽しい思い出が一つでも多く灯華の中に残るようにとそうして来たから。
それが俺の幸せで…俺は、灯華の笑顔のためなら何だってできると…信じていた。

「…君が笑顔になれるなら、俺ができることは何でもする」
『…杏寿郎さん…』
「そうしたらいつか…君の病が治るんじゃないかと、夢見ていた」
『………』
「何でもできると思っていたが…」

煉獄の声が、本当に若干…分からないくらいの小ささで震えている。灯華の肩に顔を埋めて悔しそうに、申し訳なさそうに、愛してやまない者の体を強く抱きしめ心の奥底にある本音を…灯華にしか聞こえないくらい小さな声で吐き出した。

「…すまない、灯華…。情けないが、今から少し弱気な事を言う」

恐らくは、煉獄杏寿郎が口にする言葉としては最初で最後のものになるだろうと思った。灯華は溢れそうになる涙を必死に堪え、煉獄の背中に腕を回しながら『大丈夫ですよ』と目を閉じる。

「俺には君の命を救うことが出来ない」
『…………』
「君の死に、一瞬でも恐怖を感じてしまった不甲斐ない俺を…どうか許して欲しい…」

千寿郎の前で、いくら強がりを言っても…実際は違う。
本当は、何よりも、誰よりも、灯華の死に恐怖を感じているのは自分自身なのだ。

「俺には、君の居ない未来を想像することが出来ない…」
『……』
「無理な願いとは百も承知だが…生きて欲しいっ。ずっと、俺のそばで…笑っていて欲しい。…灯華」

悲しいとか、辛いとか、もうそうゆう次元では無い。
どんな手を使っても抗えない。
何をしても変わらない現実を、少しでも悔いが残らないように受け止めなければならないのだ。灯華は煉獄の背に回した腕を離し、溢れ出た涙を指先で拭う。

『杏寿郎さんは…不甲斐なくなんて無いです…っ』
「………」
『私は今まで、貴方に沢山救われて来ました…』

病弱で、無知な私に外の世界を教えてくれたのも、貴方が居なければ出会うことのなかった大切な人たちとの繋がりも、四季を感じる沢山の花束も、全部、全部…杏寿郎さんが教えてくれた、かけがえのない大切な宝物。
杏寿郎さんが居なければ私は…とうの昔に生きる意味を見出せず、自ら命を絶っていたかもしれない。私の世界がこんなにも美しく愛に溢れ、生きる意味のある人生だと思えたのは…杏寿郎さんが居たからだ。
救えなくなんて無い。
私はもう、貴方に何度も命を救われているんだ。

『私の歩みがどんなに遅くても…杏寿郎さんは手を繋いだまま必ず隣を歩み続けてくれる…。無知でも笑わず、何でも快く教えてくれる…。話を聞かないことは時々ありますけど…約束を破ったことは一度も無いです…。出したご飯は美味しいって言いながら必ず完食してくれるし…何よりっ…こんな私を想い、続けてくれる…っ…ぐす…』
「灯華…」
『…優しい杏寿郎さんが…っ…私は、大好きですっ…』

偽りのない純粋な想いと言葉たちに、灯華の肩に顔を埋めていた煉獄の瞳から涙が溢れ出た。

『私も…もっともっと、杏寿郎さんのそばに居たいです…』
「………」
『こんなにも愛している貴方のそばから…離れたくない…っ』
「………」
『……死にたくありませんっ……』

死が怖いのではない。
彼のそばに居られなくなることが、死よりも恐ろしいのだ。

『でもっ、私は…炎柱、煉獄杏寿郎の妻です…っ』
「…灯華…」
『気を強く持ち…っ、貴方を支えるのは私の責務っ…』
「…………」
『悲しくとも、辛くとも、立ち止まることなく前を向いて生きていって下さい…っ。多くの人たちの命を救い、強く、優しい杏寿郎さんでいてください…』
「必ず…っ、約束しよう…。愛しているよ、灯華…」

生きている今を、その存在を確かめるように互いの体を強く強く抱きしめる。

『貴方のそばに居れたことを、誇りに思います…杏寿郎さん…』

迫り来る運命が二人を別つまで、懸命に愛する者を愛し続けると心に誓う。涙を流しながらも額を重ね、微笑み合ったあと、満月の月明かりの下二人の影がゆっくりと一つになった。


ありとう
(この命が尽きたとしても、俺はずっと…君を愛している)

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