「フーッ…フーッ…」
「……っ」
「にっ…兄ちゃ…っ」
「しっ……」
大きな岩陰に身を潜め、肩で呼吸を繰り返す十四紀を後ろから抱き寄せ口元に手を当て声を抑えるよう促す千寿郎。二人の体からは恐怖と緊張から冷や汗が溢れ、心臓が大きく脈打ち呼吸を乱す。手足が震え、息を潜めるも生きた心地が全くしなかった。
「うっ…(怖ぇよっ…喰われちまうよぉっ…!!)」
暗闇に包まれた暗い森の中。いつ人喰い鬼という怪物に見つかってしまうかも分からない状況は、幼い二人の精神を極限までに追い込むには十分過ぎるものだった。
千寿郎が十四紀を見つけた時、周囲に鬼の姿を見当たらず、その代わりに暗闇の中に無数の眼光が浮かんでいるのが見えた。今も鼻を刺すような酷い獣臭に、地の底から響いているような唸り声が周囲から聞こえて来る。
「(どうにかしてここから離れないとっ…)」
だがどうやって?
現状を打開しなければと思考を巡らせた後、すぐに恐怖や不安に押しつぶされそうになる。何の策も見出せていない己の弱さを突きつけられ、千寿郎は大きく目を開き眼前をただただ見つめた。深い闇のその向こうに、絶望という名の死が見える。大きく脈打つ鼓動が死への時を刻んでいるような感覚に、吐き気がした。
「はぁっ…!…千寿郎兄ちゃんっ…」
「…!!」
「にげっ……にげなきゃっ……!」
「……っ」
口を塞いでいた千寿郎の手を退けて、小さく震える声でなんとか絞り出した言葉。闇を見つめていた千寿郎がはっと我にかえり怯える十四紀に視線を移した。
兄杏寿郎には到底及ばず、剣の素質もなければ呼吸すら扱えない自分よりも、さらに小さくか弱い十四紀がそこにはいる。
「………っ…」
「兄ちゃんっ……」
守らねばならないと、そう思った。
「(駄目だ、余計なことは考えるなっ…!考えろっ考えろっ…。力はなくても、煉獄家の血を引く者ならこんなところで諦めちゃ駄目だっ…)」
小さな身全てを飲み尽くしてしまうほどの恐怖の中、千寿郎を奮い立たせたものは炎柱である兄杏寿郎の存在。記憶の中に焼きついている兄の背中はいつも進むべき道だけを見据え、決して立ち止まることなどなかった。千寿郎は息を飲み、十四紀を腕の中から解放すると小さな肩に両手を置きできるだけ平静を装い口を開いた。
「…三つ数えたら、この石を思い切り遠くに投げる。周囲にいる動物たちの気を数秒逸らしているうちに、僕らは全速力で逃げるんだ…」
「…っ…う、うんっ…」
震える声。
ありきたりな策。
うまくいく保証など、どこにもない。
いつもはじゃじゃ馬のように活発な十四紀も、命の危機を察知し脂汗を垂らしながら千寿郎にすがるような視線を向けた。炎柱の弟ならば、きっとどうにかしてくれるだろうと。
「…大丈夫。十四紀君は、早く走るの上手だから」
「……兄ちゃん…」
「…ん?」
「ま、まだっ…弁慶がっ…みつからなくてっ…」
「…………」
「この森にっ…入って行くのみたって、農家の人がっ…」
そこまで言って、十四紀は唇をぎゅっと結び口を閉ざした。いつも頼りなさ気な表情を浮かべている千寿郎の瞳に、気圧されたからである。
「諦めて、十四紀君」
「……っ」
自分でも驚くほど、冷静な声色だと思った。
「ここで死んだら、兄上や灯華さんが悲しむ」
「杏寿郎や…姉ちゃんが…?」
「桃葉ちゃんだってそうだ。…今は生きなきゃ。生きて帰らなきゃっ」
「……っ、兄ちゃんっ…」
言い聞かせるように口調を強め、十四紀の右手をギュッと握りしめた。時間の猶予はない。いつ鬼が現れるか分からないから。千寿郎は近くに落ちている適当な石を拾い上げると、それを強く握りしめ祈るように願いを込めた。
「じゃあ行くよ、十四紀君っ…」
「うんっ……!」
投げ放たれた石は、闇に吸い込まれるようにして数メートル離れた草むらに音を立て虚しく転がり落ちた。
***.覚悟
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