「千寿郎!」
「(兄……上…)」

無意識のうちに、本能が死期を悟ったのだろうか。薄れていく意識の中で、遠ざかっていく光に手を伸ばしてみた。敬愛する兄が、自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がしたから。

ーゴポゴポッ……

「千寿郎!諦めては駄目だ!」

十四紀と共に滝壺に落ちた千寿郎の体が、ゆっくりと沈んで行く。思考は止まり、呼吸も止まった。だが兄の声は聞こえる。姿は見えないが、確かに自分に向け何かを話しているのだ。

「諦めずに喰らいつけ!お前ならできる!」

いつもと変わらない、強い気持ちの篭った兄の言葉が千寿郎の意識を徐々に覚醒させていく。これは記憶…なのだろうか?話の内容から察するに、きっと剣の稽古をつけてもらっているのだろう。素質がないことを理由に挫けそうになる自分を、兄はこうした言葉で励ましてくれるのだ。千寿郎の口から、小さく息がもれ気泡が水面へと上がっていく。

「俺はお前を信じている!」
「(…兄…上…でも…僕は、もう……)」
「心を燃やせ!」
「(………っ!)」
「戻れ!!千寿郎!」
「ゴフッ…!!!」

刹那、千寿郎の意識が一気に覚醒し、空気を求めて水面へともがくような動きで浮上していく。「ハァッ!!!」という大きな呼吸でありったけの空気を吸い込むと、そのあとは咳き込みながらそれを繰り返す。死の境目に立ち恐怖と驚愕で見開かれた目は充血し、生きていることが奇跡だと思った。

「ゴホッ、ゴホッ…!!とっ……十四紀くんはっ…」
「千寿郎兄ちゃん!!!!」
「!!!!」
「生きてたっ……!よかったっっ…!」

十四紀は無事だった。
なんとか自力で角にある岩場に身を寄せながら、千寿郎の無事に表情を歪める。全身がずぶ濡れになっているせいか、涙を流しているのかまでは分からなかった。

「俺っ…兄ちゃん…死んじまったかと思ったっ…」
「大丈夫だよ、十四紀君。…それより早くここを離れようっ」

十四紀のいる岩場に上がり、水を吸い重くなった袴を絞りながらそう言った千寿郎。死にかけたばかりの子供にしては、とても冷静な判断。辺りを見回し十四紀の両肩に手を置いた。

「苦しいし、滝壺に落ちたばかりだけど、走れる?」
「…う"んっ。体すんげぇ痛いけどっ…死にたくないっ」
「僕もだっ。…聞いて、十四紀君」
「なに…?」

濡れた袖で目をゴシゴシと擦り、気を持ち直そうとしている十四紀が千寿郎を見つめる。

「ここ一帯は兄上の管轄区だって前に灯華さんが言ってた。…だからきっと助けに来てくれる。鬼を退治してくれる。だから兄上を信じて、僕たちは必死で逃げようっ」
「杏寿郎っ……?」
「うん!兄上はとても強い炎柱だっ。だから絶対に…」

ーポチャン…

二人の耳に、不気味なほど清らかな水の音が響いた。
轟々と唸る滝の落ちる音とは別に。
鬼を感じる素質がなくとも伝わる狂気が千寿郎の背中に突き刺さる。短時間で幾度目かも分からない死を感じながら、自分の肩越しに見える"それ"を視認している十四紀の顔から血の気が引いていった。

「へぇ〜。どうりで気配も匂いも容姿も似てるわけだ」
「………っ」

好奇の色に瞳を染めた鬼が、二人を見つめて口元に弧を描いた。

「あの柱はお前の兄貴だったんだ〜っ!フフッ、最高だね」

***.


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