『立って走りなさい!!千寿郎っ!!!』

なぜ…。
どうして…。
病で床に伏せ、命尽きようとしていた灯華が此処にいるのか全く理解が出来なかった。力強く鬼の背に日輪を突き刺して、叫ぶ様にそう言った彼女の言葉が千寿郎の意識を一気に覚醒させる。自分でも不思議なほど軽々と動いた傷ついた体からは、今は痛みが感じられない。十四紀から手を離し表情を歪めている賢鬼の隙を盗み、千寿郎は迷うことなく小さな手を取り走り出した。

「てめぇ…っ、女ぁぁぁあっ!!!」
『貴方のような者に、私たちの未来は奪わせないっ!』



産屋敷がお鶴からの文を受け取る少し前のこと。

「行ってはなりません、灯華…」
『…お婆様』
「馬鹿な真似は止しなさい。自決するようなものだわ」
『もう、時間がありません。間も無く陽が落ちます…』

修繕したばかりの曾祖父の日輪刀を持ち、正門から外へ出ようとしていた灯華の背中に声をかけたお鶴。その毅然とした様子に、表情を歪めた。先程まで床に臥ていたはずの孫娘が立ち上がり、何故ここに居るのかと。

「今しがた文を送りました。すぐに柱が来ます」

従兄弟の十四紀が戻らない。
彼の姿が家の庭から消えたのは、二時間ほど前のこと。
大人たちの制止を振り切り、十四紀は一人弁慶を捜しに家を飛び出してしまったのだ。幼い子供の足ではそう遠くへ行けないはずだと、十四紀を捜しに向かった千寿郎もまた…戻って来ない。日暮れが近づき、夜が訪れようとしている。

『十四紀と千寿郎君はまだ子供ですっ、何かあってからでは…』
「到底許可など出来ないわ。…杏寿郎様を待ちなさい」
『二人を見捨てるおつもりですか?』
「灯華…分かって頂戴…」

聞き入れてはもらえそうに無いが、それでも大切な孫を見殺しにすることなどできなくて、冷静だが必死に説得を試みる。余命僅か、ここで背中を押したら灯華は確実に死ぬ。生きる選択肢の一つとして、胡蝶から与えられた薬を服用したことは分かっていた。でなければ、先程まで辛そうに咳を繰り返していた灯華がここに立っていられるわけがないからだ。自身の余命を確実なものにする選択肢を、まさかこんな形で手放すとは誰が予想していただろう。
お鶴は目の前で穏やかに微笑む灯華の強い覚悟を受け止めながら、溢れそうになる涙をぐっと堪え言葉を続けた。

「祝言まであとわずかなのよ…」
『……』
「杏寿郎様の幸せを望むのなら、留まりなさい…灯華」

その言葉に瞳を伏せ、葛藤する。心の内側で馳せる思いは、揺らぐことのない煉獄への一途な気持ち。大好きで、愛おしくてたまらない彼と共にただ…笑って祝言という夢を現実にしたいだけだった。ほんのわずかな時間だけでも、炎柱の妻としての誇りを胸に生きていける幸せを感じられると思っていた。…だが、待ち焦がれたそんな未来が足元から崩れ落ちていくのが分かる。
多くを望みすぎたのかもしれないと、灯華は伏せていた視線を上げ、お鶴を見据えた。

『お婆様は、杏寿郎さんがどのような時に心の奥底から幸せだと感じるか、知っていますか?』

今ここで、灯華が留まったとしても…煉獄に待ち受けているのは大切な家族二人の死だ。そんなことは絶対あってはならないと、心が強く訴えかけてくる。自分の幸せよりも、煉獄の幸せよりも、自分たちの幸せよりも優先すべき命が…もうこの手の中にはあるのだ。

『大切な家族と共に、美味しいご飯を食べている時です』
「……っ」

お鶴の瞳がわずかに見開かれる。

『千寿郎君に、剣の稽古をつけている時です』
「…灯華…」
『十四紀の遊び相手をしたり、桃葉に絵本を読んであげたり、みんなで焼き芋を焼いたり…そこに家族がいるだけで、杏寿郎さんは心の底から幸せそうに笑うんです。…だから』

お鶴は始めから分かっていたのだろう。

『だからもう、彼が失うのは私で最後にしたいのです』

灯華が元炎柱であった曾祖父の日輪刀を手にし、胡蝶から与えられた薬を服用したと分かったその時から…近い未来で白無垢に身を包み幸せそうに微笑む灯華の姿を拝むことはできないのだと。
お鶴は見開いた目をゆっくりと閉じ、走馬灯のように駆け巡る思い出を噛みしめる。四季に咲く色とりどりの花のように表情を変える灯華の人生に関われたことを、今生の幸せだと思わずにはいられない。可憐で優しく、穏やかな心根を持った孫娘の隣にはいつも、強く誠実に生きる煉獄杏寿郎がいた。嘘偽りのない真っ直ぐな心を持った彼が、灯華を想い続けてくれたことに感謝したい。お鶴はこの数秒の間で、様々なことを考え覚悟を決めた。

「…行くからには…」
『……!』
「行くからには、覚悟できているのね」

それは、己の命が尽きる覚悟。

『…はい』
「ならば、杏寿郎様の名に恥じぬよう、炎柱の妻としての責務を全うしなさい。灯華」

揺らぎない眼差しで灯華を見つめ、強く頷き背中を押した。

『…行って参りますっ。お婆様』




私は、私を愛してくれた唯一無二の『家族』を守りたい。不条理に奪われた命を背負い、鬼を斬る隊士のように。
そして…。

『スゥ……』

決して揺らぐことのない強い意志と、誰よりも優しい心根を持つ…愛に溢れた貴方のように。私も、愛する人たちをこの手で守りたい。例えそれが、命を捧げなくては叶わないことだとしても、私の今生に…悔いはない。
だって、私は…もう十分過ぎるほど貴方に…。

『炎ノ呼吸…特式…零ノ型…』
「っ!?」

杏寿郎さんに…、愛して貰えたのだから。

『…"炎華"!!!』

***愛する未来の為に


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