誰かを傷付けずに済んだのは、初めてだった。
だからすごく戸惑って、驚いて…酷く、安心した。
「(憂太がもう下の名前で純先生って呼んでる!)」
『(そんなとこでいちいち突っかかってこないで下さいよっ)』
「(だって僕としてはさぁっ)」
『(いいから先行って真希たちに転校生紹介するって説明して来て!)』
「…あ…あのっ…」
『「…ん?」』
僕に近づくモノ全てを遠ざけてきた里香ちゃんが…、
あの日…呪いになってしまった里香ちゃんが…
人を呪おう(殺そう)としなかったのは、
「……純先生と…少し、お話しできますか…?」
この人が初めてだった。
「…なにそれジェラシー感じ…」
『黙って下さい。…もちろんいいよ。歩きながら話そっか』
*
昨晩、深夜過ぎ。
「え、自分の子供の頃の話したの?なんで?」
乙骨憂太との初対面を果たした純は、高専の仕事部屋で私用を済ませ戻ってきた五条に彼との会話の一部始終を説明していた。深夜過ぎだというにも関わらず、五条の手元にはいくつかのコンビニスイーツが並んでいる。もう日常茶飯事となったその光景に特に思うこともなく、純はココアの入ったマグカップを二つ持ち上げて一つを五条に手渡した。
『う〜ん…これと言って理由はないんですけど…』
「理由もなく自分の子供の頃の話したの?」
『いや、まあ、強いて言うなら…』
五条が座るソファへ腰を下ろし、持っていたマグカップをテーブルの上に置く。そのまま近くに置かれていた乙骨憂太の個人情報が記載された書類を手に取って、純は溜息混じりに自分の殻に閉じこもって他を寄せ付けなかった頃の自分と酷似していたからだと、そう言った。
「似てるか?お前は自分で母親祓っちゃったじゃん。食う?」
『いや…一番デリケートな部分ド直球で触れながらスイーツすすめるの止めてくれません?嫌がらせですか?』
「んで?憂太の反応は?」
『聞いてねぇ〜』
ティラミスの入ったカップを手の甲で雑に自分の方へと滑らせてきた五条に対し思うことは、相変わらずデリカシーのカケラもない人間だなということだけだ。
『もちろん、先輩と違って静かに聞いてくれてましたよ。転入の件は前向きに考えるって言ってくれましたし』
「へぇ。ま、僕はお前の過去ごと愛してるからね」
『七海脅して人の個人情報聞き出した人が何言ってんですか』
スプーンで掬い上げたプリンを頬張る五条から視線を外し、書類に貼付されている乙骨の写真を見つめる。不安で十分な睡眠が取れていないのか、頼りなさげな大きな目の下には、くっきりと隈が浮かんでいた。
「"もう一人の方"は?"出てきた?"」
『……あの…そのことなんですけど…』
「ん?」
最後の一口を頬張り、役目を果たしたスプーンを空になった容器の中に落とした五条。珍しく言葉を濁している純を見つめながら問いの答えを待っていると、数秒間を置いてからわずかに背筋を伸ばして息を吐いた純。数時間前に自分が見た光景を思い出しながら、神妙な面持ちで口を開いた。
『あの子には、"私の中にあるモノ(魂)が見えるみたいで…』
「…………」
『憂太を守ろうとして出現した"折本里香"と一触即発しかけました』
「………マジ?」
『マジ』
純の説明を聞き「う〜ん」と考える仕草をとった五条。学生時代、初めて純に出会いその姿を視界に収めた瞬間の驚きは、今でも忘れたことはない。普通は体を覆うようにして放出されて見える呪力の形が、純の場合は大きく異なっていたからだ。
あの頃から今も変わらずこの六眼に映るのは…穢れのない純白の光と、正反対の常闇が綺麗に半分ずつ、円を割るようにして彼女の心臓辺りで揺らいでいる形。こんな特異な物を視認できるのは自分くらいだと疑いもしなかったが、ついに現れた。…他とは違う純の中にあるもう一つの魂の姿をその眼に映すことができる呪術師が。
「乙骨憂太か…。んで?どうやって止めたの?」
『…止めてません。なんていうか…』
「………」
『お互いに身を引き合う形で消えて、何も起こらなかったんです』
「…へぇ。不思議なこともあるもんだね」
『どう思います?』
持っていた書類をテーブルの上に戻し、隣に座る五条に視線を移す。意見を求められた五条は「そうだねぇ」と溜息混じりに呟きながらソファの背もたれに上半身を預けた。
「詳しいことはなんとも言えないけど…」
『けど?』
「僕なら"利害が一致した相手"とは争わないかな」
『…折本里香にそんな感情があるのかな…』
「さあね。呪いの気持ちなんて考えるだけ意味ないよ」
『…いや、彼女は例外でしょ…』
「ま、僕なら間違いなく相手殺して純のこと守ってるけどね!」
『先輩だけは死後呪いにならないで下さいね。マジで』
「やだ純といたい!」
『コワッ』
いつものようにふざけた調子で純に抱き付きヘラヘラと笑う五条。呪いの気持ちなど理解したいとも、しようとも思わないが、死んで呪いになってもなお愛する人間を守ろうとする折本里香のその強い思いだけは…他人事とは思えなかった。
「僕だけが知る純の秘密が、僕だけの物じゃなくなっちゃった。ちょっと残念だなぁ…」
『…………』
「ねえ、純」
『…はい?』
「憂太と会って、昔のこといろいろ思い出したでしょ?」
『…そうですね。改めて誰かに話すのは久しぶりだったので』
「全部話したの?」
『まさか…。少しだけですよ』
「そっか。…お前が今でも母親のこと気にしてるとは思ってないけど、一応言っとく」
純の頭をゆっくりと撫でながら、柔らかな髪に頬を寄せる。自身の首元に顔を埋めて擦り寄ってきた彼女をしっかりと抱きしめて、視線の先…アイマスク越しに映る人の形をした魂の揺らめきを見つめた五条は口角を上げて、
「何があっても、僕は純のそばにいるからね」
"二人に"言い聞かせるような口調でそう言った。
「だから、なにも心配いらないよ」
「"…アリガトウ。サトル…"」
彼女によく似た笑顔を浮かべた少年が、ソファの肘掛けに頬杖をつきながらふわりと笑う。
そして、一瞬の間に姿を消した。
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