「い、伊地知清高です!は、初めましてっ…」

情けないほど裏返ってしまった声が、自分の緊張をこれでもかというほど主張する。目の前にいる人物を直視することができず赤くなった顔を隠すように頭を下げると、説得力のある低音が自分の名を呼んだ。羨ましくなるほど男らしい渋みのあるその声は、尊敬する七海建人が学生であることを一瞬忘れさせるほどのものだった。

「同じ学生なんだから頭、下げなくていいですよ」
「あ、はいっ。すみませんっ」
「私以外の生徒にはもう会いましたか?」
「えっと、先輩方にはまだ…」

顔を上げ控え目にそう告げると、七海が深い溜息を一つ吐く。

「そうですか。…三年の五条さんのことは?」
「はい!もちろん知っていますっ」

五条家の嫡男、次期当主となる彼のことを、呪術師を志す者であれば知らないほうが恥ずかしい。

「入学したばかりの君を脅すわけではないですが…」
「え?」
「一応忠告はしておきます」
「ちゅ、忠告…ですか?」

緊張のあまりごくりと生唾を飲み込み背筋を伸ばす伊地知。呪術師になる目標を掲げ入学を決めた自分に対して、やはり楽な道ではない。これから先、想像以上に過酷な現実が待ち受けているから覚悟を改めろ…的なアドバイスをされるのでは?と、七海を見つめたまま構えていると、その予想は大きく外れることとなった。

「くれぐれも、彼の言動を鵜呑みにしないように」
「…え…?」
「特級呪霊を相手にするより厄介ですから」
「(そうなの!?)」

実体験を思い起こしながら、遠くを見つめるような視線でそう言った七海がさらに続ける。

「五条さん絡みで困ったことがあれば私の同期を頼ってみてください。…力になってくれます」
「あ、あの…」
「ではまた」

抱いた疑問を控えめに伝えようとした伊地知に背を向けて、七海は形容し難い表情を浮かべ歩き去っていく。ただでさえマイノリティな呪術師同士の貴重な交流、もうしばらく話していたかったと内心呟き伊地知は小さなため息を吐いた。

「……七海さんの同期って…確か…」





「純いる〜?」

咲いた桜の花びらが数枚、心地よい春風に乗って開け放たれた窓から広い教室の中へと流れ込む。純が緩やかにやってきた睡魔に目を閉じて、ツガイの小鳥が仲睦まじくさえずり合っている穏やかさに身を委ねたのは少し前のこと。

「寝てんの?」

呼びかけに対する反応はなく、机に突っ伏し眠っている純の姿を視界に収めたまま歩み寄る。ガラリとした教室内に七海がいなくてよかったと思いながら、隣の席の椅子を引き寄せ純と向かい合うように腰を下ろすと、思わず口元が緩んだ。

「純〜?」
『………』

机に頬杖をつき、穏やかな寝息をたてている純の顔を覗き込むようにしてジッと見つめる。無防備で、まだあどけないその寝顔はまるで赤子のようにどこか頼りなくて、愛らしい。まぶたの輪郭を際立たせるように生えた長く柔らかい睫毛が、夕日に照らされ影を作る様はまるで美を追求し描かれた絵画のようで、思わず魅入ってしまう。

「写真撮っちゃお」

可愛い。と内心呟きながら携帯のカメラを向けて純の姿をおさめる五条。些細な仕草や言動の一つ一つにまで心動かされるほど好きになった初めての相手が、親友の背を追い自分の前からいなくならなくてよかったなと頭を撫で、五条は満足げな笑みを浮かべた。

「(ま、間が悪かったみたいだ…!!)」

こんなにも甘くて完璧なシチュエーションは、ドラマやアニメでしか見たことがない。そう感じながら顔を真っ赤に染めて教室の扉に身を潜めた伊地知は全身全霊で気配を消すと、身を縮めながらこの場を後にしようとする。常日頃から呪いなんてものを相手にするこの学び舎にも、甘酸っぱい青春というのはあるんだなと心臓をに胸を当てたその瞬間…。

「なあ、おい」
「ひっ…!!!!!」

二、三歩歩みを進めたところで声をかけられ驚きのあまり悲鳴に近い声が出た。と同時に体が恐怖で硬直する。

「誰、お前」

絶対的強者を目の当たりにするということはこうゆうことなのだろうかと、吹き出した冷や汗がこめかみを伝う。伊地知は、まるでブリキ人形にでもなったかのようにギギギ…と顔だけを向けると、サングラス越しに自分を見下している五条と視線を重ねた。

「(デカいっ…!!)」
「なんか用?」

その迫力によろめきながら後退るも、すぐに姿勢を正し頭を下げる。制服のポケットに両手を突っ込みまるでヤ◯ザの若頭のようなガラの悪さを惜しみ無く発揮してくる五条に対し、伊地知は震える声で自己紹介を済ませた。

「な、ななな七海先輩のっ…同期の、先輩にも、ご挨拶をと…」
「ああ?」
「ひっ……!!」
「お前が純に挨拶?」
「あ、いえっ…あの、他意は全くないですっ…!」
「あったらビンタしてるわ」
「ビンタッ!?」

五条が表情を歪めて一歩詰め寄ると、伊地知が一歩後退る。

「挨拶とかいらないから帰れ。純寝てるし」
「は、はいっ!ではあのっ…よろしくお伝え下さいっ…」
「はぁ?なんで僕がお前と純の仲取り持たなきゃいけねーんだよ。なめてんの?」
「……ま、まさかそんなっ…」
「アイツと仲良くすんの禁止だから」
「…………」

御三家が一つ、五条家の嫡男五条悟の噂は耳にしていた。
良いものも悪いものも、両方だ。
実際には凄い人物なのだろうと期待はしていたし、会えるのを楽しみにしていた自分がいた。しかしどうだ。いざ五条悟と初対面を果たし感じたのは、悪い噂であった性根の悪さは特級レベルということが正しい情報であったということだけだった。

「ああ、あともう一つ」
「…は、はい…」
「お前気配消すの下手すぎて任務出たらすぐ死ぬぞ」
「…(なんてデリカシーのない人なんだっ!!)」

一切悪びれる様子もなくそう言った五条に、最後の一撃を受け愕然とする伊地知。この先に待つ期待していた高専生活に絶望という幕を下された瞬間だった。

「じゃ、僕忙しいから」
「(もう絶対話したくない…!)」

完全に心をへし折ったにも関わらず、まるで他人事のようにつまらなさそうな表情を浮かべた五条が教室に戻ろうとしたその瞬間…。中から自身を呼ぶ純の声に反応して、性格の悪さが滲み出た表情がパッと切り替わり輝きを放ったのを伊地知は見逃さなかった。

「純起きた?おはよ」
『……先輩なにしてるんですか?』
「迎えきたの。一緒に帰るってメールしたじゃん」
『あ、そっか。…七海と硝子先輩は?』
「アイツらはいいよ。それよりさ…」
『先輩、今誰かと話してませんでした?』
「(…!?)」

純が椅子から立ち上がる音が聞こえてきて、はっと肩を跳ねさせた伊地知。

「ああ、なんか冴えない一年が挨拶しにきた」
「(イラッ)」
『え、まだいます?私も会いたい』
「時間の無駄だし別にいいって」
「(時間の無駄!?)」
「それよりさ、なんか甘いもん食い行こーぜ」
『私ラーメン博物館行きたいです』
「あのさ、僕今"甘い物"って言ったんだけど」
『私はラーメンが食べたいんです』
『「…………最初はグーッ!じゃんけんっ…!」』
「(な、なんなんだこの先輩たちっ!)」

"ギャー!負けたー!"と叫ぶ純の悔しそうな声を背に、その場から逃げ去るように走り出した伊地知。七海の忠告がこんなにも早く生きるとは思わず、耐え難い憂鬱な圧迫感に胃のあたりがキリキリと痛むのを感じた。




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